不殺の暗殺者と呼ばれた男 ~スキル:タコは思っていた以上に高性能でした~

川原源明

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第3章 冒険者活動スタート!

第17話 休息

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 ギルドでの報告を終えると、夜の王都はすっかり落ち着いた雰囲気に包まれていた。

 石畳にぽつりぽつりと灯る街灯。昼の喧騒が嘘のように静まり返った路地には、わずかに潮の香りが混じっている。潮風か、それとも魚市場の残り香か。風の向きによって空気の質まで変わってしまうのが、この街の面白いところだった。

 俺は一人で歩いていた。

 今日の戦闘の余韻が、身体のあちこちに残っている。肩に鈍い痛み。脇腹に引きつるような張り。どれも、日中のあのオークとの戦いで受けた負荷の名残だった。

(……この身体、限界が早いな)

 スキル《唾液毒化》で自分自身を変化させたことで、今の俺は見た目も中身も“女”になっている。クラリスの話では、若返りも含まれているらしい。確かに関節の可動域や筋肉の反応は鋭くなった。だが、持続力やパワーという点では、以前の“男の身体”のほうが勝っていた気がする。

 特に今日のような連続戦闘では、それが顕著だった。回避はできても、押し返せない。一撃の重さが足りず、斬りきれない。毒や触手で補ってはいたが、それでも限界はある。

(……そろそろ戻すか)

 そう思いながらも、俺はその場で立ち止まることはしなかった。

 理由は単純。この格好で変身すれば、服のサイズが合わなくなり、逆に不審者扱いされかねない。今は“女の姿”のままで、外套も女性用のものだ。男の身体に戻れば、裾は足りず、肩がきつく、何より目立つ。

(戻るなら、宿に入ってからだな)

 幸い、クラリスが紹介してくれた宿が近くにある。女性でも安心して泊まれると評判の場所だが、もちろん男性客も受け入れているらしい。まずはそこへ向かおう……そう思った、その時だった。

 ふと視界の端に、見慣れた看板が映った。

(……武具屋?)

 街角にひっそりと佇む、小さな店。明かりが灯っているということは、まだ営業中らしい。

 俺は足を止めた。

 今日の戦いを振り返ると、今の装備に若干の不安が残っていた。特に武器。重さ、リーチ、グリップの感触――どれも、女体化した今の俺には微妙に合っていなかった。

(見るだけ、見るだけな)

 そう自分に言い聞かせながら、扉を押した。鈴の音が小さく鳴る。

「いらっしゃい。あら、珍しい顔ね」

 迎えてくれたのは、眼鏡をかけた中年の女性店主だった。手には油まみれの布と鉄製のトング。どうやら武器の手入れをしていたらしい。

「軽く見ていっても?」

「もちろん。女の子用なら、棚の左側。軽めの武器が揃ってるわ」

「……ありがとうございます」

 言われた通りの棚を見て回る。細身の短剣、装飾付きのレイピア、軽量化された槍。どれも見た目は華奢で扱いやすそうだ。だが、柄が細すぎる。バランスも軽すぎる。

 一つ手に取って、軽く構えてみる。

(うーん……悪くはないけど)

 しっくりこない。そう、ただ“軽い”だけじゃダメなのだ。手のひらに収まる感覚、肘や肩への負荷の伝わり方、全体の重心バランス――そのどれもが、かつての身体のときとは微妙に違っていた。

 女体化した今の身体に合わせて“無理なく振れる”武器はある。けれど、“納得して使える”武器が見つからない。

 そっと棚に戻し、店を後にした。

「ありがとね。またどうぞ」

「はい……また」

 扉を閉めると、再び冷たい夜風が頬を撫でた。

(結局、男の身体のときの方が、俺には合ってるってことか)

 感覚の違い。それを、改めて実感した。武器だけじゃない。走るときのバランス、力を入れるときの支点、手のひらの大きさ。すべてが微妙にズレている。

 これは“慣れれば解決する”という問題ではない。むしろ、どちらかに絞ったほうがいいのかもしれない。

(……ひとまず、戻ろう)

 そう決めて、俺はクラリスに教えられた宿の扉を開けた。

「いらっしゃいませ。ご予約は……?」

「すみません、予約なしなんですが。空き部屋ってありますか?」

「はい、大丈夫ですよ。ご本人確認のために、ギルドカードをお願いします」

「これで……」

 ギルドカードを手渡すと、店主が魔力反応を確認し、すぐに鍵を渡してくれた。

「二階の奥、階段を上がって右手の部屋になります。ごゆっくりお過ごしください」

「ありがとう」

 部屋に入ると、そこは予想以上に静かで落ち着いた空間だった。小ぶりのベッド、木製の机、明かり付きのランプ。そして、壁に備え付けの姿見がひとつ。

 扉をしっかり閉めてから、俺は外套を脱いだ。下着姿になると、身体の線がよくわかる。胸は控えめだが確かに膨らんでいて、腰は細く、肌は滑らかだ。

(変な気分だよな……自分の身体なのに)

 深く息を吸い、決心する。

 舌の裏に少し唾を溜め、それを喉へと流し込む。

 刹那、全身が痙攣した。

「……ッ!」

骨が軋み、筋肉が裏返り、内臓が再配置されるような感覚。呼吸が止まり、視界が霞む。手足が震え、脂汗がにじんだ。何度経験しても、この激痛には慣れない。
「……っ、く……!」
頭の奥が焼けつくように痛み、視界の隅に星が散る。
そのとき、ふいにどこからか声が響いた。
『ねぇ、やる前に痛みを抑える効果のあるものを作ればいいのに……』
「……そういうのは、もっと早く言え」

痛みにのたうち回りながら、俺は思わず心の中で突っ込んだ。

「そんな手段があるなら、やるっつーの……」

ラメールの声は、あいかわらずのんびりとしていた。が、その温度差が今は妙に腹立たしい。

それでも――激痛の波がようやく引いたころ、鏡の中には若いころの俺がいた。

 男の姿。少年のような顔つきに戻った自分。肩幅が広がり、喉仏が戻り、手が大きくなっている。

 ふと、机の上に置いてあったナイフを手に取ってみる。

「……ああ、やっぱり」

 柄の太さが、手にしっくりと馴染んだ。振ったときのバランス、手首の反動、刃の延長線上にある感覚。

「軽い……んじゃない。これが、馴染むんだ」

 たったこれだけのことでも、身体の違いは明白だった。戦ったわけじゃない。けれど、“戦えそう”と思えるだけの感覚が戻ってきていた。

 ベッドに腰を下ろし、少しだけ目を閉じた。
 今日の戦い。廃屋で感じた得体の知れない気配。セリカが俺を見たときの真剣な目。ジルの静かな問いかけ。
 それらが渦を巻くように思考をかき乱す。

(明日は……どうなる)

 俺は“同行させてください”と、自分から申し出た。あの場でそう口にしたのは、衝動か、それとも責任感か。
 けれど、今の自分に、どこまでのことができるのかは分からない。
 スキル《タコ》は、柔軟で応用の利く力だ。けれど――

(対多数は、正直厳しい。逃げ場がないなら、なおさら……)

 それでも、自分の目で“あの場所”をもう一度確かめたいと思ったのは事実だった。

(……やるしかないか)

 小さく息を吐き、背中をベッドに預ける。
 外では風が唸っていた。窓の向こうの王都は、まだ目を覚ましたままだ。
なかった。
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