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本編 第一部
20. なぜか面白くないので 前編 <side: ネルヴィス・ロア・フェルナンド>
しおりを挟む第三王子アルフレッドが〈楽園〉の中央棟で、ディルレクシアの一の傍仕えを殴ったことで、〈楽園〉の牢に捕らわれている。
その知らせが入ったのは、ネルヴィスがちょうど屋敷に帰宅した時だった。信頼できる側近の言葉だというのに、なんの冗談かと耳を疑う。
アルフレッドは確かに性格が良いとはいえないが、王侯貴族らしく上手く隠していた。そんなに分かりやすく愚かな真似をするとは思えない。
「それは間違いではないのか?」
確認すると、配下は首を振る。苦い顔が、事実だと告げている。
「第三王子は普段は品行方正に振舞っていますが、短気なので、怒ると周りが見えなくなりますからね。正妃の子にもかかわらず、王位継承の支持者が少ないのはそのせいです」
シーデスブリーク王国は身分を重視するので、問題がなければ、何番目の生まれだろうと母親の身分と議会の可決で、王位継承順位が決まる。
正妃の子なのに、王位継承順位が兄二人のほうが高いのは、議会で票が集まらなかったせいだ。それに何より、父王が後継ぎとして認めていないのが大きい。王は正妃よりも側妃を寵愛していた。
「ネルヴィス様、王宮での噂によりますと、ディルレクシア様がご病気されてから、かの方が変わられたそうです。三日とあけずに、第三王子殿下をお傍に呼んでいたのがぴたりと無くなり、お心変わりまでされたようですよ。それで殿下は焦っておいでだったとか」
「確かに、あの変わりようには私も驚いたが」
病気をしてからしおらしいとタルボが言っていたが、人格が変わりすぎて不気味なほどだ。
「なぜだか殿下を怖がっておいでで、避けようとするので、殿下がお怒りになったようですね。代わりに、レイブン卿にお心が傾き始めているご様子で……」
「待て。怖がる? あのオメガらしくない猛獣が?」
「殿下が愚痴っておりましたのが、ひそかに噂になっているのです」
「不用心だな」
〈楽園〉について、周りに話すとは。皆、〈楽園〉の内部事情には興味津々だ。少しでもこぼせば、あっという間に広まる。
「それで、殿下は?」
「〈楽園〉での沙汰が下るまで、地下牢にとどめられるようですよ」
「しかたないな。あそこは治外法権だ。とりあえず、明日、ディルレクシア様のご様子だけでも確認しに行ってくる」
もしディルレクシアがひどく落ち込んでいたりしたら、〈楽園〉の神官達の怒りが増えて、それだけ第三王子への処罰が重くなる。ディルレクシアのことは嫌いだが、第三王子の意見だけで一方的に決めつけるわけにはいかない。
「レイブン卿にも会うべきか? まったく、面倒だな」
そして、翌日の早朝、王宮に仕事を休むと連絡する前に、王宮から使いが来た。
第三王子がオメガの婚約者候補から外れたそうだ。このままだとレイブン卿が有利なので、バランサーではなく、真面目に婚約者候補に残ってほしいとのこと。
ネルヴィスとしては余計なお世話なことに、王家が応援するという。
「王家とレイブン伯爵の確執は深まるばかりだな」
レイブン家がつぶれたらつぶれたで、王家が困るだろうに。
神官の治癒魔法で治ったが、現王はシオンの祖父が護衛を失敗したせいで怪我をしたことを根に持っており、結界を作る国宝級魔導具の破損もいまだに怒っている。
ただ、ネルヴィスは父から事情を聞いているので、レイブン家には同情的だ。
まだ若く王子の一人にすぎなかった現王が、少ない供だけを連れ、当時のレイブン卿が止めるのも聞かずに無理矢理外出したのが、そもそもの原因だ。魔導具があるからと軽く見て、敵国の暗殺者に狙われた。
国宝級の魔導具を勝手に持ち出したせいで、王の怒りを買うのを避けるために、怪我をしたのを良いことに、レイブン卿に全責任を負わせたようなものである。
(正妃様はご立派な方だからな。第三王子の短所は、どう考えても現王から受け継いだものだと分かっていらっしゃる)
本来なら、王族ですら側室をとることはできない。
だが、正妃と結婚して数年しても子供に恵まれず、しかたなく側室をもうけて、二人の王子が生まれた後に、やっとできた子どもだった。
正妃は大喜びで可愛がったが、成長した王子が王の悪い面を継いでいると気付いて、王位継承問題に口出ししなかった。我が子が王になったら、民がかわいそうだと言っていたと、宰相である父から聞いている。
第三王子の憐れなところは、王が自分に似ていると気付かずに、第三王子の欠点を嘆くところだった。
第三王子もかわいそうな男であるが、分をわきまえていれば、勝手に公爵の地位と広大な領地が転がり込んでくるというのに、オメガを嫁にして王位につこうと欲をかくから、こんなことになったといえる。自分を客観的に見る目に欠けているのだった。
そんなもろもろの事情から、現在のレイブン卿は王家に反発心を抱いている。それが当然だろう。ネルヴィスから見れば、レイブン卿はくさらずによく頑張っている。同年代の男で認めている相手はそう多くないが、そのうちの珍しい一人だった。
(お役御免になって、レイブン卿がディルレクシア様と結婚するのが、世間的にも良いだろうが)
不遇の騎士が、神子と結婚して返り咲く。昔話みたいだ。分かりやすい物語を好む民達は、こぞって噂して、祝福するだろう。
あんな猛獣みたいな妻などいらないから、レイブン卿には頑張ってほしいものだと思いながら、〈楽園〉へと馬車を走らせる。王都の屋敷住まいだが、馬で一時間はかかる。
周りを小高い丘に囲まれた広大な土地が、〈楽園〉だ。
オメガの居住地の前には、大神殿が築かれている。ノール神の信徒達はそこに参拝する。
〈楽園〉は奥まった場所にあるので静かだが、ここは今日も人でごった返していた。
国内外から集まる巡礼者や観光客のために、大神殿前には宿場町が築かれている。そこで働く人々のために、町が整備され、今では大都市となっていた。
メインストリートには商店が並んでいる。馬車から眺めると、神の使徒オメガの着た衣で作ったお守りやオメガの姿絵が売られていた。
「相変わらず、神殿は信者から金を巻き上げるのが上手いな」
「ネルヴィス様、聞かれたらことですよ」
従者がそっと注意する。
「ほとんど詐欺だろう。写真と本物で、違いがすごすぎる」
「まあ、ディルレクシア様のことは、神官様がたも手を焼いておいでのようですし……」
従者は控えめに言って、否定はしなかった。
悪態はつくが、ネルヴィスは神殿を嫌っているわけではない。
神殿は悪政をしいているわけではないし、稼いだ金で、国の手が回らない福祉事業を手広く行っている。王家には目の上のたんこぶだが、民にとっては慈善の手を差し出してくれる所だから、敬意と畏怖を一心に向けていた。
オメガを守ることにかけては非常に厳しいため、努力する人格者しか昇格できないシステムになっているところには、ネルヴィスも感心している。
やがて馬車は大神殿の正門を通り抜け、玄関前で止まる。
大神殿内を通り、従者と別れる。一人でセキュリティーを抜けてから、中央棟に入った。
ディルレクシアへの面会申請をして、ネルヴィスは受付の神官に問う。
「ディルレクシア様のご様子はいかがですか? ご傷心でないか心配で」
第三王子のことは嫌いだが、父が正妃を味方しているので、第三王子のためにもディルレクシアの安否は気にかかる。
「ご安心ください。今日はもう落ち着かれていらっしゃるそうなので。お待ちの間、図書室に行ってみてはいかがでしょうか」
神官はにこやかに付け足した。
こんなふうにアドバイスされるのは珍しい。ネルヴィスはすぐにピンときた。ディルレクシアが図書室にいるのだろう。
(あの勉強嫌いが珍しい)
病気をしてから、明らかに変だが、ネルヴィスは顔には出さない。
「ええ、そうします。ありがとう」
神官には愛想よく返し、図書室に足を向けた。
ディルレクシアは、明るい窓辺の席にいた。
いくつかの本を積んでいて、読んでいる途中のようだったが、タルボが何か話しかけて、書類を広げる。
婚約申し入れ書のようだ。
婚約者候補が一人減ったので、新たに選ばせようというのだろうか。
近づいてみると、どうやら遊びをしているらしい。十枚のうち、どれが好みかとタルボが問う。
その一枚が、男娼狂いで窮地に陥っている貴族だったので、ネルヴィスは呆れた。第三王子を気に入っていたのといい、ディルレクシアはクズを選ぶ才能があるのではないだろうか。
それに、神殿ももう少し精査すればいいのにと考えたが、そういえばあの貴族は男娼狂いの悪癖を徹底的に隠している。ネルヴィスの情報網だから知っているだけで、表面だけの調査なら分からないだろう。
「ディルレクシア様、趣味が悪いですねえ。この男は、男娼通いにはまって、窮地に陥っているんですよ」
「ひっ」
ネルヴィスが口を挟むと、ディルレクシアは引きつった声を漏らした。かなり驚いたようだった。
さりげなくタルボを見ると、タルボも顔を引きつらせ、該当の男の書類をさっと横によける。後で調査しなおすのだろう。
今日のディルレクシアは、白いサテンのシンプルなシャツを着ている。襟ぐりが開いていて、綺麗なうなじと鎖骨が見えた。黒髪がかかって、影ができている。
どちらかといえば華美な服を好むディルレクシアだが、病気をしてから、シンプルな服装をしているようだ。あれも似合っていたが、こちらのほうが顔立ちの美しさが引き立つので、しっくりなじんでいた。宝石も身に着けていない。
「どうしてフェルナンド様がそんなことをご存じなんですか?」
「…………………………………………」
ディルレクシアの問いに、ネルヴィスはたっぷり数秒沈黙した。ぞわぞわと背筋を悪寒がはいのぼる。
「フェルナンド様! やめてくださいよ、気持ち悪い。初対面からネルヴィスなんて長いから、ネルとヴィスとどっちが良い? と訊いておいて。私がねじじゃないんだからヴィスなんてやめろと言ったら、ヴィス呼びし始めたのはどこのどなたでしたっけ?」
ネルヴィスが抗議すると、ディルレクシアは戸惑いを込めてタルボのほうを見た。何やらアイコンタクトをした後、気まずそうに目をそらす。
「ええーと、その節は大変失礼しました。これからはネルヴィスと呼びますね」
「病気をされてから、本当におかしいですね」
素直すぎて気味が悪い。ネルヴィスが何を企んでいるのかという目で見ると、ディルレクシアは誤魔化すかのように写真を示す。
「この人のこと、なんで知ってるんですか?」
「各貴族や有力者の弱みになりそうなことは、知ってるに決まってるじゃないですか」
ネルヴィスは写真から、一枚を選んだ。
「この中だと、この男が一番おすすめですね。派手な顔のわりに、小心者で気が優しいんですよ。しかし、王子殿下を狂わせたと思えば、もう次の獲物を狙うとは。さすがはディルレクシア様、フットワークが軽くていらっしゃる」
トゲをこめた皮肉を言う。尻軽と馬鹿にしたのでいつもなら怒るだろうに、ディルレクシアはきょとんとした。
意味が伝わっていないのだと悟って、ネルヴィスのほうが驚く。
ディルレクシアに代わり、タルボが怒った。
「私が婚約申し入れ書を見るように言っただけです! ディル様に失礼ですよ」
「ほう、ディル様ですか。傍仕えとそこまで親しくなったのですか」
「この方は、厄払いでディルと改名される予定なので、そうお呼び申し上げているのですよ。うがってとらえるのはおやめなさい」
「改名ですか。それは存じませんで、失礼しました」
ネルヴィスはあっさりと非を認めて謝る。
それほど重い病だったとは、茶化すのはさすがに悪かったかもと思っていると、まったく気にとめていないディルレクシアは了承の頷きをして、小首を傾げた。
また、あの小動物めいた仕草だ。子猫か小鳥みたいに見える。
「それは構いませんが、今日はいったいどんなご用件ですか? お約束はなかったと思いますが」
「ええ、ディル様。先日以降は、予定は全て空白ですよ」
「そうなんですか? レイブン卿と会うつもりかと思っておりました」
ディルレクシアはレイブン卿に心を寄せ始めているという噂だが、面会予定がないとは。
「受付で面会申請をしましたが、今回はご機嫌伺いに参りました。先日、第三王子が騒ぎを起こしたので、様子を見にまいった次第です」
ネルヴィスが用件を告げると、ディルレクシア改め、ディルの空気がピリッと張りつめた。本を一冊持って、椅子を立つ。
「薔薇棟でお茶にしましょう。タルボ、その本は後で部屋に届けさせてください」
「かしこまりました」
昨日の今日であるし、気に障ったのだろう。ネルヴィスとの会話が嫌になって、無視して去るのだと思っていたら、ディルがけげんそうに振り返る。
ネルヴィスをお茶に誘ったというので、また驚いた。
ディルレクシアと会ってから一度も茶に誘われたことがない。
あちらが一方的に用を言いつけるか、数分話して追い出すかのどっちかだ。
(急な改名といい、どう見てもおかしい)
ディルレクシアにそっくりな人間を、替え玉にしたみたいだ。
確かめる必要があると、ネルヴィスは機会をうかがうことにした。
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