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第二十九話『月詠みの神殿と、閉ざされた心』
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『月詠みの神殿』。
その地下に『月の聖杯』が隠されている。
もはや疑いの余地はなかった。
「あの頑固ジジイ……! 我々に隠し事をしていたな!」
アレクシオス陛下は怒りを露わに再びヴァスコ総督の屋敷へと乗り込んだ。
捕らえた残党と地下水路の地図を突きつける。
しかしヴァスコ総督の態度は変わらなかった。
「……だから何だと言うのだ。神殿は我が水の都の民の信仰の礎。そして……」
彼は苦渋に満ちた表情で言葉を続けた。
「病に苦しむ私のたった一人の孫娘リーナの……唯一の心の拠り所なのだ。何人たりともあの場所を穢させるわけにはいかん」
総督によると孫娘のリーナ様の病は大陸中のどんな名医にもどんな高名な神官にも治すことができなかったという。
原因不明の奇病。日に日に彼女は衰弱していく。
そんな彼女が唯一安らぎを感じられるのが静かな『月詠みの神殿』で祈りを捧げる時だけなのだと。
「ならば力づくででも神殿を調査させてもらう!」
業を煮やした陛下がそう息巻くのを私はそっと手で制した。
「陛下、お待ちください。それではただの侵略者になってしまいます」
「だがイリス!」
「私に……。どうかリーナ様と、お話しさせてはいただけませんか?」
私の提案に陛下は一瞬不満げな顔をした。
「君がそう言うのなら……。でもあんな頑固ジジイの孫だぞ? きっと意地悪で性格の悪い娘に決まっている!」
まだ総督との喧嘩を根に持っているようだ。
私はヴァスコ総督の案内でリーナ様の部屋へと通された。
部屋の中は薬草の匂いが満ちていた。
ベッドの上に座っていたリーナ様は窓から見た時よりもさらに儚げで壊れてしまいそうなほど弱々しく見えた。
彼女は私が部屋に入っても一瞥もくれずただ窓の外をぼんやりと眺めているだけ。
完全に心を閉ざしてしまっている。
私は彼女の側に静かに腰掛けた。
そして聖女の力をごくわずかだけ指先に集め彼女の冷たい手にそっと触れた。
温かい浄化の光。
それは彼女を蝕む邪悪な『何か』を優しく和らげていく。
リーナ様の体がぴくりと震えた。
彼女の病はただの病気ではなかった。
これは呪いだ。
邪悪な魔力による魂の呪縛。
私は彼女が私と同じように聖女の素質をほんの僅かだけ持っていることを見抜いた。
だからこそこの都の地下に眠る『月の聖杯』が放つ邪悪な気に当てられその魂を蝕まれてしまっているのだ。
私の光に触れほんの少しだけ苦痛が和らいだのだろう。
リーナ様はゆっくりと私の方に顔を向けた。
そして何日も開いていなかったかのようなか細い声で初めて口を開いた。
「……助けて……」
「毎晩夢を見るの……」
「神殿の暗い地下で……」
「大きな黒い蛇が……銀色のお月様を丸呑みにしてしまう……そんな怖い夢を……」
その地下に『月の聖杯』が隠されている。
もはや疑いの余地はなかった。
「あの頑固ジジイ……! 我々に隠し事をしていたな!」
アレクシオス陛下は怒りを露わに再びヴァスコ総督の屋敷へと乗り込んだ。
捕らえた残党と地下水路の地図を突きつける。
しかしヴァスコ総督の態度は変わらなかった。
「……だから何だと言うのだ。神殿は我が水の都の民の信仰の礎。そして……」
彼は苦渋に満ちた表情で言葉を続けた。
「病に苦しむ私のたった一人の孫娘リーナの……唯一の心の拠り所なのだ。何人たりともあの場所を穢させるわけにはいかん」
総督によると孫娘のリーナ様の病は大陸中のどんな名医にもどんな高名な神官にも治すことができなかったという。
原因不明の奇病。日に日に彼女は衰弱していく。
そんな彼女が唯一安らぎを感じられるのが静かな『月詠みの神殿』で祈りを捧げる時だけなのだと。
「ならば力づくででも神殿を調査させてもらう!」
業を煮やした陛下がそう息巻くのを私はそっと手で制した。
「陛下、お待ちください。それではただの侵略者になってしまいます」
「だがイリス!」
「私に……。どうかリーナ様と、お話しさせてはいただけませんか?」
私の提案に陛下は一瞬不満げな顔をした。
「君がそう言うのなら……。でもあんな頑固ジジイの孫だぞ? きっと意地悪で性格の悪い娘に決まっている!」
まだ総督との喧嘩を根に持っているようだ。
私はヴァスコ総督の案内でリーナ様の部屋へと通された。
部屋の中は薬草の匂いが満ちていた。
ベッドの上に座っていたリーナ様は窓から見た時よりもさらに儚げで壊れてしまいそうなほど弱々しく見えた。
彼女は私が部屋に入っても一瞥もくれずただ窓の外をぼんやりと眺めているだけ。
完全に心を閉ざしてしまっている。
私は彼女の側に静かに腰掛けた。
そして聖女の力をごくわずかだけ指先に集め彼女の冷たい手にそっと触れた。
温かい浄化の光。
それは彼女を蝕む邪悪な『何か』を優しく和らげていく。
リーナ様の体がぴくりと震えた。
彼女の病はただの病気ではなかった。
これは呪いだ。
邪悪な魔力による魂の呪縛。
私は彼女が私と同じように聖女の素質をほんの僅かだけ持っていることを見抜いた。
だからこそこの都の地下に眠る『月の聖杯』が放つ邪悪な気に当てられその魂を蝕まれてしまっているのだ。
私の光に触れほんの少しだけ苦痛が和らいだのだろう。
リーナ様はゆっくりと私の方に顔を向けた。
そして何日も開いていなかったかのようなか細い声で初めて口を開いた。
「……助けて……」
「毎晩夢を見るの……」
「神殿の暗い地下で……」
「大きな黒い蛇が……銀色のお月様を丸呑みにしてしまう……そんな怖い夢を……」
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