翼 アフェアーズ

柴川まる

文字の大きさ
上 下
54 / 65
第6章 波乱の期末試験

第4話 畏れられる者

しおりを挟む
「翼、君って……」

 心の中とは裏腹に、僕の口から出たのは弱々しいその問い掛けだけだった。だって、その事実が圧倒的すぎたのだ。あまりに圧倒的なモノの前で人は発するべき言葉を失ってしまう。

「あっ……ごめん。傲慢だと思わないでくれたまえ、兼光。
 僕のいけない所だ。思ったことをそのまま口にしてしまう」

 翼は僕を見て少し不安げな表情でそう言った。たぶん、僕の表情から僕の心理を読み取っていたのだろう。

 こういう時の翼は本当に、あの初めてお屋敷で出会った時の翼と同じ感じなのだ。僕よりずっと年上ですごく落ち着いた大人に見える。

「あっ……いや、ぜんぜん、そんなこと思ってないよ、翼。
 ちょっと、君の点数見て僕も驚いてしまっただけだよ」

「君も僕の事を勉強が苦手なスポーツ特待生と思ってたのかい?」

 僕が、必死に笑顔を浮かべてそう答えた。すると、翼はいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべてそう尋ねて来た。その時の翼はもういつもの可愛い翼に戻っていた。

「実は……」

「いや、君が気にすることはないよ、兼光。
 僕もあえてそうなる様に仕向けたところもあるからね」

 僕が少々バツのあるそうな顔をすると、翼はそう言って笑った。



 ちなみに、あの成績表に僕の名は残念ながら無かった。まあ、その事は予想の範囲内だったので別のどうって事はない。この三年間であの成績表に安定して載れる事が僕の目標である。しかし、今回はこんな大事件が発生したので、僕は危うく最終掲載者の点数を確認し忘れるところだった。何とか確認したその点数は僕にも手が届きそうな物で、今後も前向きに努力しようと決意を新たにできた。

 その後、僕と翼は多くの生徒達の異様な注目を浴びながら教室へと向かった。

 翼が学校へ登校を始めた当初も同じ様に至る所で注目を浴びていたが、今日のこの注目はその時の物とは別種のものだった。あの時の視線は時折殺気を含むものも確かにあったが、大方は微笑ましいものだった。しかし、今、翼に向けられている視線は一言で言うなら『畏れ』だ。


 僕と翼が教室に入ると、すでに登校して来たクラスメイト達が一斉に僕らの方へ駆け寄って来た。

「如月君、凄い! もう学校中で大騒ぎよ」

「三高の定期テストで満点だなんて学校始まって以来だって!」

「だいたい東九条の点だって異次元なのに、あれが完全に霞んでたぞ」

 そして、彼ら彼女らは口々に翼を称えた。それはまるで我が事の様だった。今の翼はまさに三高一年三組のほまれそのものだと言わんばかりだった。

 ただ、僕と翼が教室に帰って来た少し後で教室に入って来たあの東九条の侍女三人組だけは別だった。彼女らは僕たちが居る所へは寄り付こうとせず、今は空席になっている東九条の席の周りに、まるでお通夜の様にしおれて立っていた。それに気が付いた翼は、色々と話しかけて来るクラスメイト達をやんわりと制して彼女たちの方へ向かった。

 事情が事情なだけに、僕は何事かトラブルが起きるのではないかと心配になった。


「東九条さんは大丈夫かい?
 どんな様子だった?」

 翼がこちらに向かって来るのに気が付いた三人組は明らかに身構えていた。彼女らだって東九条がああなったのは翼の点数が原因だが、決して翼が悪いのではないことぐらいは分かっている。それでも、その翼に何か一言言わずにはいられなかったのだろう。彼女らが崇拝する東九条のプライドを、この女、いやこの男がズタズタにした。しかも公衆の面前でだ。それは彼女らにとって東九条が理不尽な公開リンチに受けたに等しい事なのだ。

 ところが、翼が彼女らに本当に心配そうな顔つきでこう尋ねた。

「えっ……あっ……うん、とりあえず落ち着いてる」

 翼の真剣な顔つきを見て、それが単なる社交辞令ではなく、心から東九条を心配しているのが分かったのだろう。三人組のリーダー格である西原がぎこちなくそう答えた。

「宇野先生は軽いショック症状だから心配するなって」

「とりあえず少しカウンセリングも必要だろうとも」

 西原が嫌味を飲み込んだのを見て、緑川と新藤も東九条の様子を正直に翼に伝えた。

「そうか。彼女の性格からすれば落ち着けば大丈夫だろうね。
 それにあの宇野先生が付いていれば安心だ。
 君たちも安心して東九条さんが帰って来るのを待つと良い」

 翼は彼女らの言葉を聞いて、彼女らを安心させるかのような笑みを浮かべたそう言った。

「でも、あなたは何者なの、如月君。
 あんな凄い点数取るなんて」

 そんな翼に、思い切ったように西原が尋ねた。その答えは僕も一番聞きたかった事だ。いや、僕だけではなく、今このクラスに居るすべての者が一番知りたい事だった。

 侍女三人組だけじゃなく、僕を教室中が息を飲んで翼の答えを待った。

 その瞬間、教室中の音がすべてかき消された様に僕は感じた。


 ところがである。

「カンニングの天才かな? テヘペロ!」

 そんな張り詰めた緊張感の中、翼の奴はお約束のギャグをぶち込んできやがった。

 一呼吸の後、教室中が爆笑の渦に巻き込まれた。

 当然僕も痙攣して痛くなるお腹を抱えて笑っていた。でも、笑いながら僕の心をとろろとに溶かされていた。だって、ピースサインをした右手を右目の前に出し、少し小首を傾げて舌をペロリと出した翼は、アニメから抜け出たように超絶可愛かったからだ。もちろん、そう思ったのは僕だけじゃないはずだ。みんな同じ様に翼の可愛いらしさメロメロになったからこそ、こんなしょうもないギャグに大ウケしたのだ。

 これが僕など一般男子、いや、東九条クラス以下の女子でも、この場面でこんな緊迫したギャグを飛ばそうものなら逆に袋叩きに会う。まったく、こういう時に僕はつくづく思うのだ。

 やっぱり世の中……『可愛いは正義』なのだと。


 結果的に、翼のこの一発ギャグのおかげで教室中の雰囲気は一変した。そして、皆、その前の話の流れなど完全に忘れてしまった。一番重要だった西原の問い掛けに対する答えはものの見事にはぐらかされてしまったのだ。

 この時、爆笑の渦に巻き込まれた教室の中、翼も一見照れくさそうに笑っていた。でも僕は、爆笑に包まれる教室を見た翼が一瞬、にやりと悪い笑みをその口元に浮かべていたのを確かに見た。翼はあのギャグも仕草もすべて計算ずくで行ったと僕はその時に確信した。きっと西原の言ったあの質問は翼にとってあまり好ましいものじゃなかったのだろう。

 翼と言う人間は、見かけの姿が突拍子もないだけでなく、すべてが僕らとは完全にレベルの違う世界に居る人間ではないかと僕はその時、密かに思った。
しおりを挟む