花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ

文字の大きさ
1 / 12
第一章 異世界召喚と婚姻制度

第1話「召喚と契約」

しおりを挟む

 視界が白い光に包まれ、一瞬目が眩んだと思ったら、私は見知らぬ大広間の真ん中に立っていた。
 見上げれば、高くそびえる石造りの天井。壁には繊細な彫刻が施され、磨かれた木の床が光を映している。空気は冷ややかで、それでいて独特の香が漂っていた。

(……ここ、どこ? さっきまで会社帰りで駅にいたはずなのに)

 驚きと動揺で混乱している私の前に、法服を纏った男が一歩進み出てきた。穏やかで低い声が、広間に反響する。

「桜井美琴殿。突然のことでご無礼をお許しください。ここは〈エルネシア王国〉。あなたは我らが国の婚姻制度のために召喚されました」

 召喚? 婚姻制度? 私は耳を疑った。

「……召喚、ですか」

 事実を確認するように声を出す。

「はい。この国は慢性的に女性が不足しており、国の存続のため、異界より花嫁を迎えております。あなたにはこの国で“花嫁”として生きていただきます」

 彼の口調は丁寧で、まるで罪悪感を抱いているかのように低い。けれど、内容はどう考えても理不尽だ。
 だが彼は話し続ける。

「まずお伝えしなければならないことがあります。帰還の術は存在いたしません」

 胸の奥がきゅっと固まる。私はすぐに口を開いた。

「待ってください。呼び出せるのに、帰すことはできないって……おかしくないですか?」
「お気持ちは理解します。しかし召喚術は“こちらへ引き寄せる”ためのものであり、反対に送り返す術式は体系化されておりません」
「……普通に考えて、招き寄せられるなら、戻す方法も探せるはずです」

 思わず刺のある言葉が出る。男は申し訳なさそうに目を伏せた。

「確かに道理としてはそうです。理屈としては可能性があると古文書にも記されております。しかし、莫大な魔力と研究が必要で、現状は不可能なのです。どうかご理解を……」

 (つまり、“やりたくてもできない”じゃなくて、“やる気がない”ってことね。だって、召喚は成立してるんだから)

 心の奥に冷たい苛立ちが広がる。勝手に呼び出して、勝手な要求を突き付けて、それを理解しろ、だなんて。
 怒りと呆れで言葉が出ない。あんまりな言い分だと思う。

 男はさらに続ける。

「滞在のためには、王国の法に則り、契約書に署名をお願いせねばなりません」

 男が羊皮紙と羽ペンを差し出す。表題には「婚姻候補者受け入れ契約書」とあった。
 ここにサインしなければ滞在権が与えられない――そういうことらしい。そちらから招いておきながら、契約しなければ国外に追い出す、ということだろうか。

「こちらが契約文です。ご署名をいただければ、正式に滞在が認められます。署名の際には魔術印が押されます」
「魔術印って、具体的にどういう拘束力があるんですか?」

 私はすかさず尋ねる。疑いを隠す気はなかった。

「記録として残るだけです。肉体や精神に干渉するものではありません」
「本当ですか?」
「ええ。もし強制力があれば、制度そのものが信頼を失います」

(“信頼を失う”って……もうとっくに失っていると思うけど)

「契約しなければどうなるんですか?」
「滞在権が与えられません。食事も住居も、王国の庇護下に置けなくなります」
「無一文で放り出されるってことですか? 国外に追放とか? それとも不法入国で刑罰を受けるんですか?」
「そのような非道を行わないための契約です。あなたを守るためなのです」

 ものは言いようだなと内心で苦笑する。要するに、従わなければ生きていけないということ。選択を迫っているようで強制してる。
 私は羊皮紙を手に取り、行を追って確認した。
 小さな文字でびっしりと綴られた条文は、確かに精神を縛るような文言は見当たらない。だけど“遵守しなければ処罰あり”だとか“安全の保障ができない”だとかが何度も出てくる。

 憤ることを止められない。けれどここで声を荒げても無意味なことは分かっていた。
 私は表情を整え、ゆっくり羽ペンを手に取る。このまま大人しく従うのは癪だった。

 羽ペンをインクに浸し――私はほんの少しだけ、意地を込めた。

 「桜井」ではなく、「櫻井」。普段は使わない旧字体を選んで記す。さらに下の「琴」の字は、わずかに形を崩してみた。
 最初から名前を呼ばれていた。つまり、何らかの方法であちらは私が召喚されて来ることを知っていたのだ。

(召喚されたのは桜井美琴。契約したのは櫻井美琴。これで契約が有効なら、“本人確認”なんて形だけだってこと。せめて私の抵抗を刻んでおく)

 青い光が文字に走り、淡い紋様が浮かんではすぐに消える。魔術はちゃんと発動したようだ。

「……署名を確認しました。ありがとうございます」

 男が深々と頭を下げる。私の偽称に気づく様子もなく、安堵している。

(私の小さな抵抗なんて、この国にとっては誤差でしかないのかな……)

 胸の奥が冷たく重く沈んだ。
 そうこうしているうちに、男が新しい巻物を開いて穏やかに告げる。

「――ここからは制度のご説明となります」

 彼によれば、王国では花嫁不足が深刻で、召喚によって候補者を見繕っているらしい。制度に則り、複数の男性と順次お見合いを重ね、一定期間を経たのち、正式な結婚相手を選ぶ。

「……つまり、私は強制的にお見合いを繰り返して、この国の誰かと結婚するってことですか」
「強制ではございません。拒否することも選択肢のひとつです。ただし、滞在と生活を守る制度に組み込まれるためには、最低限の段階は踏んでいただきます」

 言葉の端々から滲む“逃げ場のなさ”に、私は息苦しさを覚えた。
 拒否は自由? でも制度に参加しないと生きていけない。自由と強制の板挟み――詭弁のようにしか聞こえない。

「……わかりました。聞くだけは、聞きます」

 私の声は、思ったよりも落ち着いていた。
 内心の怒りは押し込めて、冷静に状況を受け止めるしかない。ここで取り乱しても、私の立場は何ひとつ改善しないのだから。

 こうして私は――異世界の花嫁候補として、お見合い制度に足を踏み入れることになった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』

宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?

想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…

宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。 いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。 しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。 だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。 不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。 差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、 彼女は“自分のための人生”を選び初める。 これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。

異世界召喚されたアラサー聖女、王弟の愛人になるそうです

籠の中のうさぎ
恋愛
 日々の生活に疲れたOL如月茉莉は、帰宅ラッシュの時間から大幅にずれた電車の中でつぶやいた。 「はー、何もかも投げだしたぁい……」  直後電車の座席部分が光輝き、気づけば見知らぬ異世界に聖女として召喚されていた。  十六歳の王子と結婚?未成年淫行罪というものがありまして。  王様の側妃?三十年間一夫一妻の国で生きてきたので、それもちょっと……。  聖女の後ろ盾となる大義名分が欲しい王家と、王家の一員になるのは荷が勝ちすぎるので遠慮したい茉莉。  そんな中、王弟陛下が名案と言わんばかりに声をあげた。 「では、私の愛人はいかがでしょう」

転生先は男女比50:1の世界!?

4036(シクミロ)
恋愛
男女比50:1の世界に転生した少女。 「まさか、男女比がおかしな世界とは・・・」 デブで自己中心的な女性が多い世界で、ひとり異質な少女は・・ どうなる!?学園生活!!

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

氷の騎士と陽だまりの薬師令嬢 ~呪われた最強騎士様を、没落貴族の私がこっそり全力で癒します!~

放浪人
恋愛
薬師として細々と暮らす没落貴族の令嬢リリア。ある夜、彼女は森で深手を負い倒れていた騎士団副団長アレクシスを偶然助ける。彼は「氷の騎士」と噂されるほど冷徹で近寄りがたい男だったが、リリアの作る薬とささやかな治癒魔法だけが、彼を蝕む古傷の痛みを和らげることができた。 「……お前の薬だけが、頼りだ」 秘密の治療を続けるうち、リリアはアレクシスの不器用な優しさや孤独に触れ、次第に惹かれていく。しかし、彼の立場を狙う政敵や、リリアの才能を妬む者の妨害が二人を襲う。身分違いの恋、迫りくる危機。リリアは愛する人を守るため、薬師としての知識と勇気を武器に立ち向かうことを決意する。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

異世界転移して冒険者のイケメンとご飯食べるだけの話

ゴルゴンゾーラ三国
恋愛
 社畜系OLの主人公は、ある日終電を逃し、仕方なく徒歩で家に帰ることに。しかし、その際帰路を歩いていたはずが、謎の小道へと出てしまい、そのまま異世界へと迷い込んでしまう。  持ち前の適応力の高さからか、それとも社畜生活で思考能力が低下していたのか、いずれにせよあっという間に異世界生活へと慣れていた。そのうち家に帰れるかも、まあ帰れなかったら帰れなかったで、と楽観視しながらその日暮らしの冒険者生活を楽しむ彼女。  一番の楽しみは、おいしい異世界のご飯とお酒、それからイケメン冒険者仲間の話を聞くことだった。  年下のあざとい系先輩冒険者、頼れる兄貴分なエルフの剣士、口の悪いツンデレ薬師、女好きな元最強冒険者のギルド長、四人と恋愛フラグを立てたり折ったりしながら主人公は今日も異世界でご飯を食べる。 【この作品は『小説家になろう』『カクヨム』『Pixiv』にも掲載しています】

処理中です...