翼 アフェアーズ

柴川まる

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第5章 バラの女王

第3話 鬼塚先輩の手紙

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「じゃあ、確かに渡したわよ、『如月 翼』君。
 出来れば鬼塚の申し出、門前払いせず受けてやってね」

 封筒を翼に渡した先輩はそう言ってにこやかに笑いながら教室を出て行った。


「さて、そろそろ帰りましょうか」

 先輩が教室を出て行くとすぐに、東九条もいつもと同じ様子でそう言って自分の席を立った。侍女三人組は、少し困惑の表情を浮かべながら、じろりと僕達の方を一瞥してから無言で東九条の後を追った。


 僕はこのまま、教室に居た生徒達にまた翼が囲まれて質問責めに会うのでは身構えた。もしそんな気配が少しでもあれば、僕は迷わず翼の手を引いて教室から逃亡するつもりだった。しかし、東九条達が居なくなっても彼らにそうする気配は全くなかった。東九条達が去った後、彼らは今の事に付いては何も触れようとせず、そそくさと教室を出て行った。ただ教室を出て行く時、誰しもが僕を見て同情するかの様な微笑みを浮かべていた。そこには、翼を二人きりにしてやろうと言う僕への変な優しさの情がありありと見て取れた。

 おい、お前ら、ちょっと待て。お前ら、何か変な勘違いしてないか? これって、彼女を別の男に取られそうになってる哀れな奴に対する同情って奴だろう。忘れてないか、お前ら。翼は男だぞ。翼自身も精神は完全に男だって言ってるじゃないか。僕と翼は彼氏彼女の関係じゃなく、親友同士なんだ。そりゃ、翼が本物の女子なら良かったのにって思ったことは何度もある。しかし、現実は違うのだぞ。

 まったく、翼が相手だと僕に限らず周りの人間もおかしな思い込みをしてしまう様だ。そして、今回はあの鬼塚って先輩までおかしな事になってる。柔道部の部長なんて、もろ硬派のテンプレみたいな人がこうなってしまうとは。いや、腐女子的にはこう言う人ほどそう言う道に陥りやすいんだっけ。


「翼、君、当然、断りの連絡を入れるんだよね」

 教室から僕への変な気使い方で出て行くクラスメイト達を目で追っていた僕はそう言いながら翼を振り返った。

 すると翼はすでに渡された封筒を開けて中にあった便箋に目を通していた。

「いや、僕は先輩からの申し出自体は、受けようと思う」

 翼は読んでいた便箋を丁寧に折りたたんで封筒に戻しながらそう言った。

「ま、まさか、君、あの鬼塚先輩と、お、お付き合いしようって……」

 僕は、翼の思ってもみなかった答えに驚き、呂律が回らなくなってしまった。

「いや、たぶん、お付き合いする事はないと思うよ。
 勇気ある立派な先輩として尊敬して親しく接する事には、
 何ら異存はないけどね」

 翼はそう言って、まるで僕を落ち着かせようとしてるかの様な優しい笑みを浮かべた。

「いや、それを聞いて安心したよ。
 僕はまた君が鬼塚先輩とお付き合いする気があるのかと思ったよ」

 僕は翼の答えを聞いて安心した。何故なら、あの笑顔は僕への気持ちが全然変わってないことを示していると思えたからだ。

 いや、待て。そう言う言い方だとまるで僕が翼に惚れてるみたいじゃないか。これじゃ鬼塚先輩の事を言えないぞ。そうだ、僕と翼は親友同士なんだ。こんな時は、友人がそう言う道に入って同性の恋人が出来ても、友人として祝福すべきなんじゃないか。いったんは落ち着いた僕の心はまた千々に乱れ始めた。

「君は僕が鬼塚先輩とお付き合いするようになったら嫌かい?」

 翼は少し小首を傾げて僕に尋ねた。だから、その仕草はダメだって、翼。特にそう言う質問を投げかける時は特にだよ。思わずとんでもない事を口走りそうで怖い。下手すれば、翼を抱きしめて『君を誰にも渡すもんか!』なんて叫んでしまいそうだった。

「君がそうしたいって言うなら友人としては祝福するつもりだよ。
 でも、ほら、僕もそう言う事には慣れてないからさぁ」

 僕はもう嵐の海の様に乱れまくる心を必死に抑えて、なるべく普通の感じでそう答えた。

「兼光君は止めてはくれないのね……」

 翼はまたまた、あの女の子みたいな声で、しかもちょっと不満げな表情で僕を見詰めながらこんなセリフを吐きやがった。

 ちくしょう! 翼の野郎、絶対に僕の気持ちを分かってやってやがるな。こいつ、もし本物の女の子だったら、かなりの悪女になりそうだ。

「翼、頼むからその冗談はやめてくれって。
 君がやると僕まで鬼塚先輩みたいになりそうだよ」

 僕はあえて冗談めかしてそう答えた。しかし、これは冗談ではなくほとんど僕の本音なのは言うまでもない。

「そうなんだ。相手が君なら僕はそれでも良いかな」

 翼はそう言ってにっこり笑った。おいおい、その言葉、冗談のか本気なのかどっちなんだよ。でもそう言われて僕はほっぺたがとろけ落ちそうになった。

「まあ、冗談はさておき……」

「あっ……冗談なんだ……」

 翼の言葉に思わず、思わず僕は心の中の声を口にしてしまった。

「えっ?」

「あっ、いや、いいから続けて、翼」

 ここはあえて翼にその先を急がせた。

「この手紙、すごく誠実な感じがするんだよ。
 こんな手紙をもらってしまったら無下に断る事などできない。
 断るにしてもちゃんと会って直接僕の言葉で伝えなきゃダメだと思ったんだ」

 翼はすごく真面目な顔でそう言った。僕の脳裏に、食堂で翼の横に座り親し気に身を寄せて話していた鬼塚先輩の姿が浮かんだ。そう言えば、あの時の鬼塚先輩の顔って大好きな女の子を口説いてる様な顔だった気がした。だから僕は、翼にこんな事を言わせるなんてその手紙にはよほど熱烈な言葉が並べられていたんじゃないかと、ついつい邪推してしまった。

「君にそんな風に思わせるなんてどんな内容なのか気になるなぁ」

 僕は思わず、その手紙を見せて欲しそうなことを口にしてしまった。

「いくら親友の君でもこの手紙を見せるわけにはいかないよ。
 これはそう言う種類の手紙。
 鬼塚先輩が僕に対してその心の奥底まで開いて発した言葉だからね。
 これは永遠に僕一人の心に仕舞っておかないといけない物だよ」

 翼は真面目な顔でそう言った。そんな翼を見て僕はあの鬼塚先輩にすっごく嫉妬してしまった。

 あれ? 嫉妬って何だ? 僕と翼は親友なんだ。鬼塚先輩に嫉妬する必要なんてないじゃないか! 僕は自分で自分の気持ちが分からなくなった。
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