翼 アフェアーズ

柴川まる

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第5章 バラの女王

第5話 東屋での告白

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「こっち、こっち、姫、早く!」

 そこはバラ園の東屋に向かい合って立つ二人が良く見える絶好のロケーションだった。人が何重にも重なる様に列を作っている最前列をしっかり侍女三人組が陣取っていた。その一人、緑川が僕を連れて駆け込んで来た東九条に気が付き声を掛けた。すると、彼女らに後ろにたむろしていた生徒がさっと道を空けた。

 相手が天下の東九条ではその事に文句を言う者など男女、上級生を問わず居なかった。しかも東九条が連れて来たのが、翼の彼氏と噂されてる僕ならなおさらだった。彼らには、今から彼女を奪い取られる僕の情けない姿をすぐ傍でじっくり観察してやろうと言う気持ちがありありと見て取れた。彼らの中では、東九条とは逆に、この告白を翼が受け入れ事を確信している様だった。まあ、それも仕方ない事で鬼塚先輩は文武共に秀でている上に、誰にも優しく人気のある先輩だ。しかも今まで三年間、鬼塚先輩は何度も告白を受けながらも特定の彼女を作る事はなかったのだ。こんな先輩にこれほどの大胆な告白されてそれを断る女子など東九条以外には考えれれなかった。もっともそれは翼が女の子である事が前提で、その前提自体が間違えである事をこいつらはすっかり忘れている。


「もう始まっちゃってる?」

 最前列まで僕を連れてやって来た東九条が尋ねた。

「いえ、まだです、姫。
 二人とも、もう東屋には入ってるんですがまだ目立った動きはありません」

「こういう時、あそこでの会話が聞こえないのが歯がゆいのよねぇ」

 侍女三人組の西原が状況を簡潔に説明し、緑川がそれを補足する様に言った。

「しかし、暮林君、覚悟は出来てるの?
 大事な大事な翼ちゃんが鬼塚先輩に取られちゃうかもしれないんだよ」

 同じく三人組の新藤が意地悪気な表情で言った。

「うるさい! 翼はあんな格好してるけど正真正銘の男だ。
 その翼が、同じ男である鬼塚先輩に告られて、うんと言うはずがない」

 僕は周りも僕の事を変な目で見ているのが分かっていたのでこの際、はっきり言ってやった。

「あらぁ、すっごい自信だこと」

「ほんと、如月君の事になると暮林は人が変わるんだから」

「暮林が二次元女以外に熱くなるなんて思わなかったわよ」

 侍女三人組が僕の言葉を聞いてそう茶化した。当の侍女三人組はもちろん、その近くに居た連中もくくくっといやらしい含み笑いをした。でも、僕はその時、東九条だけが少し違う笑みをその口元に浮かべてこっちを見ているに気が付いていた。


 その時だった。

「うわっ!」

 その場に居た誰かが素っ頓狂な声を上げた。その声に、その場に居た者、全員が東屋の方を見た。そして、全員が全員、そちらを見たまま目が離せなくなった。

「お、おおおっ……」

 そして、皆、異様な声を漏らした。それはこの通称S席だけでなく、他の観戦ポイントでもそうだった様だ。一瞬、辺りに地鳴りの様な音が響いた様な気がした。

 それまで翼と向き合って何事か話していた鬼塚先輩が、いきなり翼をぎゅっと抱きしめたのだ。大きな体の鬼塚先輩に抱かれた翼は、ここから見ると彼氏に抱かれる可愛いらしい女の子以外の何物でもなかった。

『こらっ! 僕の翼に何すんだ!』

 僕は思わずそう叫びそうになった。しかし、かろうじてそれを抑え込み、その代わり二人の様子が良く見る様に身をの乗り出した。ここで身の乗り出したところでたいして見え方は大して変わらないのだが、その時の僕はそうせずにはいられなかった。

「これは、予想外の展開だわ……」

 その時、隣に居た東九条が小さくそう呟いた。東九条すらこの展開を予想出来てなかったと考えると僕は急に怖くなった。あれは、鬼塚先輩が翼にYESと言われて感極まり翼を抱きしめた様な気がしてきたのだ。僕はもう居ても立ってもいられなくなっていた。このまま、翼の許へ走って行って、鬼塚先輩から翼を奪い返したい衝動に駆られた。

 そんな僕を周りの連中も憐れと同情に満ち溢れた生暖かい目で見ていた。それは完全に、目の前で大切な彼女を寝取られた哀れな男を見る目だった。

 しかし、一呼吸の後、鬼塚先輩に抱きしめられていた翼が、その大きな胸板を押す様にしてゆっくり離れた。そして翼は鬼塚先輩を見上げ何事か話すと、姿勢を正して一礼をした。そのまま翼はくるりと踵を返して東屋から立ち去って行った。一人、東屋に残された鬼塚先輩はそこに立ちすくみ、遠ざかる翼の背中を身じろぎもせずに見送っていた。


 それを見て僕は、後ろに居た連中を押しのける様にその場をから離れると、走り出していた。誰かが後ろから何か叫んでいる様な気がしたけれど、僕が立ち止まる事はなかった。その時の僕は、一刻も早く翼の許へ駆けつけたい、ただそれだけの気持ちだった。そして、いったい何があの場で起こったのか聞きたかった。いや、正確には、翼が鬼塚先輩の告白を受け入れたのかどうかを確かめたかったのだ。

 僕がバラ園へと続く渡り廊下まで来ると、ちょうど翼が逆方向から歩いてくるところに出くわした。

「やあ、兼光。迎えに来てくれたんだ。
 用事は済んだから一緒に帰ろう」

 翼は僕に気が付いて立ち止まりそう嬉しそうに言った。しかし、僕はそのまま翼の所まで行くと翼の目をしっかりと見て息を切らしながらも真剣な顔で尋ねた。

「翼、教えて。君は鬼塚先輩にどう答えたの?」

 そう尋ねた後で僕は、自分自身がまるで浮気を疑って自分の彼女を問い詰めてる様な気分がなった。自分の事が、翼の自由を束縛し独占しようとするストーカー紛いの嫌な男に思えたのだ。僕は激しい自己嫌悪に襲われすごく嫌な気分になった。

「どう答えたのって、僕は断るつもりだって君に言ってなかったけ?」

 しかし翼は、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか優しい笑みを浮かべながらそう尋ね返して来た。

「えっ……鬼塚先輩が君をあんな風に抱き締めたから僕はてっきり……」

 いつの間にか僕は翼は鬼塚先輩の申し出にYESと答えたと思い込んでいた事に気が付いた。言われてみれば確かに翼は鬼塚先輩の手紙を読んだ時、そう言っていた。でも僕はもう少しはっきりした確証が欲しかった。それでも心配だったのだ。僕は、今の僕と翼との関係が少しでも変わってしまう事が嫌だったんだ。
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