頭がいいのか悪いのか

水戸けい

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「笑いごとだっての。この俺に、ストーカー?」

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「ううーん」

 翌日、帰宅すると干しっぱなしにしていた洗濯物が取り込まれ、きちんと畳まれていた。いったいなんだと思いつつ、とりあえず空腹なので買ってきた弁当を食べる。台所に行けばシンクはピカピカに磨かれて、風呂もキレイになっていた。トイレだって掃除をされて、ご丁寧にトイレットペーパーは三角形に折られている。布団は前日同様にきちんと部屋の隅に畳まれていた。

 なんとなく押入れを開けてみると、そこもキレイに整頓されている。

「なんだよ、いったい」

 掃除の行き届いた部屋を見回し、腰と額に手を当てて考えてみた。うんうんうなって引き出した結論は、大家のバァさんが男のやもめ暮らしをあわれんで、勝手に世話を焼いて行った、だった。

(なんとか教室に通ってるとか言ってたけど、それの手が空いたとかでヒマになったのかもしんねぇな)

 どちらかといえばおせっかい気質な大家の姿を思い浮かべて、きっとそうだと決めつける。大家ならば鍵も持っているから勝手に部屋に上がれるし、恭平の仕事内容や勤務時間も把握している。やもめであるとも知っているから、気まぐれで掃除なりなんなりと世話を焼く気になったのかもしれない。

(大家のバァさんにとっちゃ、息子みてぇなもんだろうしな)

 そうとわかれば安心だと、確認してもいないのに得心する。なんにせよ、部屋を片付けてくれるのはありがたい。物を取られたわけでなし、盗聴だの盗撮だのがあったとしても、別に好きに聴いたり撮ったりすればいい。隠すようなものはなにもないし、たとえオナニーしているところを撮影されたとしても、それを会社にバラすぞと言われたところで、男なら誰でもするだろうと答えれば終わりの話だ。そこいらの壁や電柱に張り出された場合は恥ずかしいが、名誉棄損で訴えればいいだけで己は痛くもかゆくもない。

 そんな磊落な、と言えば聞こえはいいが、物事に頓着しない恭平は心の中で掃除をしてくれた誰かに向かって感謝をしながら、あっさりと事態を受け入れた。

 そしてだんだん、掃除されていることが当たり前になってきた休日。

 昼寝から目覚めた恭平はシャワーを浴びて、コーヒーを飲もうと湯を沸かし、食パンをトースターに入れようとしたところでチャイムを聞いた。

 こんな時間に誰が訪ねて来たのだろうと考えて、すぐさま大家じゃないかと思いつく。

(掃除の礼でも言ってほしいのか、話し相手になってほしいのか)

 そんなところだろうと予想をつけて、はいよと言いながらドアを開けると違う人物が立っていた。

「おっ。なんだ、誠じゃねぇか」

 久しぶりだなと声をかけると、誠も「おひさしぶりです」と控えめに唇をほころばせる。誠の手にビニール袋があるのを見て、恭平は期待を込めて破顔した。

「なんだ。メシを作りにきてくれたのか」

 自然とはずんだ恭平の声に、誠の目じりが下がった。

「ご迷惑でなければ、ですが」

「迷惑なもんかよ。ちょうどいいや、今日は仕事がねぇんだ。時間があるんなら、夕飯はどっかで一杯ひっかけようじゃねぇか」

「お昼もまだなのに、もう夕食の話ですか?」

 クスクスと笑う誠に、恭平はかるく肩をすくませて招き入れた。

「誠のメシを、また食いたいって思ってたんだよ」

「それはよかった。社交辞令でもうれしいです」

「ンなモン、俺が言うように見えるかよ。正直な気持ちだよ、正直な」

 部屋の掃除はされていても、食事はいつもコンビニ弁当ばかりだった。あたたかな手料理に飢えていたのは確かで、だからといって自炊をするのはめんどくさい。

「前に作ってもらってから、家であったけぇモンを食うってのに飢えてたっつうか、なんつうか。とにかく、誰かが作ってくれたメシを、家でのんびり食いてぇなって思ってたんだよ」

「誰か、ですか」

「俺にとっちゃ、その誰かは誠しかいねぇんだけどな」

 ニッと歯を見せると、誠の頬が赤らんだ。

「おじゃまします」

「おうっ」

 足を踏み入れた誠が、あれっと首をかしげて台所を見回す。

「ずいぶんキレイですね。あ、もしかして、掃除をしているところでした?」

「いんや。なんか、仕事から帰ったら勝手にキレイになってたんだよ」

「勝手に?」

「そ。勝手に」

 電気ポットに水を足してスイッチを入れながら答えた恭平は、誠のぶんのコーヒーを淹れるためにマグカップをもうひとつ取り出した。

「まあ、ちょっとコーヒーでも飲んでからにしろよ」

「お腹すいていないんですか?」

 誠の視線がトースターに向いたので、恭平は入れていた食パンを抜いて袋に戻した。

「いや、減ってはいるけどよ。来てすぐメシを作れっつうのもなんだろう?」

 恭平なりに気を使ったつもりだが、誠には不要のものだったのかもしれない。そう思いつつマグカップにインスタントコーヒーを淹れていると、誠が「それじゃあ」と言って袋の中身を冷蔵庫に片づけて、部屋に入った。

「こっちも、ずいぶんキレイに片づいていますね」

「おう。なんか、押入れの中まで整理整頓されててよ。ゴチャッとしていたモンがキチッとなると、こんなにスッキリするのかって驚いたぜ。部屋も押入れも、広く感じるんだもんなぁ」

 マグカップをちゃぶ台に置き、胡坐をかいた恭平はズズッとコーヒーをすすった。

「……あの」

「ん?」

「誰が掃除してくれているんですか」

「さあ」

「さあって」

「わかんねぇんだよ。なぁんも痕跡がねぇからさ。あ、掃除っていう痕跡があるってくらいか」

「掃除という痕跡は、とても明確な存在感だと思いますけど」

 おずおずとした誠の物言いに、そうだよなぁと恭平は息を吐く。

「牛乳がねぇなって思ってたら、新しいのが入っていたこともあってよぉ。最初は酔っぱらって買った記憶がなくなってたからだと思ったんだけどさ。それも多分、掃除してるヤツが冷蔵庫を開けて、ねぇって気づいて買ってきたんだろうな」

「だろうなって……、あの、気持ち悪いとか思わないんですか」

「なんで」

「なんでって、普通は気持ち悪いとか怖いとか、思うものじゃないですか。だって、知らないうちに誰かが家に入って、部屋の中どころか押入れまで探っているんですよ?」

「探るっつっても、掃除のためだろ。なんかを盗まれているわけじゃなし。……まあ、盗まれてたとしても、気がつかねぇんだから大したモンじゃあないな。金も減ってねぇし。それどころか、牛乳を買い足したりしてくれてんだから、ソイツの金が減ってるな」

 タバコを取り出した恭平があまりにも平然としているので、誠の顔色が変わった。

「ストーカーかもしれませんよ」

「すとぉかぁあ?」

 怪訝な顔で頓狂な声を出すと、怖いほど真剣な目をした誠に重々しくうなずかれた。

「ははっ」

「笑いごとじゃありませんよ」

「笑いごとだっての。この俺に、ストーカー?」

 恭平は大声で笑いながら誠の肩をバシバシ叩いた。

「ははっ! こりゃスゲェな。この俺にストーカーなんて」

 ヒーヒー笑い転げる恭平は、ひそめられた誠の眉を見て、心配ねぇってと手をヒラヒラさせた。

「なにが楽しくて、俺を追いかけまわすってんだよ」

「いえ、でも」

「あのな。ストーカーってのは、魅力的だなって思う相手を粘着的に追いかけるヤツのこったろ? 金を持ってるわけでもねぇし、若くて男前なわけでもねぇ俺を、誰が好き好んで追っかけるっつうんだよ。おおかた、大家のバァさんが男やもめの無精を見かねて、上がり込んで世話を焼いてくれたとか、そういうオチだろうさ」

「恭平さんが知らないだけで、相手にとってはすごい魅力を持っているのかもしれませんよ」

 ないないと恭平は顔の前で手を振った。

「買いかぶりすぎだ。警備員をしているってんで、そう思ってくれているんだろうがな。俺ぁただのしがないオッサンだよ」

「ただの興味本位で盗聴をする人もいるみたいですし、人にはそれぞれ思惑がありますから。……その、大家さんが掃除してくれていると確認したわけではないのでしょう?」

「確認はしてねぇよ。けどまあ、おおかたオチはそんなとこだろうさ。別れた女房が、十年も経ってから俺の世話をしにくるなんざ、ねぇだろうしな。どっかで美人の姉ちゃんをひっかけたって記憶もねぇからよ。呑みにいくとこは、俺みてぇなオッサンばっかで、キレイな姉ちゃんがいるような店じゃあねぇから。よしんば、そんな姉ちゃんが店にいたとしても、俺に興味を示すたぁ思わねぇな」

 うん、と自分で言って納得をした恭平に、もの言いたげな顔が向けられる。

「心配してくれんのはありがてぇけどよ。そんなわけだから、問題ねぇよ。実害は被ってねぇしな」

「まだ、というだけでしょう? これからなにか問題が起こるかもしれませんよ」

「たとえば、どんなだ」

「たとえば……盗聴されて、それで、ええと……知らないうちに私生活を動画配信されていた、とか」

「そういう、女の生活を見せて金取るサイトとか、あるらしいな」

「それの、その……男性版のサイトに、勝手に配信されているかもしれませんよ」

「だから部屋を掃除したってのか? 見栄えをよくするために」

 目をパチクリさせて誠を見た恭平は、いやいやと首を振る。

「そうだとしても、別に見られて困るような生活はしてねぇしな。俺を使って勝手に金儲けをされてるってんだとすると、分け前をくれりゃあ気にしねぇよ。つうか、もしそうだとしたら、このやり取りも配信されてるってこったろ? だったら観てるヤツが警察に訴えるかなんか、してくれるかもなぁ」

「完全に、信じていないって感じですね」

「あー。うん、まぁな。気にしてくれんのは、ありがてぇぜ? 気遣いっつうのか。そういうモンを向けられて、悪い気はしねぇよ。けどなぁ、肌感覚で恐怖を感じるとか、そんなこたぁ皆無なんだ」

「保険金が目当てとか」

「は? なんでいきなり、保険金の話になるんだよ」

「いえ、その……簡単に侵入できるぞって意思表示で、恐怖を与えて」

「なんのために」

 口をつぐんだ誠が、ちょっと考えてから別の可能性をこぼす。

「誰か、部屋を掃除する相手がいると匂わせて、それで、その相手の犯行だと見せかけて恭平さんを手にかける、とか」

「そういうモンは、罪をなすりつけたい相手がいる場合だろ? 俺の周囲に、そんな人間はいねぇ……ああ、誠ぐれぇなモンだな。だとすると、誠に恨みを持ってるヤツがいるってことになるが。そんな過激な知り合いに心当たりでもあるのかよ」

「いえ」

「だったら、そのセンもねぇだろう。それに、その話だとはじめに言ってた保険金ってのに繋がらねぇぞ。だいたい、保険金が欲しいんなら、まず受取人の名義変更を迫るもんだろ。俺の保険金の受け取りは、娘になってんだからな」

「ええと、では……その、娘さんの恋人が保険金を狙っているとか」

「なんのために?」

「それは……」

「だいたい、保険金目当てだったら、掃除をする理由もねぇだろ」

「だからそれは、誰かそういう相手がいて、痴情のもつれで殺されたと見せかけて、保険金を受け取ろうとしているとか」

 ふうんと恭平は、どこか焦りをうかがわせる誠を見つめた。

「よくできた推理だと言いてぇけどよ、ちっと苦しい気がするな。てか、なんで俺が殺される前提で話をしてんだよ」

 うっ、と言葉に詰まった誠が「ご飯、作りますね」と立ち上がる。おうと答えた恭平は、誠の立てた仮説を反芻してみた。

(しっくりこねぇな)

 持ち込んできたエプロンを着けて料理をはじめた誠の背中に視線を向けると、ふっと口元が勝手にほころんだ。

(俺のことを、すげぇ気にかけてくれてるんだなぁ)

 そんな相手と接するなんて、どのくらいぶりだろう。まんざらでもない心地で、恭平は腰を上げた。

「俺もなんか、手伝おう」

 元妻にも言ったことのないセリフを口にする自分をおかしがりつつ、恭平は誠の隣に立ってキャベツを洗った。
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