翼 アフェアーズ

柴川まる

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第5章 バラの女王

第4話 現れた意外な人物

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 鬼塚先輩が翼をバラ園の東屋に呼び出したのは翌日の放課後だった。

 前にも言ったが、呼び出す側も呼び出される側も、他の生徒達からこの告白が見られている事は承知している。また、バラ園の東屋における告白は、覗いてはいけないと言うルールもない。ただ、それでも、相手から見える様な場所であからさまに観賞するのはルール違反、と言うかマナー違反である。あくまで、身を隠して覗き見るって形を取るのが暗黙のルールとなっている。そして、もし結果が悪い方になった場合、その事を大ぴらに言い広める事もルール違反となる。その場合は、あくまで素知らぬフリを通すのがマナーなのだ。

 と言うわけでこの日は、ただですら全校生徒に人気の高い柔道部主将の鬼塚先輩が、これまた今まさに話題の人である翼に告白するとあって大勢のギャラリーが詰めかけていた。一番近くで良く見える最高のポジション、通称『S席』は予定時間のかなり前には満員になっていた。


 そして僕はと言うと、ぎりぎりまで翼と教室に居た。

 これだけの好カード、早く行かないと良いポジションを確保できないのは誰もが分かっていた。その為、うちのクラスの生徒達は皆、すでにより良い観戦場所を確保すべく出撃していた。

 だから今、教室には今日の主役の片割れである翼と僕だけが居残っていたのだ。

 その時、僕は翼を何を話していたのかよく覚えていない。何か話していた事は覚えているのに、その内容がまったく思い出せないのだ。ただ最後の部分だけは妙に覚えている。


「じゃあ、そろそろ時間から僕は行くよ、兼光。
 鬼塚先輩を待たせても悪いからね」

 最後に翼はそう言っていつもの様に少し小首を傾げてにっこりと笑った。

 良いじゃないか、あんな奴待たせておけば。いや、このまま、すっぽかしていつもの同じ様に一緒に帰ろうよ、翼。そうだ、今日は帰りにアイオイモールへ寄って一緒にアイス食べようよ。僕はそう言いたかった。そして、翼の手を取って、古いハリウッド映画のワンシーンの様にここから翼をカッコよく連れ去りたかった。

 でも、僕にはそんな勇気はなかった。その前に、僕にはそんな事する権利もなければ、そうする事を許される立場にない。だって僕は翼の彼氏じゃない。翼と僕は男同士の親友なのだ。よく考えれば、確か翼は鬼塚先輩の告白を断る様な事を手紙を受け取った時に言っていたはずだ。それなのにその時の僕は完全に翼を鬼塚先輩に奪い取られるような気になっていた。そして、ただただ胸の辺りがもやもやしてとても苦しかったのを覚えてる。

 僕は、教室を出て行く翼の後をふらふらと付いて行った。そして、教室を出た所で僕だけ立ち止まった。僕は何か気の利いたセリフを吐きたかった。でもその時の僕にはそんなセリフ思いつく事などできはしなかった。ただ黙って遠ざかる翼の背中を見送る事しかできなかった。翼の背中が見えなくなると僕は急に涙が溢れて来た。何だか、このまま翼がどこかへ遠くへ行ってしまう様な気がしたのだ。


「今のあなたって彼女を寝取られたダメ男って感じね」

 背中から聞こえた声に振り向くと、そこには東九条が立っていた。

「なんで東九条がここに?」

「馬鹿ねぇ、クラス委員長としてあなたが心配で見に来たのよ」

 僕の言葉に東九条は、初めて見る様な優しい笑みを浮かべてそう言うと真っ白なハンカチを差し出した。

「みっともない。男がこんな事で泣くんじゃないわよ。
 泣くほど悲しくて悔しいのなら、力ずくでも止めればよかったのに」

「ありがとう……東九条。
 でもね、そんなカッコいい真似、僕には無理だよ。
 そんな事は君が一番分かってるだろ」

 いつもの僕なら東九条からこんな情けを掛けられても拒否るのに、その時の僕は素直に差し出されたハンカチを手に取った。真っ白だと思ったハンカチには小さな花の刺繍があった。もう少し東九条が来るのが遅かったら僕はみっともなくぼろぼろ涙をこぼして泣いていただろう。幸い、この時は、一筋二筋涙が流れただけで済んでいた。受け取ったハンカチで涙を拭くと、翼のとはちょっと違う甘い女の子独特の香りがした。

 これは後になって気が付いたんだけれど、その時僕は自分のハンカチをちゃんとポケットに持っていた。それなのになぜか僕は東九条から差し出されたハンカチの方を使ったのだ。

「まあね。
 でも安心なさい。如月君はきっと鬼塚先輩の告白を断るから」

「なんで東九条に分かるんだよ」

 せっかく東九条が慰めてくれているのに僕は何故か意固地になってそう言ってしまった。

「女の勘ってやつ。
 しかし、あなたもあなたね。
 如月君が男だって事一番分かってるはずのあなたがねぇ……」

 東九条はそう言ってくすりと笑った。

「そ、そんなんじゃない!」

 僕は思わずそう声を荒げて東九条を睨んだ。でも、僕は心のどこかでは分かっていた。今、東九条が言った事は正鵠を射ている。

「隠したってダメよ。
 あなた、如月君の事が好きでしょ。
 しかも『Like』じゃなくて『Love』の方で……」

 東九条がいつもの彼女らしい少し意地悪気な笑みをその口元に浮かべた。

「違う……」

 今度はうつむいて小声でそう否定した。

「安心なさい。
 私はその事であなたを笑ったり気持ち悪がったり、
 ましてや、その事を面白がって言いふらしたりなんかしないから。
 人を愛する事に性別なんて関係ないわ。
 子孫を作るって言う本能的欲求が満たされないだけ、
 その愛は純粋だとも言えるからね」

「えっ……」

 東九条の言葉に僕は驚いて顔を上げた。東九条はすごく真面目な顔をしていた。僕自身、東九条がこんな事を僕に言うなんて思ってみなかった。それにまだその時の僕には、東九条の言った事の意味がはっきりとは分かっていなかった。

「さあ、急いで。
 如月君のバラ園の東屋デビューをあなたは見届ける義務がある」

 そして東九条はそう言って僕の手を取ると走り始めた。

「ちょっと、待って、東九条!
 今から行っても良い場所はもう……」

「大丈夫。かおり達が先に行ってS席をあなたの分まで確保してるあるから」

 僕の言葉に、走りながら東九条は振り返ってとっても素敵な笑顔を僕に投げかけた。

 この時僕は、入学以来初めて東九条の事を彼女にしたいなって思った。誓っても良い。確かに東九条は『三高彼女にしたい女生徒No.1』だけど、僕は心から彼女にしたいって思ったのは、この時が初めてだ。それほどこの時の東九条は素敵な女の子に見えたのだ。
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