翼 アフェアーズ

柴川まる

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第4章 初めての体育

第2話 逃亡先は保健室

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 僕も自分のブレザーと着替えを片手に持ち、もう片方の手でしっかりと翼の手を引いて逃げる様にロッカー室から駆け出していた。その時ロッカー室に居た男子生徒から僕に向けられた、殺気を帯びた抗議と憎しみの入り混じった冷たく鋭い視線を僕はいまだに忘れることが出来ない。

 僕はそのまま、事務室や職員室がある管理棟へ向かった。目的地はその端っこ、幸い体育館側にある保健室だった。僕が保健室の前に立ち、その扉をノックすると中から落ち着いた女性の声がした。

「どうぞ、お入りなさい」

「失礼します!」

 僕は扉を開けるとそう言って一礼をして保健室内に入った。翼も訳が分からない状態だっただろうがそれでも僕に合わせて一礼して付いて来た。

 部屋に入るとそこは保健室と言うよりちょっとした個人病院の診察室の様だった。右手の壁には包帯やらガーゼ、消毒薬など医療器具や薬が並ぶ棚があり、左手奥にはカーテンで仕切る事の出来るベッドが並んで二つある。そして正面奥、窓の前に広めの机が置かれ、その前に白衣を羽織った中年の女性が座っていた。

「あらあら、彼女連れて保健室に来るなんて。
 先生、席を外さなきゃいけないかな?
 まあ、ベッドを汚さないでくれれば固い事は言わないけどね」

 僕らが部屋に入るとその女性は座ったままくるりとこちらを向いて笑いながらそう言った。

 この人はうちの学校専属の校医さんで『宇野 千景』先生。女性としての最盛期は過ぎた感があるけれど、若い頃はかなりの美人だった事がわかるその顔とスタイル。静ちゃん先生や東九条、翼などのきりりとした感じでなく、見るからに優しそうでどっちらかと言うと美人のお母さんと言うイメージだ。ちなみに、静ちゃとは違う意味でこの宇野先生も生徒にはすごく人気がある。

 優しそうな宇野先生であるが、単なる保健室の先生ではなく、実は正式な医師免許を持つお医者様である。噂だとかつて学校で大けがをした生徒をこの保健室で応急手術して命を救ったという伝説を持つほどの名医らしい。まったくこの三高は公立高校より高い授業料が掛かるが、学食と言い、この保健室と宇野先生と言い、高い分その設備は普通の高校では太刀打ちできないレベルだ。

「おや、その子、ひょっとして話題のあの子じゃないの?」

 宇野先生は僕の後ろに立つ翼を見てにこにこ優し気な笑みをその口元にたたえながらそう言った。

「あれ、宇野先生、翼をご存じなんですか?」

 僕は驚いてそう聞き返した。

「先日の朝、君がこの子を連れて職員室に来た時、
 私もたまたま職員室に居たのよ。
 しかし、ホントこれで男の子だなんて信じられないわね。
 胸はパッドでも入れれば何とかなるだろうけど、
 その腰のラインなんてスレンダーな女の子となんら変わらないわ」

 宇野先生は興味津々な表情を浮かべてそう言いながら席を立って翼に近寄った。その異様な迫力に驚いて翼は思わず一歩後ろに後ずさりした。

「ちょっと見せてね」

 しかし宇野先生はそんな翼の頬を両手で包み込み様にて捕まえると、ぐぐっと翼の顔に自分の顔を近づけながら有無を言わさずそう言った。この時点でもう宇野先生は優しい保険の先生ではなく一人の医者として翼に興味を持ってしまった様だ。

「うむ……眉弓のでっぱりも極々小さい。
 額部分も直立してて女性に近い。
 後頭部もなだらかで顎も細くなだらか。
 これじゃ医者だって頭蓋骨からは男だって判別は難しい。
 これは興味深いぞ……」

 宇野先生はまるで患者を診察する様な真剣な顔つきなっていた。そして翼の頭を撫でまわしてその骨格を確認するようにしながらそう言った。

「うんうん、さすがに胸は偽物の様だね」

 そしてその手を首筋をさする様にして下ろしながら胸の小さなふくらみをぱふっと言う感じで押さえながら安心した様に笑った。さらに先生はその手を翼の体の線に沿って這わせながら腰の辺りまで下げて行った。

「ああっ! 先生、いくらなんでもそこから下はダメだって!」

 翼は恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。しかも相手が保険の先生である為、嫌とはっきり言えず困惑した様子だった。そんな翼を見て僕が代わりに思わず声を上げた。

「あっ! そうか! そうだよね。
 ごめんね、先生、つい、変な探求心が出ちゃって」

 僕の声で我に返った宇野先生はすぐに翼から手を放した。そしてそう言いながら頭をかきながらすまなさそうに翼に言った。

「あっ、いえ、僕はこういう事慣れてますから」

 翼も宇野先生が正気に戻って安心したのか口元に笑みを浮かべてそう答えた。

「僕? すると君は心の方はちゃんと男の子なのかな?」

 翼が自分の事を『僕』と言った事に気が付いた宇野先生は真面目な顔に戻って翼に尋ねた。

「はい、僕の場合、服装が女の子の物って事だけで、
 そのほかの事はいたって正常な男です」

 宇野先生の問い掛けに翼も真面目な顔でそう答えた。

「確か、『如月 翼』君っだったよね?」

 宇野先生がそう尋ねると翼は頷いた。

「じゃあ、如月君。
 私は校医と兼任で学校のカウンセラーでもあるのよ。
 君の場合、存在がとてもユニークだから、
 今後、まだまだ色々面倒な事が起こると思うの。
 だから、カウンセラーとして君の事をもっと良く知っておきたいな。
 もし良かったら放課後にでも少し時間を作ってくれない?」

「じゃあ、今日の放課後、またここへ来ます。
 僕も先生の様な方に自分の事を知っておいてもらえると心強いです」

 宇野先生の言葉に翼はにっこり笑ってすぐに快諾した。

 僕は翼が宇野先生の言葉に『心強い』って言った事にちょっとした嫉妬心を覚えてしまった。だって、翼は今まで少なくとも学校では僕を頼っていてくれると思ったのだ。それを宇野先生に自分の事を知ってもらうのが心強いだなんて、なんだか僕だけじゃ心もとないって言われてる様な気がしたのだ。それにカウンセリングって事になれば僕は一緒には居られないはずだ。そうなると帰りが初めて翼と別々になるかもしれない。今までずっと一緒だったのに翼と別々に帰るなんて僕は絶対に嫌だった。

「ところで君たちはなんでここに来たの?
 見た所、怪我とか病気じゃなさそうなんだけど……」

 僕が密かにそんな子供っぽい嫉妬心を心に燃やしてると、宇野先生が少し怪訝な表情で僕らに尋ねて来た。
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