翼 アフェアーズ

柴川まる

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第2章 初登校

第6話 翼の身に異変が

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 その時、翼と僕は顔ばかりでなく、体の方も首から下ほぼ全体が向き合ったままぴったりと密着していた。足だって妙な形で翼と絡み合ってる様な感じだった。僕の片手はさっきからずっと翼の腰に回されていたし、翼も僕から離されまいとしてその片手を僕の背中にしっかりと回されていたので、今、僕と翼はまるで愛しい恋人同士がベッドで抱き合う様な恰好そのままになっていた。もちろん、僕は女性とベッドでそんな状態になった事はないが色々な情報を総合してそうだろうと思った。ちなみに、色々な情報って部分はあまり追求しないでもらいたい。それから当然の事だけど、二人とも、もう片方の手は体に沿って下に伸ばされたまましっかりと鞄を握っていた。

 実際の性別はどうあれ外見が超絶美少女の翼と、こんな嬉しい状況になれるとは思ってもみなかった僕は、緊張のあまり心臓が口から飛び出しそうな程どきどきし始めた。同時に相手が男の娘と分かっていても、股間がむずむずし始めるのを、どする事も出来なかった。ただ、頼むから翼に気が付かれる様な大きな身体的変化だけは起こさないでくれと必死に自分自身の体に冷静になる様に言い聞かせていた。だって、二人のその部分さえも後ろから乗客の達の圧力でぴたりと重なっていたからだ。

 翼は俯き加減でその表情は僕からは見えなくなっていた。でも、僕は翼の体が微かに震えている様な気がした。やっぱり翼はこの体験した事もない満員電車の惨状に怯えきっているんだと僕はすぐに確信した。そして、翼を守らなきゃと言う妙な使命感が僕の心に沸き起こった。

「大丈夫、僕が降りるまでこうして守ってるから……」

 僕は翼の耳元に口を近づけ、すぐ近くに居る他の人達に聞こえない様に細心の注意を払って小声で囁いた。

「ありがとう、兼光……」

 翼も市電の音に紛れ込みそうな程小さな声でそう囁いて小さく頷いた。

 そして僕はその守ると言う意思をはっきり翼に伝える為に、その腰に回した手に少し力を加えて翼の体をぐっと自分の方へ引き寄せた。


 その時だった。僕は胸元に妙な妙な感覚があるのに気が付いた。

 えっ? 何だ、コレ?

 それは、左右二つ並んだマシュマロの様なしっとりした柔らかさを持った小さな膨らみだった。

 太った男なら、男でもそう物があっても不思議はなかろう。しかし、翼はかなりスレンダーな体型だ。制服のブレザーを着た状態だと胸の膨らみなどほとんど分からない。翼の場合、実際は男なんだからそれが当然と言えば当然だった。しかし、今、僕が胸元に感じているコレは何だ。残念ながら僕は、まだ本物の女の子の胸をじっくり触った事などない。だけれど、この何とも形容しがたい柔らかさは、大きさこそかなり小さ目ではあるが明らかに男の物とは違う気がする。

 コレって小さいけど女の子のオッパイじゃね?

 いや待て。翼は自分自身で『僕は男だ』って言ったはずだ。じゃあこの柔らかい膨らみは何なんだ。

 もしかしたら……僕の頭にある考えが浮かんだ。

 そもそも翼が男だって言うのは翼自身が言った事であって僕はまだ確かめてもいない。確かにメイドさんは翼を『坊ちゃま』と呼んではいるし、三高の方も『男子生徒』として登録してある様だ。でも、もし、如月家が一般人が知ってはならない『大人の事情』って奴で本当は女の子である翼を表向きは『男の子』にしておきたかったとしたらどうだ。もしそうならあの如月家の事、学校の籍ぐらいどうとでも操作出来たはずだ。さらに翼自身もメイドさんを含めた周りの人から生まれてこの方『お前は女の子の姿をした男の子だよ』と言い続けられていればそれが真実と思い込んでしまっても不思議じゃない。だから、その裏事情を知っている静ちゃんが、翼の居る僕らのクラスの担任となった。そして、そんな静ちゃんだから僕の口から下手な事が漏れて大変な事にならない様に、あんなに強い口止をしたんじゃないだろうか。

 つまり、翼は『男の娘』じゃなくて、やっぱり本物の『美少女』だったんだ!

 僕はその時、そう思い込んでしまった。こんな超絶素敵な美少女と満員電車の片隅でこんな状況になっている。しかも翼は僕を信じて、僕に頼り切って今、その身をすべて僕に任せている。

 ああ、神様、僕はこんな素敵な運命の出会いをくれたあなたに心から感謝し帰依し奉ります。

 僕は心の中で、膝を折り、両手を合わせて、思いつく限りの神様達に向けて感謝の祈りを捧げていた。この時の僕は、自分が生きて来た人生の中で今が一番幸せな瞬間だって心から信じていた。


 ことことゆっくり進む市電が僕らが目指す三高下停留所の一つ手前に当たる葦乃池あしのいけ停留所を過ぎた頃だった。

 僕に腰を抱き寄せられぴったりと身を寄せていた翼の体が妙にもじもじとし小刻みに動き始めた事に僕は気が付いた。それは市電に乗ってすぐに感じた不安感から来る細かな震えとは明らかに違っていた。体の動きと共に時折、その頭も俯いたまま、まるで子供がいやいやをする様に小さく左右に動かしている様にも見えた。

「あっ……いやだ……」

 そして、翼の耐えきれず思わず漏らした様な感じの小さな声が聞こえた。いや、その声はあまりに小さくて、そう聞こえた様な気がしたと言う方が正しかった。

「どうしたの、翼、何かあった?」

「ごめん、兼光。実は……」

 僕はその声がどうにも気になって、翼の耳元に口を近づけてそっと小声で声で尋ねた。翼はすぐに消え居る様な小声でそこまで答えてから口籠り、その顔をおずおずと上げた。僕の目に、頬を赤く染め、少し涙目になってすがる様な視線を送る翼の顔が写った。それはまさしく誰かに助けを求める、か弱い女の子の顔だった。

「大丈夫、僕が必ず何とかしてあげるから言ってみて!」

 僕はそんな翼がたまらなく愛おしくなって、励ます様に笑顔で極力落ち着いた感じの声で言った。

「さっきからずっと……お尻を触られてるんだ……」

 僕の声に促され、翼は、やっと途切れ途切れ、消え入りそうな小さな声で囁く様にそう答えた。


 えっ……腰ではなく、お尻を触られてるだって?

 僕の手は君の腰をしっかり抱いてる。そしてもう片手は鞄を持ったままだぞ。

 じゃあ、翼のお尻を触っているのは誰だ?


 一瞬心の中でそう自問自答した僕は、すぐに今、翼の身に何が起こっているのかを把握した。そして、それは翼にとっては切羽詰まった緊急事態だった。


 翼は今、痴漢されている!
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