翼 アフェアーズ

柴川まる

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第1章 出会い

第4話 メイドさん大好き

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 しばし、田舎から大都会に初めて出て来た人の様にきょろきょろと部屋中を見回していると、さっきのメイドさんがキャスターの付いたワゴンを押しながら再び部屋に入って来た。僕は慌てて正面の窓を通して見える広い西洋風のお庭を眺めているフリをした。だって、他人の家を興味津できょろきょろ見回してるなんて、この美人のメイドさんに僕の事をキモイ奴って思われそうで嫌だったからだ。

 メイドさんは僕の居るすぐ傍までワゴンを押して来ると、僕の見ている前でいきなり運んで来た高そうなティーカップ左手に、そしてティーポットを右手に取ると、ティーポットを高々と掲げそこから鮮やかな手つきでポットの中の紅茶を下で待ち受けるティーカップへとまるで琥珀色のガラス細工の様な美しい曲線を描いて注ぎ込んだ。良くドラマや映画で出てくる紅茶の香りを引き立たせる正しい注ぎ方って奴だ。

「おおっ……」

 そのあまりに洗練された鮮やかな手つきに僕は思わず歓声をもらしてしまった。と同時にこの綺麗なメイドさんから見たら、そんな僕はいかにも物を知らない庶民の子供っぽくて見えて馬鹿にされたかもって勘ぐり、自分自身の事を強く恥じてしまう。でもその一方で、きっとこう言う立派なお屋敷に務める彼女の様なベテランのメイドさんなら、客人が些細なミスをしようとそんな事で決して相手を見下す様な事はしない寛容な心を持っているんだろうと自分自身を慰めてみたりもしていた。

「恐れ入ります……」

 メイドさんは僕が思わず上げた歓声に微笑みながらそう小さな声で言った後、ティーカップを僕の前にそっと置いた。きっとこのメイドさんの微笑みは僕が自分の上げた歓声に思わず赤面したのに気が付いた彼女なりのフォローだったんだろう。このメイドさんはなんて優しい人なんだろうと僕は思った。

 僕はこんな見た目も心も美しく素敵なメイドさんに対して主従関係を盾に、いやらしい行為を強要するキモイ引きこもり野郎の翼って奴が増々憎らしくなった。と言ってもそれは僕が勝手に妄想してるだけで、むしろそんな妄想する僕の方がいやらしい奴なのに、その時の僕は自分の妄想に一片の疑問すら感じずに信じ込んでいた。

「こちらはちょうど焼きたてですよ。
 温かい内ぜひどうぞ」

 多分、このくらいベテランなメイドさんになると職業柄、僕ぐらいの歳の客には『大人の男』として接するべきか、まだ『子供の部分が多い未完成な男』として接するべきかをなるべく早い段階で判断しなければならないのだろう。このメイドさんは僕が彼女の巧みなお茶の注ぎ方に少し子供っぽいけれど素直な反応を示したのを見て、少し僕に対する対応を変えた様だ。もちろん僕に対しては後者の方に重心が移したのは言うまでもない。

 メイドさんは今までの少し冷たい印象もある営業用の無表情から、すっごく暖かで優しい笑みをその口元に浮かべて僕の耳元でそう言いながら、マドレーヌ、いや形からするときっとフィナンシェだと思われる焼き菓子がいくつか盛られたお皿をテーブルに置いた。

 カップの紅茶も良い香りがしていたけど、成長期まっただ中の男の子である僕にはその焼きたてフィナンシェから微かに漂ってくるバターの芳醇な香りの方に魅惑されてしまった。

 お皿が置かれたと同時に僕は思わず皿に盛られたフィナンシェの一つに手を伸ばしそのまま一個全部を口に放り込んだ。

 香りだけでなく舌の上にもまったりとしながらさらりとした軽さを持ついかにも高級ですと言わんばかりのバターの味が一気に広がった。抑え気味にしたすっきりした甘み。さらには微かなしょっぱいだけでなく複雑の味が潜んだ自然塩の味があった。

「うわっ、これすっごく美味しい!」

 僕はまた思わず声に出していた。

 どうやら僕は自分が思っているより精神は遥かに幼いままの様だ。僕は先ほどの失敗に続き今度は小学校低学年のガキンチョそのままの様な感じで声を上げてしまった事に赤面した。しかしメイドさんは言葉にこそ出さなかったが『率直な事を口にするのは決して恥ずかしい事ではないですよ』と言っているのが分かる暖かみのある視線と笑みを浮かべながらこう言った。

「あなたがそう言っていたと屋敷のシェフにお伝えしますね。
 きっと彼も喜びますよ」

 その言葉と表情からこんな立派なお屋敷に務めるメイドさんは、僕の様なまだガキである客人に対してもこう言う細やかな心配りが極々自然に出来るのだろうと僕は思い感心した。そしてこのメイドさんの事がさらにもっともっと好きになった。どのくらい好きになったかと言えば、この人さえ『はい』と言ってくれればこれだけ歳が離れていても僕はこの人と結婚しても良い、いや是非して頂きたいと思った程だ。

 そう言ってからメイドさんは、僕から一歩離れ、居住まいを正してから無表情に近いいかにもメイドと言う表情に戻り、軽く一礼して頭を下げたまま今度は少し事務的な感じのする口調で僕に伝えた。

「では翼坊ちゃまをお呼びしてまいります。
 お客様はどうぞごゆるりとここでお待ちくださいませ」

 そう言うとメイドさんは、そのままワゴンを押しながら静かに部屋を出て行った。


 こんなにもメイドさんの事を熱く語ると、あの市電の中で僕が見詰めていた美人の『こいつ』ってのは、実はこのメイドさんがとある事情で女子高生のフリをして僕の高校に転入して来ると言うラノベでは良くありがちなラブコメでも始まるのかと勘違いする人も多いだろう。でも思わせぶりもなんだからから先に言っておく。『こいつ』とメイドさんは別人だ。もしあのメイドさんが『こいつ』なら僕は『こいつ』なんて言い方はしない。『あの人』って言う。絶対にそうだ。

 僕がこんなにも長々とこのメイドさんの事を語ったのは、単にメイドさん属性の性癖が僕に強くあったからだ。ラノベやアニメの中だけにしか存在しないと思っていたこんなとびきりの美人なメイドさんに出会った事が僕にとってはそれはそれは嬉しい出来事だったのだ。どこくらい嬉しかったかと言うと、このメイドさんが丸眼鏡を掛けて三つ編みで、さらには実は元傭兵で『なんちゃらの猟犬』と呼ばれていたと言う過去があるすっごく強い人だったならばもう僕はここで死んでも良いと思えるほど嬉しかったのだ。

 まあ、そんな自分語りは今は横に置いて置き、話をとっとと先に進めよう。
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