翼 アフェアーズ

柴川まる

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第3章 最初の一日

第2話 当然が崩れる時

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 ただ、その時、女子の一人が半分冗談めかしてこんな事を言ったのだ。

「相手が如月君なら、女子トイレ使っても良いよ。
 どうせ中は個室だしさ。
 逆に男子トイレ使うのって狼の巣に子兎を入れちゃう様なものじゃない?」

 ちなみにこれを言った女子と言うのは『犬養いぬかい 真子まこ』だった。犬養は、僕と同じ中学出身で結構親しくしている女の子だ。彼女は、西九条や翼みたいな美人ではないが、すごく親しみがあって男女共に結構人気のある女の子だった。実際、クラスの男子には犬養を彼女にしたいと思っている奴が結構多い。でも、本人は自分は美人じゃないのでもてないと思い込んでる様だ。その上、特に男子からもてたいとも、彼氏が欲しいとも思っていないみたいだ。翼が現れる前、僕と犬養は同じ中学出身と言う事もあって結構一緒に居て話すことも多かった。その為、一部のクラスメイトには密かに付き合ってるんじゃないかと噂された事もあった。しかし、それは犬養自らが、暮林とそれは絶対にありえないからと、その噂を明確に否定してしまった。事実、犬養だけでなく僕自身も、お互いを決して彼氏彼女と意識することはなかった。犬養は、僕にとって性別を意識せずに付き合える本当に意味での『ガールフレンド』ってやつだと僕は思っている。


 そして僕は、この犬養の言葉を聞いた時から、翼に限らずLGBT的な人の場合どうするのが正解なのかと考える様になった。

 翼の場合、外見は美少女でも中身は翼自身も言明している様に正真正銘の男。こう言う場合は、今回の様に多少奇異にな感じ見られても男子トイレ、そして出来れば個室を使うのが正解だろう。

 でも、外見だけじゃなく心まで女の子と言う場合は、これではその人の精神的負担が大きすぎてしまう。だって心が女の子なら、男子トイレで用をたすというのは例え個室を使ったとしても耐え難い恥ずかしさを伴うもの様な気がする。しかし、かと言って、その心のまま女子トイレを使った場合、逆にトイレを使う女子たちの方が不快な思いをする事だって考えなきゃいけない。

 この問題は、トイレに限らずお風呂、更衣室等、考えてみると意外に多くの場所で問題となりそうだった。しかし翼と知り合うまで男女が区別される場所でそのどちらを使うかなんて考えるまでもない事だと僕は思っていた。それはお日様が東から登るのと同じで誰でも当然分かりきった事として気にも留めていなかったのだ。

 僕は、翼と知り合うことで、僕とはまったく関係のない世界の事だと思ってたことが少しづつ気になりだした。それと同時に、僕ら三高生徒も否応なしにそう言う人たちの事を考える様になっていった。これからの世の中、当然と思われてきた値観が大きく変わってゆきそう気配だ。そんな時代に生きて行く僕たちにとって、これはとても良い事なんじゃないかと僕は思えた。


 さて、その後、四時限目を無難にこなした僕と翼は、育ち盛りの高校生にとっては非常に待ち遠しい、そして一番の楽しみでもあるランチタイムを迎えた。

 僕らの通う私立三ッ葵高校には、お洒落なカフェテラス風の学生食堂がある。ここは生徒達に格別の人気があり、ここでお昼を取る者が多い。その一方、昔ながらの弁当を自宅から持参し、各自お気に入りの場所で親しい友人同士で昼食を取る者も居る。また、近所にあるかなり有名なベーカリーショップの出張販売も行われている。ここで売られるパンもかなりの人気で争奪戦が起こるほどだ。そこで買ったパンと自販機の飲み物を昼食にする者もある。ちなみに食堂はその席数の多さから、弁当等を持ち込んでそこで食べる事も許されている。


 学校での昼食と言えば僕にはぜひ触れておきたいエピソードがあった。

 現在の僕は、学食や出張販売のパンを昼食時には利用している。しかし、入学当初は母親お手製の弁当を持って学校に来ていたのだ。
 
 あれは入学して半月ほど経った頃の事だった。僕の大好物のチャーハンが弁当として入っていた。それを僕は美味しいかったと帰宅後母に言った。それに気を良くしたうちの母親は一週間ぶっ続けでチャーハン弁当を作り続けたのだ。これにはチャーハン好きの僕でもさすがに飽きてしまいチャーハンはもういいよと母に言った。

 その翌日の昼食時、僕が弁当の紙袋を開けたら、そこにはロールパン二個と焼き鳥の缶詰一個が缶のまま入っていた。袋を開けた瞬間、僕は、今日はロールパンのサンドイッチだと思った。しかし、袋から取り出してみると、それは何も入っていないただのロールパンその物だった。さすがにこれには、僕もかなりむかっと来て、帰宅するなり母親に文句を言った。

 そしたら、母親は翌日から弁当を作らなくなり、代わりに千円札一枚を渡されるようになった。ここで僕も口先だけでも謝れば良かったのだろう。しかし売り言葉に買い言葉ってやつで、そのまま何も言わずに千円札をポケットに突っ込んで学校へ向かった。この日以来、母親は弁当を二度と作ってくれなくなった。

 まあ、それでもこれは弁当に関してだけの事で、このことで決定的に僕と母親の仲が悪くなったわけでは決してない。しかし、これって僕だけが悪いわけじゃないと思うんだが、どうだろう?

 ちなみに、のちにこの話を翼にした時、翼は「実にユニークなお母様だ」と言ってけらけらとしばらく笑い続けていた。


「翼、お昼はどうする?
 学食に行く? それともパンでも買う?」

 僕は翼のカバンにとても弁当が入っている様に見えなかったので四時限目が終わると隣の席に座る同時尋ねた。

「ここの学校には学生食堂があると聞いていたので、
 学校へ行ったら、ぜひそこで食べてみたいなと思っていたんだ。
 実は僕、あまりそういう所で食事をしたことがないんでね。
 兼光も一緒に来てくれると、とても助かるんだけれど、良いかな?」

 そう言って翼はまたあの反則技の微笑みを浮かべて小首を傾げた。翼にそんな顔で言われて僕が断れる訳なんかないじゃないか。

「もちろんだよ、翼。
 じゃあ、学食が混雑する前に急いで行こう」

 そう言って僕は席を立って歩き出した。すると翼も同じ様に席を立ち、まるで恋人に従う様に僕の横にぴたりと付いて来た。翼にしてみればきっと深い意味はなく、僕とはぐれて迷子になるのが怖くて傍に引っ付いてるんだろう。でも僕にはそんなことはどっちでも良かった。僕は、翼がすぐ傍に居るのがただただ嬉しくて顔がにやけるのを抑えるのに必死だった。
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