翼 アフェアーズ

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第1章 出会い

第1話 秀才にして問題児

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「ああっ、もう、めんどくさい。
 なんで僕なんだよ。
 そりゃ距離的には僕が一番近いんだけどさ」

 ぶぅ垂れながら僕は、どっか壊れて引っかかってるんじゃないかと思えるほど重いペダルに全体重を掛ける様にして荒い息を吐きながら必死でケッタマシーン(注:この地方で使われる自転車を意味する方便の一種)を立ち漕ぎしていた。

 しかも、目指す場所はこの丘の頂上。

 ここは山でなく確かに丘。しかも僕の家はこの丘の中腹辺りに広がる住宅地にあって、距離的にはその目的地まではそう大した距離がある訳ではない。でも帰宅部所属、運動嫌いの僕にとってはここからさらに上にあるこの丘の頂上を目指すって事は、素人が天を衝くヒマラヤの頂にアタックするくらい無謀な事なのだ。


 僕の名は『暮林くればやし 兼光かねみつ』。

 この大ヶ埼市にある有名進学校である私立三ッ葵みつあおい高校の一年三組の生徒である。

 成績はそこそこ、そして見かけもちょこっとだけ身長が低めなのを除けば、そう悪くないと自分じゃ思ってる。まあ、この部分はあくまで自己評価だから実際どうなのかは知らん。小学校、中学校、そして高校に入ってからもクラスの女の子とは常日頃相手も嫌がる事なくフレンドリーに話が出来る感じだけど、だからと言ってその内の誰か一人と特別な関係になった事はない。そりゃ、好きになった女の子の一人や二人はいたけど告って、もし拒否られた時の事を考えると一度だって実際に告る勇気もなかったのも事実だ。

 そう言えば、結構仲が良くて、実際、僕自身もその女の子の事を『彼女』に出来たら良いなって思ってた子から特別どうと言う事もない事を話していた時に『兼光ってさぁ。友達としてはすっごく良いんだけど、彼氏にするにはなんか今一つ決定打に欠けるんだよね』って言われた事あったけ。これって女の子からも『好意』を持たれる事は多くても、それが『恋愛感情』には発展しないってタイプ事なんだろう。ある意味、非常に悩ましいポジションだと思ったっけ。

 だって、こっちから特別な関係を望まない限り、見方によっては結構『モテる』タイプとも言えるわけだし。違うかな?

 ちなみに武士の様な名前だけどうち両親はどちらとも武家の出ではない。自己紹介では先にこの文句を言わねば後で必ず『君の家って武家なんだね』って言われ、それを否定する説明がめんどくさくなる。もっともこう断りを入れても何人かは同じ事言いやがる。

 まったくめんどくさい名前を付けられたもんだ。


 そもそも、事の発端は、帰りのホームルームだった。

「あっ、そうだ、暮林ちゃん。
 帰りに『如月きさらぎ つばさ』の家に行って、
 このプリント渡して来てよ。
 これほら保護者のサインとか印鑑が必要な奴だからメールじゃダメだからさ」

 静ちゃんがそのクールな外見とは裏腹ににこにこ人懐っこい笑みを口元に浮かべて妙にフレンドリーでおどけた口調で僕に話しかけて来た。


 静ちゃんと言うのは、僕らの担任の『桐山きりやま しずか』先生の事。

 実際の歳は本人の口から聞いた事が無いし、学校内でも『彼女の歳は決して触れてはならない三高(三ッ葵高校の略称)最大のタブー』とされている。

 ただ外見的には二十歳代後半ではないかと言う印象だ。元宝塚男役の女優の様に長身で誰もが認めるきりりとした美人。静ちゃんが自分達の担任である事が入学式で発表された時、僕らのクラスからは驚きと喜びを含んだ歓声にも似たどよめきが湧き、新入生だけでなく在校生も含めた他のクラスからは落胆の溜息が漏れた程だ。

 ただこの静ちゃん、黙ってればフレームレスの眼鏡を掛けている事もあって美人だけどとても厳しそうな堅物女教師って印象なのだが、実際の性格は熱血教師の割に妙にさばけていて、さらには結構ドジ娘でアニメ等に出て来る様な典型的な『残念系美人』なのだ。またその外見と性格のギャップが彼女の人気を高めている原因の一つになっている様である。

 なので彼女の事を三高生徒である僕らは親しみを込めて『静ちゃん』って呼ぶ。また彼女自身もそう呼ばれる事にはまったく抵抗が無い様だ。


 そして『如月 翼』の方は僕らのクラスメイトだ。

 しかし、彼の姿を見た者は誰もいない。

 と言うのも彼は、50点取れれば合格圏と言われる程超難問揃いの上、私立の癖に英語、数学、国語、社会、理科の壮絶五教科フルスペック型と言う無理ゲー並の難易度を誇る三高入学試験において、噂では全教科満点近かったらしいと言われる程のぶっちぎりTOPの成績で合格し、入学式では答辞を述べる様、学校側から要請されてたほどの秀才でありながら、その要請を無視してまさかの入学式当時から不登校と言う札付きの問題児だった。

 結局、彼はこの五月連休明けてクラスに姿を現さず、この日までずっと不登校が続いていた。

 普通なら天下の超名門三ッ葵高校の事、こんな問題児、早々に入学取り消しとかの処分になるところなんだろうけれど、これ程の秀才はうちの様な県下でも一、二を争う進学校でも滅多に現れないらしく、その上僕らの知らない何らかの『大人の事情』的なやつもあって、何のお咎めもなく僕のクラスの幽霊生徒として在籍し続けている。

 その為、僕のクラスの南側窓に面した列の最後尾には、彼用の机と椅子が入学当初から使うべき主が居ないままずっとぽつねんと置かれているのだ。

 普通なら自宅が学校と同じ市内と言う事もあって顔見知りと事情を知ってる奴がクラスに一人や二人は居ても不思議ではないのだが、こいつの場合それもない。だいたい家がすごく近い僕ですらこいつの事をまったく知らなかった。つうか静ちゃんにこいつの家の場所を聞いて自分の近くで驚いたくらいだ。小中学校共に今の様な完全不登校の引きこもりだったとか、難病でずっと病院に入院していたとか、うちの高校に入学するまでは両親の仕事の関係でずっと海外に居たらしいとか、色々噂あならあるにはあるのだが本当の所は誰は知らない。

 つうか、僕はそんな気持ち悪いヒッキー野郎なんてどうでも良いし、興味などないから知ろうとも思わない。ましてそいつの家を訪ねようなどとは絶対に考えもしない。我らが愛すべきドジっ娘担任『静ちゃん』の頼みだから嫌々ながらこうしてそいつの家に向かってるだけなのだ。まあ、こいつが女の子で、噂の一つにあった様に一昔前に漫画やドラマ等で流行った様な病気でずっと入院しているとかの『薄幸の美少女』って奴なら僕だって他の誰を差し置いて会いに行っちゃうところなんだけど。
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