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【第一章】
彼と彼女と先輩と④
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「そうですね……」
相づちは、つぶやきに近かった。
一時期は、あいさつすらギクシャクしてしまったのは、私のほう。
そんな私の態度にもかかわらず、それまでのように変わらずに接してくれたんだ、この人は。
「じゃあ、帰ろうか、松原」
自転車のスタンドを戻し、そのハンドルを握り、引き始める。
「車の通りが少ないとこ選ばないと、二人乗りは危険度が増すから、ひとけのない道を通るけど、けっして下心はないぞ。
そのへん誤解のないように。
───よい子は、マネしちゃダメだぞー」
道行く小学生くらいの子供たちに声をかけ、私を乗せ、走りだす。
通りすぎる風に、髪を奪われる感覚を、とても心地よく思った。
それが半減されてしまうのは、あきれたように私たちを見送る一団の視線が痛かったからだ。
もう、本当に、この人は!
「恥ずかしいからやめてくださいっ」
「えー?」
笑うだけ笑って、私の言葉を物ともせずに、自転車を走らせる佐竹先輩。
やがて駅付近から遠ざかり、家に近づくにつれ田園風景が広がって、車が行き交うのにギリギリの車道を通る。
その間も、相変わらずの調子の良さで、軽口をたたき続ける先輩と話しているのは、楽しかった。
さきほどまでの息苦しさは、通りすぎてゆく風にさらわれてしまったかのように、なくなっていた。
見晴らしのいい一本道の行き着く、ずっと先の山々の、そのまた向こうの夕焼けに目を向けた。
やわらかな、オレンジ色。
何もかも包みこんでくれそうな、優しさをもつ、その色。
とり残されたような白い雲も、半透明になって、その色に取り込まれかけている。
なにげなく、視線を前方に戻した。
とたん、目の前に、空中を飛び回る細かい虫の大群が現れた。
顔をしかめながら、片手で払い除けた、その時。
「松原」
穏やかな声のかけ方に、「なんですか」と、問い返す。
ちらりと、こちらを仰向いてくる佐竹先輩。
「……いや、なんでもない」
苦笑ぎみに言って、ふっと表情をゆるめて前へ向き直る。
先輩……?
言いかけてやめるなんてことは、この人にしてはめずらしいことだった。
何を言うつもりだったんですか?
そのひとことを問いかけることなく、自転車は速度をあげて進み続け、夕空から夜空に変わる前に、家に着く。
───七時過ぎに迎えに来るから。
残された先輩の言葉をかみしめて、その背中を見送る。
確実に軽くなった自転車は、瞬く間に夕暮れのなかに消えて行った。
……なぜ、あの人は、あんなに彼に似ているんだろう。
彼にさえ似ていなければ、きっと、あの人を素直に受け入れることができたのに、とも思った。
けれども。
彼に似ているからこそ、佐竹先輩を避けられずにいる───つまり、そういうことだ。
なんて、ずるい子なんだろう、私は。
彼に似た人に慕われることで、自分の欲求を満たそうとしている。
そんな利己的な自分を、もうひとりの私が非難する。
───嫌な女。
「香緒里? 帰ったの?」
ハッとして玄関先で顔を上げると、母がスリッパを鳴らしてやってきた。
「私、今日、花火見に行くから」
「あら、そう。じゃ、浴衣だそうか?」
「え。いいわよ、面倒くさい」
顔をしかめて断る私を完全に無視して、いそいそと浴衣を用意し始める母にあきれつつ、自分の部屋に戻った。
相づちは、つぶやきに近かった。
一時期は、あいさつすらギクシャクしてしまったのは、私のほう。
そんな私の態度にもかかわらず、それまでのように変わらずに接してくれたんだ、この人は。
「じゃあ、帰ろうか、松原」
自転車のスタンドを戻し、そのハンドルを握り、引き始める。
「車の通りが少ないとこ選ばないと、二人乗りは危険度が増すから、ひとけのない道を通るけど、けっして下心はないぞ。
そのへん誤解のないように。
───よい子は、マネしちゃダメだぞー」
道行く小学生くらいの子供たちに声をかけ、私を乗せ、走りだす。
通りすぎる風に、髪を奪われる感覚を、とても心地よく思った。
それが半減されてしまうのは、あきれたように私たちを見送る一団の視線が痛かったからだ。
もう、本当に、この人は!
「恥ずかしいからやめてくださいっ」
「えー?」
笑うだけ笑って、私の言葉を物ともせずに、自転車を走らせる佐竹先輩。
やがて駅付近から遠ざかり、家に近づくにつれ田園風景が広がって、車が行き交うのにギリギリの車道を通る。
その間も、相変わらずの調子の良さで、軽口をたたき続ける先輩と話しているのは、楽しかった。
さきほどまでの息苦しさは、通りすぎてゆく風にさらわれてしまったかのように、なくなっていた。
見晴らしのいい一本道の行き着く、ずっと先の山々の、そのまた向こうの夕焼けに目を向けた。
やわらかな、オレンジ色。
何もかも包みこんでくれそうな、優しさをもつ、その色。
とり残されたような白い雲も、半透明になって、その色に取り込まれかけている。
なにげなく、視線を前方に戻した。
とたん、目の前に、空中を飛び回る細かい虫の大群が現れた。
顔をしかめながら、片手で払い除けた、その時。
「松原」
穏やかな声のかけ方に、「なんですか」と、問い返す。
ちらりと、こちらを仰向いてくる佐竹先輩。
「……いや、なんでもない」
苦笑ぎみに言って、ふっと表情をゆるめて前へ向き直る。
先輩……?
言いかけてやめるなんてことは、この人にしてはめずらしいことだった。
何を言うつもりだったんですか?
そのひとことを問いかけることなく、自転車は速度をあげて進み続け、夕空から夜空に変わる前に、家に着く。
───七時過ぎに迎えに来るから。
残された先輩の言葉をかみしめて、その背中を見送る。
確実に軽くなった自転車は、瞬く間に夕暮れのなかに消えて行った。
……なぜ、あの人は、あんなに彼に似ているんだろう。
彼にさえ似ていなければ、きっと、あの人を素直に受け入れることができたのに、とも思った。
けれども。
彼に似ているからこそ、佐竹先輩を避けられずにいる───つまり、そういうことだ。
なんて、ずるい子なんだろう、私は。
彼に似た人に慕われることで、自分の欲求を満たそうとしている。
そんな利己的な自分を、もうひとりの私が非難する。
───嫌な女。
「香緒里? 帰ったの?」
ハッとして玄関先で顔を上げると、母がスリッパを鳴らしてやってきた。
「私、今日、花火見に行くから」
「あら、そう。じゃ、浴衣だそうか?」
「え。いいわよ、面倒くさい」
顔をしかめて断る私を完全に無視して、いそいそと浴衣を用意し始める母にあきれつつ、自分の部屋に戻った。
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