翼 アフェアーズ

柴川まる

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第3章 最初の一日

第4話 ずれてる常識

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「兼光、お釣り間違ってるよ」

 翼から千札一枚を預かっていたので、カツ丼の食券それにお釣りの五百円玉一枚と百円玉二枚を渡した僕に翼が言った。

「えっ? だってカツ丼三百円だからお釣りは七百円で良いんだよ」

「ええっ! 何、冗談言ってるんだ、兼光。
 三百円じゃお菓子だって買えないじゃないか!」

 そう叫んだ翼は、冗談やわざと大げさにしているのでなく心の底から純粋に驚いている風だった。

 ちょっと待てよ、翼。三百円あればスーパーでスナック菓子が二袋は余裕で買えるぞ。君の金銭感覚ってどうなってるんだ? 僕は翼のその反応と言葉に驚いた。

「いやいや、ここは学校の学生食堂だからこんなものだって」

 僕はそんな翼に苦笑いしながらそう言った。すると翼は自分で自分を納得させるかの様に何度も頷きながら僕に言った。

「なるほど、なるほど、学生食堂って言うのはそう言う所なんだ。
 あんなに珍しい食べ物がいっぱいあって、その上安いとは、本当に便利だ」

 おいおい、翼、何も珍しいメニューなんてここにはないじゃないか。食堂、定食屋系ならどこにでもある普通のメニューばっかだって、と翼の言葉に僕は思わず突っ込みを入れそうになった。しかし、当の翼自身は真面目な顔でしきりと感心している風だった。なので僕は、そんな翼に、ただにこにこ笑うだけであえてここでは何も言わず黙っていた。ただ、あれだけの金持ちとなるとその常識ってやつは庶民には到底理解できないものらしいと僕はその時、密かに思った。

 実際、翼は本当にこの食堂が大変気に入ったらしく、その次の日から毎日お昼休みなると必ず僕を誘ってこの食堂を利用するようになる。おかげでその翼目当てに学食を利用する輩も増え学食の売り上げが上がり、学食のおばちゃんからとても感謝されるようになった。だからそれからというもの僕と翼が学食を利用すると、おばちゃんは必ず内緒で僕らに何かしらおまけをしてくれるのだ。

「こんなに安いなら今朝、僕を助けてくれたお礼に、
 君の昼ご飯代は僕が出そうじゃないか。
 何でも遠慮なく注文してくれたまえ、兼光」

 ああ、そう言って小首を傾げて笑う君はやっぱり素敵だ。君が本当は男だと分かっていても僕は、いつでもその笑顔で心をとろとろに溶かされてしまうんだ。

 結局、僕は初志貫徹で本日のランチであるA定食を選び、それを翼の言葉に甘えてに奢ってもらった。こちらは翼のカツ丼よりちょっとお高い四百五十円。もちろん、そのボリュームと味を考えれば、市中の同じ様なお店と比べれて破格の値段である。しかし、翼はそれじゃまだお礼にはあまりに安すぎると言った。そして翼は、ここでは非常に高く感じる一個二百円の特製デザートプリンを自分用と共に僕にも買ってくれた。

「ありゃ、暮林君。ついに彼女持ちかい?
 しかも、こんな美人の……」

 カウンターで給仕をしてくれている顔なじみのおばちゃんにからかわれながら、僕らはそれぞれ注文した品をトレイに乗せて空いた席へ向かった。


 狙っていた辺りの席は比較的まだ時間が早い事もあって空きがまだ十分あり、僕らはそこへに座ることが出来た。大ヶ埼市は比較的珍しい河岸段丘と言う階段状で丘の多い地形の街だ。そしてこの三高もその丘の一つの頂上付近にある。その為、この学食の大きなが窓からは大ヶ埼市が一望出来るのだ。僕の狙っていたのは、その中でも特に眺めの良い窓際に置かれた机だった。

「ここは眺めが良いね。
 まるで洒落た丘の上のレストランの様だ」

 トレイを置いて席に座った翼が僕を向かいに座った僕を見てにっこり笑った。もう翼にそう言ってもらえるだけで、僕はすっごく満ち足りた気分に浸れた。翼のお屋敷からならもっといい景色が見られるんじゃないかと僕はふと思ったが、あえてその事は考えないことにした。

 最初、僕は、翼と向かい合わせじゃなくて、恋人同士の様に隣同士で座りたいと思った。でも、やっぱり外見はどうあれ男同士って事が僕は気になった。それにまだ知り合って間もない照れもあって、僕は翼と向かい合わせの席を選んでしまった。まあ、結果的にこの席にはこの席で、食事中ずっと真正面から翼の姿を見ていられるという利点があったから僕に後悔などない。

「いただきます」

 翼は両手を合わせてそう言ってから、トレイに乗せて来たスプーンを使ってカツ丼をすくって口に運んだ。えっ、なんでスプーンなんだ。僕はその瞬間、唖然として翼を見詰めてしまった。

「ああっ、これは何て美味しい料理なんだ!」

 しかし、そんな僕を気にする風もなく翼は、口の中に広がる、だしの効いたふんわりとろとろの卵、まだサクサクの揚げたてのカツ、それに炊き立てごはんの甘さの絶妙なハーモニーにそう声を上げてうっとりとした表情を浮かべた。

 確かにここのカツ丼は美味しい。でも、もっともっと美味しいもの普段から食べているはずの翼がそこまで感動的になるほどとは、僕にはとても思えなかった。それにカツ丼をスプーンで食べていることも相まって、僕は翼の事がますますミステリアスに感じられ、もっと良く翼の事を知りたいと心から思った。


「翼、何でカツ丼をスプーンで食べてるんだい?」

 僕は思い切って翼に尋ねてみた。

「カレーライスがスプーンだからカツ丼もそうじゃないのかい?」
 
 僕の問い掛けに翼はそう言って小首を傾げた。

 くそっ、こいつのこういう仕草、やっぱりめちゃくちゃ可愛い!

「いや、カレーはスプーンだけど、丼物は普通、お箸だよ」

「ああっ、そうなんだ。
 どうりで丼の縁が高くて少し食べにくいかなって思ってたんだ。
 僕はまだこういう日本の食事作法にあまり慣れていなくてね。
 これからもおかしなことがあったら遠慮なく教えて欲してくれたまえ」

 僕の言葉に翼はそう言ってにっこりと笑った。

 えっ、翼、今、君は何て言った? 『日本の食事作法にあまり慣れていない』って? ちょっと待て、それはどういう事なんだ? 僕は翼の言葉を聞いて頭の中が混乱し始めた。翼の外見は、確かに標準的な日本人より手足長く欧米人の体系に近い。顔も彫が深い。でもその艶やかな黒髪と言い、磨き上げられた碁石の様に黒い瞳と言い、白いとは言え少し黄色が買った肌と言い、誰が見ても翼は日本人だと思うはずだ。何よりその使う言葉だ。何の訛りもない、違和感もない、すごく綺麗な日本語じゃないか。
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