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第九章 ── 関谷 友理 ──
別れの疑似体験【2】
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耳もとでささやかれる言葉と、感じる息遣いが、瑤子の心に優しく染みこんでいく。
友理との会話で、とがりかけた想いが、やわらいでいく気がした。
(まだ……一緒にいても、いいのよね……?)
どうして人の心とは、こうも揺れ動いてしまうのか。
自分から過ちを話そうと、あんなに誓っていたのに。
瑤子は尚斗のぬくもりに包まれ、そんな弱い自分の心を知りながら、流されていきそうになる気持ちを抑えられなかった。
「姉貴がいたら、張り倒されそうだけど」
前置きして、尚斗が耳もとで続ける───キスしていい? と。
「───だめ。風邪がうつったら、悪いもの」
小さく笑って瑤子が答えると、尚斗は「ちぇっ」と、ふてくされたようにつぶやいた。
しかし、瑤子を抱きしめる腕はゆるめない。
「別に瑤子さんの風邪なら、うつってもいいけどな、オレ。
だって、そうしたら瑤子さん、早くよくなるだろうしさ」
「もう。子供みたいな理屈、言わないで」
「……ひょっとして、オレのほうが甘えてる?」
ふと気づいたように、尚斗が体を起こす。
瑤子は、くすくすと笑った。
「そうかもね」
「う……ごめん。
そっか……オレ、何しに瑤子さんちに来たんだろ……」
「───ありがとう、尚斗くん」
軽い自己嫌悪をかかえたような口調の尚斗に対し、瑤子は振り返って微笑んでみせる。
「私、尚斗くんがいてくれて良かったって、いま、すごく思った」
本当に……いまはただ、尚斗がこうして側にいてくれるだけで、こんなにも喜びを感じることができる。
それだけで確かに幸せだと、瑤子は思った。
「……瑤子さん───」
尚斗の頬が傾いて近づくのを認め、瑤子は、友理が置いていった文庫を取り上げ、尚斗と自分の顔の前にかざした。
「だからって、だめ。
友理さん、言ってたわよ?
『いくら尚斗でも、病人相手に妙な気は起こさないと思うけど』って」
「……くそ、姉貴のヤツ、よけいなことを……」
「せっかく、お姉さんが信頼してくれてるんだから、それに応えてあげなきゃ、ね?」
瑤子が追い討ちをかけるように言うと、尚斗は恨めしそうに文庫本を見つめ、それからその身を起こした。
「……分かった」
不満げに言いつつも、気を取り直したように、瑤子に食をすすめる。
「───ん。これなら、食べられるよ。大丈夫。オレ、味覚は正常だから。
少しは食べないと、薬も飲めないよ、瑤子さん。
で、あとは睡眠をしっかりとって……あ。
もう絶対、変な気は起こさないから安心して。
……って、こればっかりは瑤子さんに信用してもらうしかないんだけど───」
甲斐甲斐しく世話をやく尚斗を見つめながら、瑤子は、心のどこかで、くちづけを拒んだことを後悔しているのに気づく。
(でも、だからこそ……)
あのまま尚斗とキスしていればおそらく二人は、それ以上のことをしていたに違いない。
尚斗が蒼のように、自分の衝動をコントロールできるとは、思えないからだ。
何より、瑤子自身、熱のせいで理性の《たが》がゆるみかけている自分に気がついた。
尚斗に触れられて、こんなにも心地よく感じているようでは、なし崩し的に、身体を許してしまうに違いない。
(そう、風邪がうつるとか、友理さんの手前とか、そんなものは、ただの言い訳)
唇が触れた瞬間から、きっと、いままでになく激しい形で吹き飛んでしまうだろう、自身の理性の扉に気づいてしまったのだ。
尚斗が放った、あの感情のこもらない……別れの言葉から。
友理との会話で、とがりかけた想いが、やわらいでいく気がした。
(まだ……一緒にいても、いいのよね……?)
どうして人の心とは、こうも揺れ動いてしまうのか。
自分から過ちを話そうと、あんなに誓っていたのに。
瑤子は尚斗のぬくもりに包まれ、そんな弱い自分の心を知りながら、流されていきそうになる気持ちを抑えられなかった。
「姉貴がいたら、張り倒されそうだけど」
前置きして、尚斗が耳もとで続ける───キスしていい? と。
「───だめ。風邪がうつったら、悪いもの」
小さく笑って瑤子が答えると、尚斗は「ちぇっ」と、ふてくされたようにつぶやいた。
しかし、瑤子を抱きしめる腕はゆるめない。
「別に瑤子さんの風邪なら、うつってもいいけどな、オレ。
だって、そうしたら瑤子さん、早くよくなるだろうしさ」
「もう。子供みたいな理屈、言わないで」
「……ひょっとして、オレのほうが甘えてる?」
ふと気づいたように、尚斗が体を起こす。
瑤子は、くすくすと笑った。
「そうかもね」
「う……ごめん。
そっか……オレ、何しに瑤子さんちに来たんだろ……」
「───ありがとう、尚斗くん」
軽い自己嫌悪をかかえたような口調の尚斗に対し、瑤子は振り返って微笑んでみせる。
「私、尚斗くんがいてくれて良かったって、いま、すごく思った」
本当に……いまはただ、尚斗がこうして側にいてくれるだけで、こんなにも喜びを感じることができる。
それだけで確かに幸せだと、瑤子は思った。
「……瑤子さん───」
尚斗の頬が傾いて近づくのを認め、瑤子は、友理が置いていった文庫を取り上げ、尚斗と自分の顔の前にかざした。
「だからって、だめ。
友理さん、言ってたわよ?
『いくら尚斗でも、病人相手に妙な気は起こさないと思うけど』って」
「……くそ、姉貴のヤツ、よけいなことを……」
「せっかく、お姉さんが信頼してくれてるんだから、それに応えてあげなきゃ、ね?」
瑤子が追い討ちをかけるように言うと、尚斗は恨めしそうに文庫本を見つめ、それからその身を起こした。
「……分かった」
不満げに言いつつも、気を取り直したように、瑤子に食をすすめる。
「───ん。これなら、食べられるよ。大丈夫。オレ、味覚は正常だから。
少しは食べないと、薬も飲めないよ、瑤子さん。
で、あとは睡眠をしっかりとって……あ。
もう絶対、変な気は起こさないから安心して。
……って、こればっかりは瑤子さんに信用してもらうしかないんだけど───」
甲斐甲斐しく世話をやく尚斗を見つめながら、瑤子は、心のどこかで、くちづけを拒んだことを後悔しているのに気づく。
(でも、だからこそ……)
あのまま尚斗とキスしていればおそらく二人は、それ以上のことをしていたに違いない。
尚斗が蒼のように、自分の衝動をコントロールできるとは、思えないからだ。
何より、瑤子自身、熱のせいで理性の《たが》がゆるみかけている自分に気がついた。
尚斗に触れられて、こんなにも心地よく感じているようでは、なし崩し的に、身体を許してしまうに違いない。
(そう、風邪がうつるとか、友理さんの手前とか、そんなものは、ただの言い訳)
唇が触れた瞬間から、きっと、いままでになく激しい形で吹き飛んでしまうだろう、自身の理性の扉に気づいてしまったのだ。
尚斗が放った、あの感情のこもらない……別れの言葉から。
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