至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

72. 契約書

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 アカシアが帰るなり、僕はネルヴィスやレフとともに緊急会議を開いた。
 といっても、食堂でお茶を飲みながらなので、ただのお茶会みたいに見えただろうが。

「契約書ときましたか」

 レフが片眉をはね上げた。

「しっかり者にお育ちになって、うれしいですよ」

 正直と皮肉が混じった声である。〈楽園〉の最高水準の教育がネックになる瞬間だった。

「そういえば、タルボはどうですか?」

 お見舞いに行きたいのに、なんだかんだと流れている。本題からずれたのに、レフは特に嫌そうな顔もせずに教えてくれた。

「命に別状はございませんが、脳震盪のうしんとうを起こしていましたので、三日は安静にしなくてはなりません。それでも起き上がろうとするので、無理をするならディル様の傍仕えから外すと脅しています」
「それは効果てきめんでしょうね」

 ネルヴィスの言葉に、僕はこくりと頷く。タルボの仕事への情熱はすごいのはよく知っている。いったいいつ休んでいるのか不思議に思うほど、彼は僕の傍にひかえていた。
 どうやらタルボはレフを尊敬しているようだから、彼に脅されたら無視はできないだろう。それでも、一度は顔を見に行って、寝ているように釘を刺すべきかもしれない。
 宿を抜け出せないかと考える僕の目の前で、ネルヴィスの長く優美な指先が、コツコツとテーブルを叩いた。

「契約なんて、私は絶対に反対ですからね」
「反対があなただけだとお思いか、フェルナンド卿」

 うん、よく分かった。ネルヴィスとレフが断固拒否というのは。

「僕だってサインしたくありませんよ。でも、最悪、サインすればシオンが助かると思えば、命綱だと思えて安心します」

 僕の意見に、「それは確かに」と二人は口をそろえる。レフはネルヴィスに思惑ありげな視線を向ける。

「意外ですな。あなたはレイブン卿が死のうが、どうでもいいものかと」

 ネルヴィスは目を細めた。

「私の印象を下げるようなおっしゃりようはやめてほしいものですね。レフ殿の疑問も分かりますが、それは私が不利の場合にする心配です。ディル様はどちらを選ぶか決めていないし、私のほうが圧倒的に有利では? 金も実力もあって、この通り、容姿も良いですから」

 傲慢にすら聞こえる、自信に満ちた言葉だ。どれも否定できないのがすごい。

「性格は少しひねくれておられるようですがね」
「ちょ、ちょっと、レフ」

 心の中で、僕も付け足してしまったなどと、口が裂けても言えない。むやみに手を振る僕は、こういう時、タルボがいてくれたらいさめてくれたのにと、頼りになる傍仕えのことを考えた。

「それに、理不尽に殴られた恨みがあるので、王子殿下を邪魔したいですね」
「王家の家臣ならば、そちらの意向を汲むのでは?」

「王妃様は、実子であるアルフレッド殿下を、王位につけるのは望ましくないとお考えです。我が父は王妃様に味方しておりますので、当然、私も父の考えに従います」
「それでも、王家から頼まれれば、バランサーの役目を引き受ける、と?」

「断れば父上にとがめがいくのに、どうして断れると?」

 ネルヴィスとレフは互いに言い合って、静かに火花を散らす。

(レフはネルを婚約者候補として認めても、信用してはいないんですか)

 複雑な利害関係があるのだなと、僕は戸惑う。

「落ち着いてください。レフ、ネルは僕のことを裏切る真似はしないでしょう。なぜなら、その、ええと……」
「愛していますので」

 臆面もなく言い切るネルヴィスの前で、僕はかあっと顔を赤くする。

「そ、そういうわけなので」
「愛が憎悪に変わるのを心配しているのですよ」

 レフはそう言ったが、眼差しは生温かいものに変わった。まるで、巣立つ子どもを見守る親鳥みたいな。

「この時点でディル様に嫌われるリスクのほうが大きいのに、そんな意味不明なことをしますか」
「それもそうですな」

 損得の話になると、レフはとたんに納得した。
 愛のくだり、必要だった……?
 恥ずかしさで縮こまりながら、僕はいぶかしく思う。

「魔獣の気が立っているそうなので、慎重に進めておりますが、この領地の騎士とともに、私の配下に証拠集めをさせております」
「証拠?」

「ええ、ディル様。あんな危険な森で、魔獣に不慣れな魔法使いが、みずから魔法を使うとは思えませんから。恐らく掘削や解体工事のための魔導具が仕掛けられているはず。魔導具に詳しい者を向かわせましたので、破片でも見つかれば恩の字です」

 僕はそれでは不十分だと感じていた。

「ですが、王子がかかわっている証拠にはならないかも」

「人為的に引き起こされた証拠があれば、小神殿で扱える問題ではなくなります。強姦と暗殺未遂ではレベルが違う。もちろん、どちらも重罪ですが、問題の先送りはできる。時間さえあれば、こちらにも有利です」

 時間稼ぎとしては、良い案だ。

「あとはどうやって、実行犯が領内に侵入できたか……ですね。私はアルフレッド殿下が自ら仕掛けたと思いますが」
「どうして?」

 ネルヴィスに問うと、こう返す。

「以前、レイブン卿が処刑された事件で、アルフレッド王子の父上――今の陛下が、結界の魔導具を破損してしまいました。大問題になりました。その話を聞いている殿下が、国宝を他人に預けると思えません」

「壊したら責任転嫁できるとは考えませんか」
「そのために、護衛もかねて何人か同行させていると思います。しかしいくら結界があっても、足跡は残ります。いったいどうやったのか……」

 そういえば、アルフレッドは現王に似ているんだったか。

(他人に問題を押し付ける卑怯なところもそっくりなら、ネルの推論は的を射てる)

 賢い男だと、ネルヴィスをまじまじと眺める。

「惚れなおしました?」
「まったくもう。それで、名探偵殿、何をお考えなんですか?」
「魔獣の波が起こる前日までに、何かなかったか、領民に確認しなくては」

 ネルヴィスは答えず、ただ、するべきことをつぶやいた。
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