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【6区 6.4km 小泉 柚希(2年)】
② スピードスター、追撃
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小泉柚希は前を追う。
1位が見える位置での2位。柚希にとって、絶好のオイシイ状況だと思った。
(ここでトップを再逆転して、MVPは頂きね!)
右側から時折、凧がよく上がりそうな、まとまりのある海風が衝突してくる。
ただし、海自体は見えない。代わりに視界の右側を占めているのは、貨物電車が停車している地上の線路と、宙を走る高速道路。2区の心枝は、あの上を反対側に走ってきたわけだ。みなと駅伝のコースは、4区で金沢八景駅をUターンした後は、ひたすら北に戻る。そうして、スタートでありゴールでもあるみなとみらいの方向へと帰っていくことになる。
左側には、しばらく前方まで続く山々が視界に入り込んでくる。両サイドに自然と人工物のコントラストが、柚希の視界に広がっていた。
とっくに夏合宿は終わっている。高地でもなければ、気温も下がっている。だから、もっとスピードが出てもいいはずなのに、生ぬるい温風が柚希のストライドに摩擦となって抵抗してくる。
追いかけるターゲットのジャスミン大学。実は、柚希にとって縁遠いチームというわけでもなかった。高校時代の同期である月澤奈波が在籍しているほか、白状すれば、一時は柚希の進学先の第一候補でもあったのだ。
高校二年生の時、月澤と一緒に招待され、何度かジャスミン大学の練習に参加したことがある。前を走っている宮沢さんは二つ年上で、当時は大学一年生だったはず。つまりあの時、ジャスミン大のグラウンドで会っていることになる。
だが、正直言って顔も、名前も、走りも、全く記憶に残っていなかった。それこそ、さっきまで待機していた中継所での招集の際に初めて姿を見て、ジャスミン大学にこんな選手がいたんだ、とまで思った。
事前のエントリーでは、ジャスミンの6区には別の下級生の名前が入っていた。もしかするとその選手に何かしらのアクシデントがあって、急遽走ることになったのがこの宮沢さんなのかもしれない。
いずれにせよ、全く知名度のない目の前の選手に、自分が負けるはずがない。
一度は入学しようとしていたジャスミン大学を抜き去り、自分たちアイリスが優勝する。運命的なものを感じるかといわれれば、案外そうでもない。なぜなら、逆にジャスミン大学にとって、逃した魚は大きい、と悔しがる絵面のほうが目に浮かんでいたからだった。
「はい、柚希。1キロ、3分9秒。前と離れたけど、慌てるな、慌てるな。無理して深追いしなかったのは賢かった。それでいいぞ。いいか、向こうと力はそんなに変わらないからね。ここから少しずつ縮めていくぞ」
(そんなに変わらない……?)
柚希の胸の内に一瞬、鈍痛のような苛立ちが走った。なぜ監督はそんなことを言うのだろう。自分とあの無名の選手が互角だとでも? 最初の1キロで差が開いたのは誤算だったが、それに対して特に焦りは無い。だからこそ、監督の言葉が引っかかった。
6区は、終盤に急激な上り坂が待っている。それにもかかわらず、宮沢さんは前半からあんなにも飛ばしている。それは、後ろから追い上げてくる柚希が、相手にとってそれほどまでに脅威となっているということの、何よりの証拠ではないのか。
(冗談じゃないわ……)
予定変更。柚希は前方に鋭く目を向けて、ペースを上げた。宮沢さんとの距離を縮め、自分の力を示すために。
ついさっき柚希の頭上の鉄橋で、京浜東北線が左にカーブして山側のトンネルへと突っ込んでいったが、それに続くように、地上の柚希も本牧の間門の交差点を左折していく。
そこからのS字カーブは、道路のアスファルトがうねって隆起したようなアップダウンになっていた。だが柚希にとって、そんなのは朝飯前。それすらも、走りを加速させるアクセントにしてやろうと思った。
すると今度は道路が直線に変わった。前方に目を向けると、さっきよりも差が縮まっている。さすがにそろそろ相手のペースが落ちてきているのがわかった。もうすぐ、2キロになる。
あとは、どこで仕掛けるか。それしか考えていなかった。
◇
【画面は、1号車です】
『はい。先頭のジャスミン大学・宮沢が、先ほど間門の交差点を過ぎまして、本牧通りの大きな直線道路に入ってきています。先ほどスタジオの鱒川さんから、後ろの小泉のほうが実績で上回るというお話もありましたが、やはり追いついてきましたね、高梨さん?』
「1号車の解説席から見ていても、明らかに差が詰まってきていますね」
『この本牧通りはかつて、横浜市電、いわゆる路面電車が走っていたエリアでもあります。1972年に廃業となるまで、市民の移動を支えました。ですから、このあたりだいぶ道幅が広いですよね」
「えぇ。選手からすると、周りの景色がゆっくり進むように感じるんですよね」
『そうなんですか?』
「はい。こう、何も目印がない、広い海の上をプカプカ浮かんでいる姿を想像していただくとわかりやすいかと思いますけど、景色に釣られて自分の動きまで緩くなってしまったり、逆に遅いんじゃないかと不安にかられてオーバーペースになってしまう選手もいます」
『そういう時、選手はどう対処したらいいんでしょうか?』
「例えば、沿道側に少し寄って、景色の変化を感じられる工夫をしたり、あるいは前の選手との距離感を常に意識したり、ということが大事になってきます」
『なるほど。6区は6・4キロ、みなと駅伝の中では比較的短いコースなんですが、選手には精密なペース感覚が求められるわけですね』
「はい。まさにジャスミン大学の宮沢さんのような、地道に練習を積み上げてきた上級生は、合っているかもしれないですね」
1位が見える位置での2位。柚希にとって、絶好のオイシイ状況だと思った。
(ここでトップを再逆転して、MVPは頂きね!)
右側から時折、凧がよく上がりそうな、まとまりのある海風が衝突してくる。
ただし、海自体は見えない。代わりに視界の右側を占めているのは、貨物電車が停車している地上の線路と、宙を走る高速道路。2区の心枝は、あの上を反対側に走ってきたわけだ。みなと駅伝のコースは、4区で金沢八景駅をUターンした後は、ひたすら北に戻る。そうして、スタートでありゴールでもあるみなとみらいの方向へと帰っていくことになる。
左側には、しばらく前方まで続く山々が視界に入り込んでくる。両サイドに自然と人工物のコントラストが、柚希の視界に広がっていた。
とっくに夏合宿は終わっている。高地でもなければ、気温も下がっている。だから、もっとスピードが出てもいいはずなのに、生ぬるい温風が柚希のストライドに摩擦となって抵抗してくる。
追いかけるターゲットのジャスミン大学。実は、柚希にとって縁遠いチームというわけでもなかった。高校時代の同期である月澤奈波が在籍しているほか、白状すれば、一時は柚希の進学先の第一候補でもあったのだ。
高校二年生の時、月澤と一緒に招待され、何度かジャスミン大学の練習に参加したことがある。前を走っている宮沢さんは二つ年上で、当時は大学一年生だったはず。つまりあの時、ジャスミン大のグラウンドで会っていることになる。
だが、正直言って顔も、名前も、走りも、全く記憶に残っていなかった。それこそ、さっきまで待機していた中継所での招集の際に初めて姿を見て、ジャスミン大学にこんな選手がいたんだ、とまで思った。
事前のエントリーでは、ジャスミンの6区には別の下級生の名前が入っていた。もしかするとその選手に何かしらのアクシデントがあって、急遽走ることになったのがこの宮沢さんなのかもしれない。
いずれにせよ、全く知名度のない目の前の選手に、自分が負けるはずがない。
一度は入学しようとしていたジャスミン大学を抜き去り、自分たちアイリスが優勝する。運命的なものを感じるかといわれれば、案外そうでもない。なぜなら、逆にジャスミン大学にとって、逃した魚は大きい、と悔しがる絵面のほうが目に浮かんでいたからだった。
「はい、柚希。1キロ、3分9秒。前と離れたけど、慌てるな、慌てるな。無理して深追いしなかったのは賢かった。それでいいぞ。いいか、向こうと力はそんなに変わらないからね。ここから少しずつ縮めていくぞ」
(そんなに変わらない……?)
柚希の胸の内に一瞬、鈍痛のような苛立ちが走った。なぜ監督はそんなことを言うのだろう。自分とあの無名の選手が互角だとでも? 最初の1キロで差が開いたのは誤算だったが、それに対して特に焦りは無い。だからこそ、監督の言葉が引っかかった。
6区は、終盤に急激な上り坂が待っている。それにもかかわらず、宮沢さんは前半からあんなにも飛ばしている。それは、後ろから追い上げてくる柚希が、相手にとってそれほどまでに脅威となっているということの、何よりの証拠ではないのか。
(冗談じゃないわ……)
予定変更。柚希は前方に鋭く目を向けて、ペースを上げた。宮沢さんとの距離を縮め、自分の力を示すために。
ついさっき柚希の頭上の鉄橋で、京浜東北線が左にカーブして山側のトンネルへと突っ込んでいったが、それに続くように、地上の柚希も本牧の間門の交差点を左折していく。
そこからのS字カーブは、道路のアスファルトがうねって隆起したようなアップダウンになっていた。だが柚希にとって、そんなのは朝飯前。それすらも、走りを加速させるアクセントにしてやろうと思った。
すると今度は道路が直線に変わった。前方に目を向けると、さっきよりも差が縮まっている。さすがにそろそろ相手のペースが落ちてきているのがわかった。もうすぐ、2キロになる。
あとは、どこで仕掛けるか。それしか考えていなかった。
◇
【画面は、1号車です】
『はい。先頭のジャスミン大学・宮沢が、先ほど間門の交差点を過ぎまして、本牧通りの大きな直線道路に入ってきています。先ほどスタジオの鱒川さんから、後ろの小泉のほうが実績で上回るというお話もありましたが、やはり追いついてきましたね、高梨さん?』
「1号車の解説席から見ていても、明らかに差が詰まってきていますね」
『この本牧通りはかつて、横浜市電、いわゆる路面電車が走っていたエリアでもあります。1972年に廃業となるまで、市民の移動を支えました。ですから、このあたりだいぶ道幅が広いですよね」
「えぇ。選手からすると、周りの景色がゆっくり進むように感じるんですよね」
『そうなんですか?』
「はい。こう、何も目印がない、広い海の上をプカプカ浮かんでいる姿を想像していただくとわかりやすいかと思いますけど、景色に釣られて自分の動きまで緩くなってしまったり、逆に遅いんじゃないかと不安にかられてオーバーペースになってしまう選手もいます」
『そういう時、選手はどう対処したらいいんでしょうか?』
「例えば、沿道側に少し寄って、景色の変化を感じられる工夫をしたり、あるいは前の選手との距離感を常に意識したり、ということが大事になってきます」
『なるほど。6区は6・4キロ、みなと駅伝の中では比較的短いコースなんですが、選手には精密なペース感覚が求められるわけですね』
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