翼 アフェアーズ

柴川まる

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第3章 最初の一日

第5話 解ける謎深まる謎

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「ちょっと、待って、翼。
 君って如月家のご子息なんだよね?」

「うん、そうだよ。
 上に年の離れた姉は居るけど、長男で息子は僕だけ。
 う~ん、やっぱりお箸じゃ食べにくいな」

 僕の問い掛けにも、翼はスプーンから持ち替えたお箸を止める事はなかった。翼は、二本の箸の間からぽろぽろとこぼれ落るカツ丼と格闘しながら片手間の様に答えた。

「やっぱり、カツ丼はまだスプーンの方が良いな。
 ねぇ、兼光。良いよね?」

 翼はそう言ってまたスプーンに持ち替えると、僕の方を見て苦笑いをしながら小首を傾げて尋ねた。

「ここは学食なんだからそう形式ばったことは考えなくて良いよ。
 君が美味しく食べられる食べ方で食べれば良いよ」

 僕はスプーンを手に持つ翼が妙に幼く見えて、思わず保護者の様な優しい笑顔を見せながらそう答えた。僕の答えを聞いて翼も安心したのか嬉しそうな笑みを浮かべた。そして、持ち替えたスプーンで再びカツ丼を食べ始めた。

「あっ……そうか、兼光、君にはまだ話していなかったんだ」

 二口三口カツ丼をスプーンで口に運んだ後、翼は急にカツ丼を食べる手を止めた。そして、何かを想い出したかのように僕の顔を見て言った。

「何を?」

 僕もA定食を食べる手を休めて翼に尋ねた。

「僕は、両親の仕事の関係で、
 幼い頃からちょっと前までずっとUSAに居たんだ。
 日本に帰って来たのは半年ほど前」

「ええっ! じゃあ、翼、君は帰国子女?」

 翼が事も無げに言った言葉に驚いた僕は驚いてそう聞き返した。

「うん、そう言う事になるね」

「そう言う事になるって……。
 でも、それにしては君の言葉とかぜんぜん違和感ないじゃないか!
 とても幼い頃からずっとアメリカ暮らしなんて信じられない」

「ああ、それはね、僕の爺さんが変わった人で……

 『幼い頃より海外で暮らすのはその見識を広げるにおいて正しい。
  しかし、日本人ならば日本語やら日本の習慣等、
  日本人として当然持っていなくてならない常識は、
  きちんと歳相応には身に付けていなければならぬ。
  そんな基本的な事が抜けている状態の帰国子女などを
  特別視してありがたがる風潮などわしは絶対に認めんからな』

 ……って言って、USAに住んでいる時もかならず月に一度は、
 みっちり日本語やら日本での習慣を学ばされたんだ。
 あと、盆正月にはちゃんとあの屋敷に帰って爺さんと過ごしてたしね」

 翼は、途中、頑固爺さん風の口調を真似ながら僕に説明した。そして話し終わると、また何事もなかったかのようにカツ丼をスプーンを使って美味しそうに食べ始めた。

「なるほど、そういうわけだったんだ……」

 翼がまた食事を始めたのを見て僕もA定食を再び食べ始めた。

 翼が幼い頃から男の娘だったのなら、そんな変わった子供、必ず通っている学校や住んでいる地域では話題になるはずだ。しかも、翼はこの街では知らぬ人がいないほど有名な如月家の御曹司。今までその名前を聞いても、翼があの有名な如月家の御曹司と誰も気が付かないなんて普通ならありえない。そもそも、如月家のお屋敷は僕の家のすぐ近く、普通なら名前を聞いた時点で僕が真っ先に僕が気が付かなければおかしかったのだ。なるほど、幼い頃からずっとアメリカ暮らしだったのでは僕らが知らぬのも無理はない。僕は翼と知り合ってからずっと感じていた疑問にやっと納得に行く答えを得た。そして、僕は翼の事をまた一歩より深く知ることが出来た様な気がして、すごく嬉しくなった。


 食事の最中、僕は翼から学校とかこの街の事など色々聞かれた。本当はそんな事より僕の事にもっと興味持ってくれればもっともっと嬉しいというのが偽らざる僕の本音である。でも、翼とこうして食事をしながらお話が出来るなんて、まるで素敵な女の子とデートしている様でそれだけで今の僕には十分幸せだった。例え翼が本物の女の子じゃなくても、そんな事は髪が長いか短いか程度の些細な事の様に思えた。

 そして僕は、この翼とのおしゃべりの中でまた一つ翼に関する事でまた新しい発見をした。

 今まで僕は、翼がは極端な人間嫌いで、知らない人がたくさんいる学校や人が多くいる場所に出るのが嫌でひきこもりを続けていたんだと思い込んでいた。今朝も、大ヶ埼駅で通勤通学の混雑を目の当たりにした時の翼のうろたえ様とかを見てそう僕はそう確信していた。しかし、このおしゃべりで翼がこの学校だけに限らず、自分が住むこの街にすごく興味を持って色々知りたがってる事を知った。人間嫌いがそんな事、興味を持つはずがない。それで僕は、それまでの考えが間違っている事に気が付いたのだ。翼は単に人見知りが激しいだけで、決して人間嫌いとかではなさそうだ。


 さらに僕は、この頃になると翼と一緒に居て感じる印象と、初めてあのお屋敷で会った時に感じた印象との間に違和感も感じ始めていた。

 あの広大な如月邸で翼に出会った時、確か僕は、翼の事を先輩女子だと思ったはずだ。だから、こっちが新入生って事にかこつけて登校時に色々な事を教えてもらう口実で一緒に登校しようと翼を誘った。では何故、翼の事を先輩女子だと思った? 翼が僕の制服を見て、三高の生徒だねと言ったから? いやそれなら同じ新入生と思った方が自然ではないか? 今の翼は上級生と言う感じより、まだ何もかもがこの三高に馴染んでいない雰囲気が滲み出る新入生と言う感じの方が遥かにしっくりくる。

 そうだ。あのお屋敷の応接間で会った翼は、言葉や仕草、それに雰囲気が、とても落ち着いていて自信に満ち、すごく大人びた感じがした。明らかに僕より年上のお姉さんと言う感じだった。ところが、今僕の目の前で美味しそうにカツ丼をスプーンで食べている翼は、まるで子猫の様に可愛らしくて、あの時と比べると遥かに幼い印象がなのだ。この食堂に限らず学校での翼は、言動共に自信が無く、常におどおどと臆病な感じがしている。

 出会った時の翼は、僕の方が翼に甘えさせて欲しくなる感じだったが、今の翼は僕が守ってやらねばって気になってしまう。じゃあ、お前はどっちの翼が良いんだよと聞かれると、僕はかなり悩みそうだ。確かに今の子猫の様な翼はすっごく可愛くて良い。だけどやっぱり僕は、お屋敷で会った少しミステリアスな年上のお姉さん風の翼の方が好みの気がする。お姉さん風をびゅーびゅー吹かせた美人に「まったく君と言う奴は」なんて呆れられた様に言われたらメロメロになりそうだ。でもはっきりこれだけは言っておくが、僕はどMってわけじゃないからな。

 しかし、同じ翼と言う人物なのに、どうしてその印象がこんなにも違いがあるのだろう? 僕はとても美味しそうにカツ丼を食べる翼を見ながら、ふとそう思った。
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