翼 アフェアーズ

柴川まる

文字の大きさ
上 下
57 / 65
第6章 波乱の期末試験

第7話 東九条の筑前煮

しおりを挟む
 要するに、個性的と言えば聞こえは良いが、その実は、かなり曲者が多いその中学校で事件は起きた。

 それは僕が中学校二年生の時だった。

 何と僕のクラス生徒数名とその担任の給食に下剤らしき錠剤が混入されると言う事件が起きたのだ。

 結局、その薬で特に健康被害を訴える生徒もなかった事もあって、特に警察沙汰にもならなかった。もちろんは事件が事件だけに先生方は色々調査した様だが犯人は分からずじまいのまま終わってしまった。

 ただ、僕らの中ではそんな薬を手に入れられるんだから犯人の家は医者に違いないって噂になった。しかし、運悪く、家が医者の生徒なんて僕のクラスだけでも掃いて捨てるほど居た。なのでその推理が正しくても犯人を絞り込む有力な手立てにはならなかったのだ。


 僕は東九条の家が病院って事でついあの時の事を連想してしまったのだ。でも冷静になれば僕自身、彼女がそんな卑劣な手を使うはずない事は一番良く知っている。東九条は人一倍プライドが高い女の子だけれど、彼女のプライドは同時に自分自身に対しても厳しさを求める種類の物だった。

「ごめん、東九条」

 僕は率直に自分の非を認め東九条に謝った。

「良いわよ、そんな事。
 あなたもあの中学出身ならそう考えるのも分かるからね。
 あなたは大事な如月君を純粋に守ろうとしただけでしょ」

 少しは嫌味を言われるかと思ったが東九条はそう言って笑ってくれた。僕は、今日の東九条はなんだかいつもより可愛らしい気が少した。いつもこんなのなら僕だって東九条を彼女にしたくなる。まあ、どうせそうなったって東九条の奴は僕を相手にしてなんてくれないだろうけどね。


 僕と東九条との話が変にこじれなかったのを見て翼は再び手に持った箸をあの筑前煮に伸ばした。そして、いかにもこの地方らしい濃い色と煮崩れてとろけかかっている里芋を狙って掴もうとした。当然の様に里芋はそのぬめりでくるりんと翼の箸の先から逃げた。

「ごめん、東九条さん。
 僕はまだ箸の使い方に慣れていないんだ。
 少々、みっともないのは目をつぶってくれたまえ」

 そう東九条に言い訳して翼はまるでフォークを使う様に箸で里芋をぶすりと刺すと口に運んだ。そして、目を閉じ、じっくりとその味を堪能する様に租借した。

「やっぱり如月君にはこういうのは合わないかな?」

 東九条が少し心配そうな顔つきで隣に座る翼の顔を覗き込んだ。

「いや……すっごく美味しいよ、東九条さん。
 なんて言うかすごくほっとする美味しさだ!」

 その瞬間、翼が目を開き、ぱぁっと本当に美味しいって気持ちが伝わる様な素敵な笑みを浮かべた。そして、今度は鶏肉に箸を伸ばしながら言った。

「兼光も食べてみなよ。
 これは本当に美味しい食べ物だよ」

 確かに、あの匂いと色はこの地方に幼い頃から住んる者にとっては食べずとも美味しさが分かる物だった。僕は翼の言葉に思わず何も考えずにタッパの中の大好きなごぼうを箸で掴んで口に運んだ。僕はごぼうを甘辛で煮込んだ料理が大好きなんだ。あと、この地方独特の渋い八丁味噌に砂糖をたっぷり加えた味噌で煮込んだごぼうも大好きだ。こっちはそのままご飯に乗せて食べると、これだけでご飯何杯でもいけちゃう。

 一口噛んだ瞬間に分かった。少し癖のある煮干し系の出汁と色の割に濃くないしょうゆ味。そして甘みの強い味付け。これは間違いなくこの地方に昔からある煮物の味付けだった。決して上品ではない、いや逆に上品ではない事がこの場合正解なのだ。この筑前煮は間違いなく美味しい。僕は思わず数年前に病気で死んじゃった田舎に住む母方のおばあちゃんの煮物を想い出した。思わず懐かしさで涙が出そうになった。

「東九条、これ美味しいよ。
 本当に美味しい! 凄いよ!」

 僕は思わず思った事そのまま叫んでいた。相手がいつもの東九条なら僕はここで、嫌味の一つでも言ってやるか、そこまで出来なくてももっと言葉を濁しただろう。でも、今日の東九条相手ではそれが出来なかった。いや、その前にこの筑前煮の味はそんな嫌な気持ちを洗い流すほど純粋で素朴な美味しさがあった。

「ありがとう、如月君。
 それに暮林君も。
 でも……

 『私がこんなの作れるなんて思っても見なかった』

 って顔、暮林君はしてるわよ」

 そう言って東九条はくくくっと笑った。僕に向けたのであろうその笑いは、いつもの東九条っぽかった。まあ、実際、僕は少しだけそう思ってしまっていたのは確かに事実だった。だって、いつもの東九条とこの筑前煮ではあまりにイメージが離れすぎていたのだ。

「でもね、もし暮林君がそう思ったのなら半分正解。
 この筑前煮は、うちに昔から居るばあやの酒井さんに、
 色々聞きながら一緒に作ったの。
 私もばあやの筑前煮が昔から大好きだったから、
 ぜひ、如月君にも食べさせてあげたかったの。
 気に入ってくれたんなら今度は私一人で作って持って来てあげる」

 東九条はうつむき加減でその頬を少し赤く染めてそう続けた。どくんと僕の胸がふいになった。その時の東九条は今までに見た事もないくらい本当に可愛かった。もしこの東九条しか僕が知らなかったら、僕は翼と東九条のどちらを選ぶか死ぬほど悩みそうだと思った。でも、よく考えれば翼は男なんだけどね。

「それは嬉しいな。
 こう言う物はなかなか食べる機会がなくてね」

 そんな東九条に翼は凄く優しい笑みを浮かべてそう答えた。その時の翼の顔は、僕がいつも見てる翼とは少し違っている様な気がした。いつもは言葉こそ男口調でしゃべる翼だが、その顔や仕草はとても女の子ぽかった。でもこの時の翼の顔は凛々しい男の顔だった様な気がした。

 結局、その日は東九条は食事が終わっても五時限の予鈴がなるまでずっと翼の横にいた。いつもなら、一緒に居て居心地が悪くなる僕だったがこの日はあまりそう言う気にはならなかった。ただ、翼が東九条と親し気に話してるのを見るとやっぱり、相手が女の子の東九条でも嫉妬心が滲み出て来るのを僕は感じていた。


 ただ、僕にはどうしても分からないことがあった。それは何故、東九条が急にこんな風になたったのかと言う事だった。教室に居る時は今までと全然変わらなかったのに、学食に現れた東九条は明らかに雰囲気が変わっていた。もっと言えば、翼の方も東九条に接する態度がいつもと少し違う様な気がした。それは、どことなく彼氏が可愛い彼女を見守る様なって感じがした。僕はこの日初めて、翼が実は男なんだと初めてはっきり思う事が出来た。まあ、それもこの昼休み、あの東九条が横に居た時だけで、その後はまたいつもの素敵な男の娘である翼に戻っていた。
しおりを挟む