生贄になった王子〜双子の弟は国のために死ねと言われた〜

二階堂吉乃

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          ◆


 小神殿に駆けつけてみると、知らない貴婦人が立っていた。カイエンにも一目で分かった。この凄まじい威圧感は、女神だ。左右に牛頭人身の男と下半身が大蛇の女を従え、多くの小人が背後で首を垂れている。

(美しい)

 カイエンは素直にそう思った。あっさりとした、どこか異国風の目鼻立ちと、象牙色の肌。床に流れ落ちる長い黒髪。白絹のドレスを纏い、剥き出しの二の腕にも豊かな胸元にも、大きな宝石が眩しいほど煌めいている。

 弟が何か言い、黒い瞳がこちらを見て微笑んだ。王太子は何とか堪えたが、護衛騎士は震えが隠せない。

「お茶、どこに用意した?大広間?茶会にしたのか。兄貴、そこまでエスコートして差し上げて。俺、先に行ってるから」

 弟は女神の右手をカイエンに、左手をトマス卿に取らせた。それは良いとして、背後の牛男と蛇女が、正直、怖い。大広間に向かう間も、官吏や召使いなどが平伏して歓迎するものの、誰一人として口を開かなかった。

「大丈夫。人間だと思って、自然に振る舞って」

 精霊王がカイエンの肩に乗り、それとなく助言してくれるのが救いだ。一行は沈黙の中を静々と進み、大広間へと到着した。

「偉大なる大地の女神・ペレ様、御降臨!!一堂、起立!」

 扉が開くと同時に、アルベールの号令が聞こえた。

「礼!」

 多くの貴族たちが深く頭を下げる中、カイエンとトマス卿は、緋色の絨毯の上を歩いて女神をお席まで案内した。

「ヴォルカン王と王妃は御前へ」

 弟が両親に命じた。今はペレの執事なのだろう。声にも威厳がある。父母は女神の前に跪いて歓迎の意を表し、改めて女神への帰依を誓った。

「王太子。御前へ」

 次はカイエンだ。同じように跪いて挨拶をしたが、

『アオヘ・オウ・カイクアヒネ?』

 と女神が仰る。アルベールが尊大な口調で訳した。

「王女がいない、と仰せだ。レティシア王女をこれへ」

 すぐに妹が連れてこられた。寝起きの王女は、目をこすりながらカイエンの横に立つ。女神の威圧に泣くかと思ったが、元気に挨拶をした。

「はじめまして。レティです!」

 女神は大きく頷いた。カイエンは妹の手を引いて下がろうとした。しかし、

「あたまうしさん!」

「!!」

 止める間もなく、妹が魔物に突進した。すかさず蛇女の尾がレティシアを巻き取り、女の顔の前に持ってきた。全員が恐怖に凍りつく。

「大丈夫。そのままじっとしてろ」

 剣に手を伸ばす近衛たちを、アルベールが止めた。蛇女はジロジロと王女を見てから、隣の牛男に渡す。妹は大喜びで牛の頭を触りまくった。すると、牛男は困ったように主人に渡した。

 女神は妹を膝に乗せ、銀の髪を優しく撫でた。

『レティ。ヘ・コアオエ』

「えへへー。アルおにーたまが、かいてくれたもん」

 不思議と通じている。アルベールはレティシアを受け取り、真っ青な母に返すと、茶会の開始を命じた。

「公侯伯以上は、位の高い者から順に女神様に挨拶せよ。音楽だ!」

 楽士の演奏が始まる。父母は女神の両隣に座った。カイエンも同じテーブルに着く。弟はなぜかトマス卿も座らせた。緊張のあまりカップを持つ手が震えて、実に気の毒であった。


          ◆


 とりあえず、挨拶は無事に済んだ。アルはミノタウロスに声をかけた。

『ちょっと出てくる。あと頼むわ』

 牛頭人身の魔物は、角を布で拭きながら、文句を垂れた。

『お前の妹、何なんだ。大事な角をベタベタ触りやがって。ああ、気持ち悪い』

 一方、ラミアはレティが気に入ったようだ。

『可愛いじゃないか。ほーら滑り台だよう』

 長い尾を使って遊ばせてくれる。レティも通訳なしにガンガン話しかけ、なぜか意思の疎通ができている。女神のテーブルにはチップもいるので、少しなら席を外しても大丈夫そうだ。アルは大広間を出て、小神殿に戻った。


          ◆


 吹き飛んだ屋根の残骸は退けられ、魔法陣の上は片付いていた。その傍で、セラと侍女がせっせと荷造りをしている。アルはこの大問題を解決すべく、大股で近づいた。

「何やってんだよ?!」

「見て分かるでしょ。根の国へ行く支度をしてるのよ」

 こちらを見もしないで、彼女は昨日買った旅行鞄を持ち上げた。

「家族は?宰相に言ったのか?!」

「母は今頃、置き手紙を読んでるわ。父は事後承諾ね」

 アルは彼女の腕を掴んで、無理やり自分の方を向かせた。

「ダメだダメだダメだ!絶対に来るな!あの蛇女を見ただろ?か弱い人間なんか、秒で締め殺されるぞ!俺が付きっきりで守ってやるわけにはいかないんだ!」

 しかし、彼女はアルの胸元を掴み、怒りを燃え上がらせた。

「うるさい!弱くて悪かったわね!あなたも精霊王も、二言目にはそればっかり!私の頭まで弱いと思ってるの?あのラミアはそんな野蛮な女性じゃないわ。ちょっと露出多めだけど、素敵な服を着ていたし、きちんとお化粧もしてた。ミノタウロス氏だって、磨かれた良い鎧をつけて、ほんのり良い香りがしてた。騙そうとしても無駄よ。彼らは話が通じる相手だって、もう分かっちゃったから!」

 セラは素晴らしい観察眼の持ち主だった。その通りだ。女神に仕える魔物は高度な知性を持っている。ノームも美味いものこそ作れないが、それ以外は、地上のどの工房よりも優れた技術の持ち主である。古代語ができれば、彼らと取引しながら生きることは可能だ。でも、

「違うんだよ…。いつか無性に帰りたくなる。モグラがあれやこれや伝えてくれたり、プレゼントを届けてくれると、なお一層、辛くなる。セラにそういう思いをさせたくないんだ…」

「…」

 彼は正直な気持ちを伝えた。さすがにセラも黙る。しかし、侍女殿が余計な事を言った。

「え?でも、美少女奴隷を探してたんですよね?慰みモノは良いけど、お嬢様はダメって矛盾してませんか?」

「侍女殿?!誰がそんなデタラメを?」

「サムソン卿ですけど。嘘を言うような方じゃありません」

 みるみる、セラの顔が憤怒に染まる。小さな手が繰り出すビンタを、彼は甘んじて受けた。避けたら、ますます怒りそうだったから。

 そこへ、革袋を担いだサムソン卿が来た。剣は下げているが、近衛の制服じゃない。アルはもう一つの問題に駆け寄った。

「ちょっ…サムソン卿!何で女神にあんな事言っちゃったの?!」

「殿下の仰る通り、ここには、私より強い者がいないからです。元が平民ですから、これ以上出世もできませんし。もう辞表を出してしまいました」

「向こうに人間、一人もいないって言ったよな?!」

「殿下と私で二人です」

 何でもないように言われて、アルは言葉を失った。更に侍女殿が、そっぽを向くセラの腕を引っ張ってきて、

「四人です。ちょうど、男女2組で良い感じじゃないですか?」

 と、頬を染めて元護衛騎士を見上げた。セラもサムソン卿も侍女殿も、皆、おかしい。だが、嬉しい。アルは後ろを向いて、掠れ声で言った。

「バカだな。根の国は巨乳美女で溢れてんだ。サムソン卿、盗られちまうぞ」

「ええっ?!そんな!」

 単純な女は慌てて自分の胸を押さえた。セラがまた、鬼の形相で掴みかかってきた。

「やっぱり!胸の大きな女と浮気してたんでしょう?!だから、来るなって言うのね!」

「違うっ!俺は脚派だっ!胸派はサムソン卿だ!」

 侍女殿は泣き出し、令嬢は引っ掻きにくる。愉快だ。アルは笑いながら子猫みたいな爪を躱して、セラを強く抱きしめた。四人か。なら、楽しく生きていけそうだ。

「んじゃ、行くか。向こうで人間族の始祖になろうか」

 子猫は攻撃を止めた。そしてアルの背に手をまわした。

「…沢山産まなきゃ。赤ちゃんの世話、一緒にしてよ」

「大丈夫。女神様は進歩的なお方でさ。父親にも“育休”っていう休みをくれるんだ。一生懸命働くし、子育てもする。だからセラ。結婚してくれ」

「うん」

 プロポーズ成功だ。こういう時は口付けて良いのかな…と考えていたら、サムソン卿が割り込んできた。

「殿下。その前に女神のお許しをいただきませんと」

「忘れてた。大広間に戻ろう」

 アルは、ようやく見つけた仲間と、新たな一歩を踏み出したのであった。
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