翼 アフェアーズ

柴川まる

文字の大きさ
上 下
40 / 100
第4章 初めての体育

第7話 翼のバスケ!

しおりを挟む
 その瞬間、この試合を見ていた誰もが息を飲み、異様な静寂が辺りを包んだ。そして一呼吸の後、やっとここでゴールが決まったと分かった審判役の生徒が笛を吹いた。

「おおおおおっ……」

 それと同時に地面を揺るがすような低いどよめきが試合を見ていた生徒達から上がった。


 あの時、翼は自分の持つボールを叩き落しに来た峰岸の手がボールに触れる寸前、素早くボールを片手に持ち替えていた。そして、そのままにボールをほぼ真上に向かって無造作に放り投げたのだ。翼の手を離れたボールは高い高い放物線を描きながらゴールリングの中央を目指して落下して行った。

 その場に居た誰もが、翼が苦し紛れに放り投げたボールが、たまたま運良く、相手チームにすれば運悪く、ゴールリングを通ったと思っただろう。でも、僕はその時、確かに見たんだ。ボールを放り投げる直前、翼はにやりと不敵な笑みを浮かべた。それはいつも翼がする可愛らしい女の子の微笑みではなく、自分の勝ちを確信した自信に満ちた男の笑いだった。

 そう気が付いて思い返すと、峰岸に捕まった時、翼はまるで女の子が怯える様な表情を浮かべていた。あの表情も、こちらが弱いと油断させる為のフェイクだったのではないだろうか。まるで蛇に睨まれたカエルの様に、何も出来ずにただ立ち尽くしていたのもすべて計算ずくの事だったのではないか。そう考えた時、僕はちょっと翼が怖くなった。


 しかし、その翼のプレイがバスケ部レギュラーである峰岸の闘争心に火をつけた。僕の友人である時田の話だと峰岸はこの時間の試合中、明らかに手を抜いたプレイをしていたと言う。まあ、彼は彼なりに素人相手に本気になるのも大人げないと思っていたのだろう。

 そこから峰岸は翼を徹底的にマークした。

 それでも翼は峰岸のマークを巧みに外してボールを受け取ると何度も敵陣ゴールへ果敢に攻め入った。そして、何度もあの峰岸とゴール下の攻防を繰り広げた。さすがバスケ部レギュラーだけあって、最初こそ翼にしてやれらたが、その後は一進一退に勝負を繰り広げていた。それは僕ら見る者を魅了するほど素晴らしいものだった。


 残り時間わずかとなり得点は奇しくも同点。そこで峰岸はタイムアウトを取った。

 そして、タイムアウトが終わった直後の事だった。試合は相変わらず翼と峰岸を中心としたせめぎあいが続いていた。

 その均衡を破ったのは、翼ではなく峰岸だった。大男のである峰岸に対して華奢で小柄ながら翼はここま良くその動きを押さえていた。しかし、峰岸は、その翼が見せた一瞬の隙をついて華麗な高速ドリブルから豪快なダンクシュートを決めた。


 峰岸が迫力あるダンクシュートを決めた後、すぐさま翼がボールを受け取り、そのまま相手がディフェンスを固める前に翼が速攻を決めようとした時だった。

 ダンクシュートを決めた峰岸がいつ間にか自陣ゴール下に戻っていたのだ。

 そればかりか、他の敵チームの連中もまさに死に物狂いの全力疾走で自陣に戻って来ていた。

 峰岸はこちらに高速ドリブルで突っ込んでくる翼を見て笑った。

 峰岸は翼が速攻で再び同点にする事を狙っているのを読んでいたのだ。それを先ほどのタイムアウトでチーム全員に徹底していた。そして、翼が自陣ゴール下に達する前に鉄壁のディフェンスを構築するのに成功していた。

 トップに峰岸、その後ろに残りの選手が完璧なゾーンディフェンスを取り翼がゴール下に入るのを確実に阻止できる形になっていた。

 しかし翼は、峰岸のかなり前、ハーフラインを超えてすぐ辺りで突然立ち止まってしまった。立ち止まった翼も峰岸を見て笑った。峰岸は翼の意図を図りかねている様だった。本当ならこの時、彼は何も考えず翼の真正面に走り寄らなければならなかったのだ。そして翼を完全制圧していなければいけなかった。そうすればそのままタイムアップになって彼らの勝ちだった。しかし、普通に考えれば翼が立ち止まった位置はシュートを狙えるレンジの外だった。その常識が峰岸の判断を遅らせたのだ。

 峰岸が一瞬、その場に立ち尽くしたのを見た翼は、両足をそろえ、両手で頭の上にボールを掲げた。そしそして右手の手のひらにボールを乗せ、それに左手を軽く添えると、膝を軽く曲げて体を沈み込ませた。

 この時点で、峰岸は翼がやろうとしている事にやっと気づいた。すぐに彼は翼に向かって猛ダッシュしていた。

 しかし、時すでに遅く、峰岸が翼の所にたどり着く前にボールは翼の手を離れていた。

 同時に、審判の生徒が試合の終わりを告げる笛を吹いた。

 笛が鳴り終わったすぐ後、翼が放ったボールは綺麗にゴールリングを通過していた。

「3ポントのブザービーター!」

 誰かが叫んでいた。


 バスケットにおいては、試合終了の合図があった時点で選手の手を離れ空中にあるボールは地面に落ちるまでは生きている。つまり翼のゴールは認められるのだ。これをバスケでは『ブザービーター』と言う。そして、峰岸が決めたダンクシュートは2点、それに対して翼は3ポイントラインより外からのゴールである為に3点。この時点で翼のチームの勝利が決まったのだ。

 翼のプレイはまるで『なんちゃらのバスケ』と言うアニメを見ている様だった。そのあまりに華麗なゴールに思わず僕は大きくガッツポーズを取った。

「おい暮林! お前、何喜んでるんだ!
 勝ったのは相手チームだぞ!
 俺ら負けたんだぞ!」

 隣に居た時田がそう言って、思いっきり僕の後頭部をぶっ叩いた。

「あっ……」

 試合中、僕は、ずっと翼を目で追っていた。そればかりか、翼を応援するだけじゃなく、翼の居るチームの事まで応援してしまっていたのだ。実際、時田に指摘されるまで僕は、すっかり自分自身が翼の居るチームに所属している気になっていたのだ。

 まったく『恋は盲目』って言葉があるけれど、まさにその通りだ。いや待て。僕は翼に恋なんてしていないぞ。だって、翼は男の子なんだからな。誰よりもその事は僕が一番よく知っている。でも、僕のこの気持ちは友情と言うより、やっぱり恋に近い気もした。いよいよもって僕は自分自身が分からなくなってきた。

 僕がこんな事を考えている時、試合を終えた翼はあの峰岸からバスケ部に入らないかと熱いラブコールを受けていた。しかも峰岸の野郎は今にも翼を抱きしめかねない勢いだった。それに気が付いた僕は、すっごく腹立たしい気持ちになったのを今でもよく覚えている。
しおりを挟む