74 / 142
本編 第一部
72. 契約書
しおりを挟むアカシアが帰るなり、僕はネルヴィスやレフとともに緊急会議を開いた。
といっても、食堂でお茶を飲みながらなので、ただのお茶会みたいに見えただろうが。
「契約書ときましたか」
レフが片眉をはね上げた。
「しっかり者にお育ちになって、うれしいですよ」
正直と皮肉が混じった声である。〈楽園〉の最高水準の教育がネックになる瞬間だった。
「そういえば、タルボはどうですか?」
お見舞いに行きたいのに、なんだかんだと流れている。本題からずれたのに、レフは特に嫌そうな顔もせずに教えてくれた。
「命に別状はございませんが、脳震盪を起こしていましたので、三日は安静にしなくてはなりません。それでも起き上がろうとするので、無理をするならディル様の傍仕えから外すと脅しています」
「それは効果てきめんでしょうね」
ネルヴィスの言葉に、僕はこくりと頷く。タルボの仕事への情熱はすごいのはよく知っている。いったいいつ休んでいるのか不思議に思うほど、彼は僕の傍にひかえていた。
どうやらタルボはレフを尊敬しているようだから、彼に脅されたら無視はできないだろう。それでも、一度は顔を見に行って、寝ているように釘を刺すべきかもしれない。
宿を抜け出せないかと考える僕の目の前で、ネルヴィスの長く優美な指先が、コツコツとテーブルを叩いた。
「契約なんて、私は絶対に反対ですからね」
「反対があなただけだとお思いか、フェルナンド卿」
うん、よく分かった。ネルヴィスとレフが断固拒否というのは。
「僕だってサインしたくありませんよ。でも、最悪、サインすればシオンが助かると思えば、命綱だと思えて安心します」
僕の意見に、「それは確かに」と二人は口をそろえる。レフはネルヴィスに思惑ありげな視線を向ける。
「意外ですな。あなたはレイブン卿が死のうが、どうでもいいものかと」
ネルヴィスは目を細めた。
「私の印象を下げるようなおっしゃりようはやめてほしいものですね。レフ殿の疑問も分かりますが、それは私が不利の場合にする心配です。ディル様はどちらを選ぶか決めていないし、私のほうが圧倒的に有利では? 金も実力もあって、この通り、容姿も良いですから」
傲慢にすら聞こえる、自信に満ちた言葉だ。どれも否定できないのがすごい。
「性格は少しひねくれておられるようですがね」
「ちょ、ちょっと、レフ」
心の中で、僕も付け足してしまったなどと、口が裂けても言えない。むやみに手を振る僕は、こういう時、タルボがいてくれたらいさめてくれたのにと、頼りになる傍仕えのことを考えた。
「それに、理不尽に殴られた恨みがあるので、王子殿下を邪魔したいですね」
「王家の家臣ならば、そちらの意向を汲むのでは?」
「王妃様は、実子であるアルフレッド殿下を、王位につけるのは望ましくないとお考えです。我が父は王妃様に味方しておりますので、当然、私も父の考えに従います」
「それでも、王家から頼まれれば、バランサーの役目を引き受ける、と?」
「断れば父上にとがめがいくのに、どうして断れると?」
ネルヴィスとレフは互いに言い合って、静かに火花を散らす。
(レフはネルを婚約者候補として認めても、信用してはいないんですか)
複雑な利害関係があるのだなと、僕は戸惑う。
「落ち着いてください。レフ、ネルは僕のことを裏切る真似はしないでしょう。なぜなら、その、ええと……」
「愛していますので」
臆面もなく言い切るネルヴィスの前で、僕はかあっと顔を赤くする。
「そ、そういうわけなので」
「愛が憎悪に変わるのを心配しているのですよ」
レフはそう言ったが、眼差しは生温かいものに変わった。まるで、巣立つ子どもを見守る親鳥みたいな。
「この時点でディル様に嫌われるリスクのほうが大きいのに、そんな意味不明なことをしますか」
「それもそうですな」
損得の話になると、レフはとたんに納得した。
愛のくだり、必要だった……?
恥ずかしさで縮こまりながら、僕はいぶかしく思う。
「魔獣の気が立っているそうなので、慎重に進めておりますが、この領地の騎士とともに、私の配下に証拠集めをさせております」
「証拠?」
「ええ、ディル様。あんな危険な森で、魔獣に不慣れな魔法使いが、みずから魔法を使うとは思えませんから。恐らく掘削や解体工事のための魔導具が仕掛けられているはず。魔導具に詳しい者を向かわせましたので、破片でも見つかれば恩の字です」
僕はそれでは不十分だと感じていた。
「ですが、王子がかかわっている証拠にはならないかも」
「人為的に引き起こされた証拠があれば、小神殿で扱える問題ではなくなります。強姦と暗殺未遂ではレベルが違う。もちろん、どちらも重罪ですが、問題の先送りはできる。時間さえあれば、こちらにも有利です」
時間稼ぎとしては、良い案だ。
「あとはどうやって、実行犯が領内に侵入できたか……ですね。私はアルフレッド殿下が自ら仕掛けたと思いますが」
「どうして?」
ネルヴィスに問うと、こう返す。
「以前、レイブン卿が処刑された事件で、アルフレッド王子の父上――今の陛下が、結界の魔導具を破損してしまいました。大問題になりました。その話を聞いている殿下が、国宝を他人に預けると思えません」
「壊したら責任転嫁できるとは考えませんか」
「そのために、護衛もかねて何人か同行させていると思います。しかしいくら結界があっても、足跡は残ります。いったいどうやったのか……」
そういえば、アルフレッドは現王に似ているんだったか。
(他人に問題を押し付ける卑怯なところもそっくりなら、ネルの推論は的を射てる)
賢い男だと、ネルヴィスをまじまじと眺める。
「惚れなおしました?」
「まったくもう。それで、名探偵殿、何をお考えなんですか?」
「魔獣の波が起こる前日までに、何かなかったか、領民に確認しなくては」
ネルヴィスは答えず、ただ、するべきことをつぶやいた。
21
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる