最後の竜はいとし子と永遠の愛を紡ぐ

園生

文字の大きさ
10 / 35
第二章 アシェル先生

第四話

しおりを挟む
 タームと話し込んでいるうちにすっかり日が暮れてしまった。暗くなった丘を見やったアシェルはサッと青褪めた。
 ラオドールと約束したことがふと頭の中をよぎってヒヤリとする。
 
 ――日が暮れる前に必ず屋敷の中に入りなさい。
 
 ハンクスにも言われていた。
 
 ――くれぐれも寄り道はしないで真っ直ぐ帰るんだぞ。
 
 丘の入口に立ったアシェルは、ふと後ろを振り返った。……気のせいだろうか。人の気配がするような。
 そんなはずはない、この丘を登っていくのは屋敷に住む自分だけだと思い直して、頭から悪い想像を振り払い急いで歩を進める。
 
 息を切らせながら登っていくうちに、アシェルの胸の奥がザワザワしてきて、鼓動が徐々に速まっていく。
 自分の足音以外にも、やはり誰かの足音がするようだ。まるでアシェルの後ろをこっそりと追いかけてくるような、そんな気配がする。
 
 ……どうしよう。これはどうやら気のせいなんかじゃない。
 なぜ僕の後を追いかけてくるんだろう。……何も言わずに。
 
 どうしよう。
 こわい。
 
 恐怖で足がもつれ、足元にあった石にうっかりつまずいてアシェルが地面に倒れ込むと、後ろから「あッ」という声がした。暗闇の中で何者かに強く腕を掴まれて、びくっとアシェルの全身が震える。
 
「は、放してッ!」
 
 反射的に腕を振り払い、大声を上げるとハッと息を呑んだ気配がした。体を返して仰ぎ見ると、ちょうど雲の隙間から月が出てきたタイミングだったようだ。辺りが急に明るくなり自分の上に覆い被さるようにしている相手の姿がアシェルの目に映った。
 
  ――え?
 
 よく見知ったその顔にアシェルが唖然としていると、目の前で相手の眼の色がゆっくりと尋常じゃないものに変わっていくのがわかった。
 欲を孕み、どろりと濁った瞳がアシェルを見下ろす。
 
 呼吸が止まった。
 
 月明りに照らされたアシェルの顔や、転んでしまったせいで乱れた衣服からのぞく肌を凝視しながら、はあはあと荒い息を吐き出し、生温かいそれがアシェルまで届く。
 ざわっと全身が総毛立つほどの恐怖をアシェルは初めて覚えた。
 
「……どいて、ください……」
 
 掠れた声で懇願する。
 
  ――どんな善人でも魔が差してしまう時はある。
 
 ふいにラオドールの声がアシェルの耳の奥で蘇った。
 
 ――それが暗闇だ。だから、日が完全に落ちる前に屋敷の中に入るようにとおまえに言っておいたのに。
 
(……ごめんなさい、ラオドール様! 言いつけをちゃんと守らなくて)
 
 ぎゅっと目を瞑った。
 後悔でじわりと涙が滲む。
 
 手首を強く掴まれ、首筋に唇を押し当ててそのまま圧し掛かってきた男に驚いて、アシェルは目を見開いた。
 いやいやと首を振り、ありたっけの力を込めて足で蹴る。二度、三度。
 四度目の蹴りは男の鳩尾に入ったようだ。男が呻き声を上げ、体の上から退いた。
 
「や……ッ、やめてくださいッ……ファル先生!」
 
 大きな声でその名を呼ぶと、尻もちをついたファルが呆然とした顔でアシェルを見ていた。
  
「……あ、……おれ……」
 
 アシェル以上に何が起きたかわかってない顔だ。
 信じられないというようにアシェルを掴んでいた自分の両手を見、わなわなとその体が震え始める。
 
「ごめ……ちがう……そうじゃなくて、そういうつもりじゃなくて……俺は」
 
 ファルの服の懐から不意に何かがぽとりと地面の上に落ちた。
 月明りに照らされ、それがアシェルの目にも映る。
 それは――いくつもの花をモチーフに、丁寧に時間をかけられて彫られた、壁掛けの木彫りだった。
 
 その木彫りを拾い上げて胸に抱え、肩を震わせてファルが咽び泣く。
 
「……俺なんか、アシェル先生の眼中に全くないってことはわかってたんだ。……誕生日だって教えてもらってなかったくらいだし。だからって何も言わないまま、そのまま諦めることは出来なくて。……だから最後に、この木彫りだけプレゼントして求婚して、断られて諦めようと……そう思ってたのに」
 
 やっと出来上がった木彫りをアシェルに渡そうとファルが屋敷まで来たところ、たまたま前を歩いているアシェルに気付き、アシェルがつまずいたから、それを助け起こそうとした。
 
 ――今起きた事実を言えばたったそれだけだった。
 
 だが、それだけではなかったことは二人にはわかっていた。
 
「ごめん……アシェル先生。ごめん……ッ!」
「……ファル先生、ごめんなさい。そんなふうに僕のことを思っていてくださったなんて、ちっとも気付かなくて。でも、僕には好きなひとがいるんです。そのひと以外の方に求婚されても受ける気はなくて。……ごめんなさい」
 
 静かな声でアシェルはファルに謝った。
 
 ――今起きたことは全部なかったことにしたい。
 
 震える足を叱咤して、まるで何もなかったかのように立ち上がるとアシェルはファルに手を差し伸べた。
 
「ファル先生。これからも、どうぞ……仲のいい同僚としてよろしくお願いします」
 
 真っ青な顔ではらはらと涙をこぼすファルが弱々しくアシェルを見上げる。 
 その顔を見つめながら、アシェルは気力を総動員させて無理矢理笑みを作って顔に浮かべた。
  
(こんなふうにファル先生との関係を終わらせてしまいたくない。……僕が悪いんだ。隙、を与えてしまったから)
 
 ファルと握手をしながらアシェルはラオドールの顔が見たい、と心の底から思った。
 
 今起きたことを全て話して、叱られて、ごめんなさい、と謝って許してもらいたい。そして慰めてもらってあたたかいその胸の中で、まるで子供の頃のように体を丸めて眠ってしまいたい。――悪夢を全て忘れてしまえるように。
 
 けれど、ラオドールは今ここにはいなかった。


  
 その晩からアシェルは熱を出した。乱れた服と誰かに強く手首を掴まれた跡に気付いたネロとハンクスが血相を変え、アシェルから理由を聞き出そうとしたが、アシェルは一言もその理由を説明しなかった。
 困り切った二人がガロンを呼び、布団にくるまるアシェルに話しを聞きにきたが、それでもアシェルは話さなかった。
 
「アシェル坊ちゃま。もしやと思いますが……無理矢理誰かに乱暴されて、口に出さないような酷いことをされてしまいましたか」
「いいえ……いいえ」
 
 手首を強く掴まれただけだとそう言うと、ガロンはほっと胸を撫で下ろし、布団の上からアシェルをぎゅっと抱きしめてくれた。
 
「言いたくないのには、きっと訳がおありになるんでしょう。もし話したくなったらいつでもこのガロンが聞きますから。もちろん、他言は一切しません。まるで置き人形にでも話すような気持ちで、気軽に話してくださっていいですから」
 
 ガロンの気持ちがありがたくてアシェルは全て話してしまおうかとも思ったが、なぜか言葉に出来なかった。
 
 それから一週間以上たっても熱が下がらず、ベッドから出れないままでいるアシェルをハンクスが何度も見にきて、気になる学校の様子を聞かせてくれた。
 
「最近、この丘で獣が獲れるようになったせいか、腹を空かせている子たちが減って、体調を崩して休む生徒も減っているらしいぞ」
「……よかった」
「それと、ファル先生が急に学校を辞められて、この街を出てしまったそうだ。あんまり急だったので周りも驚いているようだが……」
 
 ああ、辞めてしまったんだ。
 熱でぼうっとした意識の中でファルに謝る。
 
 そして喧嘩してばかりだったが、ファルと仲の良かった双子の妹のシャーナにも。
 
(ごめんね……ごめんなさい。こんなことになってしまって)
 
「アシェル坊ちゃん、本当にすまない。あんなにラオドール様に言われていたのに。坊ちゃんを一人で帰した俺が悪い。……ごめんな、本当にごめん」
 
 ベッドのそばで項垂れ、悲痛な声で謝るハンクスに申し訳ないと思ったが、どうしてもアシェルは体を起こすことが出来なかった。
 
(ハンクスさんは何も悪くないです。どうか、謝らないでください……)

  
 なかなか熱が下がらないアシェルを心配し、何度も街から医者を呼んで診てもらったようだったが、「風邪ではないようだ」と医者は頭を振るばかりで原因はわからないままだった。
 ラオドールの元へアシェルの様子を知らせる手紙を出しているようだったが、それも全てアシェルにとってはベッドの中の、夢うつつの出来事だった。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

中年冒険者、年下美青年騎士に番認定されたことで全てを告白するはめになったこと

mayo
BL
王宮騎士(24)×Cランク冒険者(36) 低ランク冒険者であるカイは18年前この世界にやって来た異邦人だ。 諸々あって、現在は雑用専門冒険者として貧乏ながら穏やかな生活を送っている。 冒険者ランクがDからCにあがり、隣国の公女様が街にやってきた日、突然現れた美青年騎士に声をかけられて、攫われた。 その後、カイを〝番〟だと主張する美青年騎士のせいで今まで何をしていたのかを文官の前で語ることを強要される。 語らなければ罪に問われると言われ、カイは渋々語ることにしたのだった、生まれてから36年間の出来事を。

呪いの姫は祝いの王子に愛される

七賀ごふん
BL
【俺は彼に愛される為に生まれてきたのかもしれない】 呪術師の家系で育った青年、ユノは身内が攫ってきたリザベルと出会う。昏睡の呪いをかけられたリザベルを憐れに思い、隠れて彼を献身的に世話していたが…。 ─────────── 愛重めの祝術師✕訳あり呪術師。 同性婚│異世界ファンタジー。 表紙:七賀ごふん

辺境の酒場で育った少年が、美貌の伯爵にとろけるほど愛されるまで

月ノ江リオ
BL
◆ウィリアム邸でのひだまり家族な子育て編 始動。不器用な父と、懐いた子どもと愛される十五歳の青年と……な第二部追加◆断章は残酷描写があるので、ご注意ください◆ 辺境の酒場で育った十三歳の少年ノアは、八歳年上の若き伯爵ユリウスに見初められ肌を重ねる。 けれど、それは一時の戯れに過ぎなかった。 孤独を抱えた伯爵は女性関係において奔放でありながら、幼い息子を育てる父でもあった。 年齢差、身分差、そして心の距離。 不安定だった二人の関係は年月を経て、やがて蜜月へと移り変わり、交差していく想いは複雑な運命の糸をも巻き込んでいく。 ■執筆過程の一部にchatGPT、Claude、Grok BateなどのAIを使用しています。 使用後には、加筆・修正を加えています。 利用規約、出力した文章の著作権に関しては以下のURLをご参照ください。 ■GPT https://openai.com/policies/terms-of-use ■Claude https://www.anthropic.com/legal/archive/18e81a24-b05e-4bb5-98cc-f96bb54e558b ■Grok Bate https://grok-ai.app/jp/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%A6%8F%E7%B4%84/

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募するお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

平民男子と騎士団長の行く末

きわ
BL
 平民のエリオットは貴族で騎士団長でもあるジェラルドと体だけの関係を持っていた。  ある日ジェラルドの見合い話を聞き、彼のためにも離れたほうがいいと決意する。  好きだという気持ちを隠したまま。  過去の出来事から貴族などの権力者が実は嫌いなエリオットと、エリオットのことが好きすぎて表からでは分からないように手を回す隠れ執着ジェラルドのお話です。  第十一回BL大賞参加作品です。

処理中です...