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第一章 異世界召喚と婚姻制度
第1話「召喚と契約」
しおりを挟む視界が白い光に包まれ、一瞬目が眩んだと思ったら、私は見知らぬ大広間の真ん中に立っていた。
見上げれば、高くそびえる石造りの天井。壁には繊細な彫刻が施され、磨かれた木の床が光を映している。空気は冷ややかで、それでいて独特の香が漂っていた。
(……ここ、どこ? さっきまで会社帰りで駅にいたはずなのに)
驚きと動揺で混乱している私の前に、法服を纏った男が一歩進み出てきた。穏やかで低い声が、広間に反響する。
「桜井美琴殿。突然のことでご無礼をお許しください。ここは〈エルネシア王国〉。あなたは我らが国の婚姻制度のために召喚されました」
召喚? 婚姻制度? 私は耳を疑った。
「……召喚、ですか」
事実を確認するように声を出す。
「はい。この国は慢性的に女性が不足しており、国の存続のため、異界より花嫁を迎えております。あなたにはこの国で“花嫁”として生きていただきます」
彼の口調は丁寧で、まるで罪悪感を抱いているかのように低い。けれど、内容はどう考えても理不尽だ。
だが彼は話し続ける。
「まずお伝えしなければならないことがあります。帰還の術は存在いたしません」
胸の奥がきゅっと固まる。私はすぐに口を開いた。
「待ってください。呼び出せるのに、帰すことはできないって……おかしくないですか?」
「お気持ちは理解します。しかし召喚術は“こちらへ引き寄せる”ためのものであり、反対に送り返す術式は体系化されておりません」
「……普通に考えて、招き寄せられるなら、戻す方法も探せるはずです」
思わず刺のある言葉が出る。男は申し訳なさそうに目を伏せた。
「確かに道理としてはそうです。理屈としては可能性があると古文書にも記されております。しかし、莫大な魔力と研究が必要で、現状は不可能なのです。どうかご理解を……」
(つまり、“やりたくてもできない”じゃなくて、“やる気がない”ってことね。だって、召喚は成立してるんだから)
心の奥に冷たい苛立ちが広がる。勝手に呼び出して、勝手な要求を突き付けて、それを理解しろ、だなんて。
怒りと呆れで言葉が出ない。あんまりな言い分だと思う。
男はさらに続ける。
「滞在のためには、王国の法に則り、契約書に署名をお願いせねばなりません」
男が羊皮紙と羽ペンを差し出す。表題には「婚姻候補者受け入れ契約書」とあった。
ここにサインしなければ滞在権が与えられない――そういうことらしい。そちらから招いておきながら、契約しなければ国外に追い出す、ということだろうか。
「こちらが契約文です。ご署名をいただければ、正式に滞在が認められます。署名の際には魔術印が押されます」
「魔術印って、具体的にどういう拘束力があるんですか?」
私はすかさず尋ねる。疑いを隠す気はなかった。
「記録として残るだけです。肉体や精神に干渉するものではありません」
「本当ですか?」
「ええ。もし強制力があれば、制度そのものが信頼を失います」
(“信頼を失う”って……もうとっくに失っていると思うけど)
「契約しなければどうなるんですか?」
「滞在権が与えられません。食事も住居も、王国の庇護下に置けなくなります」
「無一文で放り出されるってことですか? 国外に追放とか? それとも不法入国で刑罰を受けるんですか?」
「そのような非道を行わないための契約です。あなたを守るためなのです」
ものは言いようだなと内心で苦笑する。要するに、従わなければ生きていけないということ。選択を迫っているようで強制してる。
私は羊皮紙を手に取り、行を追って確認した。
小さな文字でびっしりと綴られた条文は、確かに精神を縛るような文言は見当たらない。だけど“遵守しなければ処罰あり”だとか“安全の保障ができない”だとかが何度も出てくる。
憤ることを止められない。けれどここで声を荒げても無意味なことは分かっていた。
私は表情を整え、ゆっくり羽ペンを手に取る。このまま大人しく従うのは癪だった。
羽ペンをインクに浸し――私はほんの少しだけ、意地を込めた。
「桜井」ではなく、「櫻井」。普段は使わない旧字体を選んで記す。さらに下の「琴」の字は、わずかに形を崩してみた。
最初から名前を呼ばれていた。つまり、何らかの方法であちらは私が召喚されて来ることを知っていたのだ。
(召喚されたのは桜井美琴。契約したのは櫻井美琴。これで契約が有効なら、“本人確認”なんて形だけだってこと。せめて私の抵抗を刻んでおく)
青い光が文字に走り、淡い紋様が浮かんではすぐに消える。魔術はちゃんと発動したようだ。
「……署名を確認しました。ありがとうございます」
男が深々と頭を下げる。私の偽称に気づく様子もなく、安堵している。
(私の小さな抵抗なんて、この国にとっては誤差でしかないのかな……)
胸の奥が冷たく重く沈んだ。
そうこうしているうちに、男が新しい巻物を開いて穏やかに告げる。
「――ここからは制度のご説明となります」
彼によれば、王国では花嫁不足が深刻で、召喚によって候補者を見繕っているらしい。制度に則り、複数の男性と順次お見合いを重ね、一定期間を経たのち、正式な結婚相手を選ぶ。
「……つまり、私は強制的にお見合いを繰り返して、この国の誰かと結婚するってことですか」
「強制ではございません。拒否することも選択肢のひとつです。ただし、滞在と生活を守る制度に組み込まれるためには、最低限の段階は踏んでいただきます」
言葉の端々から滲む“逃げ場のなさ”に、私は息苦しさを覚えた。
拒否は自由? でも制度に参加しないと生きていけない。自由と強制の板挟み――詭弁のようにしか聞こえない。
「……わかりました。聞くだけは、聞きます」
私の声は、思ったよりも落ち着いていた。
内心の怒りは押し込めて、冷静に状況を受け止めるしかない。ここで取り乱しても、私の立場は何ひとつ改善しないのだから。
こうして私は――異世界の花嫁候補として、お見合い制度に足を踏み入れることになった。
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