翼 アフェアーズ

柴川まる

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第7章 東九条 翠子

第4話 究極の目標にして憧れ

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 でも、その一方で私は強く思った。

 そんな彼なら、なおの事、私は彼の傍に居たい。そんな彼を傍に居てずっと見ていたい。

 それは愛とか恋とか言うものじゃない。もう『憧れ』と言う物だった。それはまさに『神』や『天使』に対する憧れと同じだった。

 彼はその姿が常識外れに美しい。その上、忌まわしい性別ってものにも縛られていない。さらに頭も良い上に、運動神経だって下手なアスリートより上だ。性格だって、最初こそ甘えん坊の女な子の様におどおどしていたけれど、今ではこちらは驚くほど落ち着き払った大人の雰囲気を漂わせている事が多々ある。それは彼を『神』や『天使』と思わせるに十分な物だった。

「彼の成績については参考値にもならない。
 だからあなたは気にすることはない。
 あなたは今のままで十分に優秀だから。
 たぶん、あなたが望むならあなたは東大でも京大でも行けるわよ」

 宇野先生はそう私を慰める様に優しい、まるで母親の様な笑みを浮かべながらそう言った。


 でも、私はちょっとだけ違う事をその時、ふと思った。

 いくらすぐれた頭脳を持っているとはいえ彼はただの『人間』である事には間違いない。私と同じ『人間』なのだ。多少変わっている所はあっても『神』や『天使』などではないのだ。

 それなら、どれだけ相手が優れていようと彼と同じ土俵で戦う事を最初から諦めてどうする。

 勝てないと諦めた時点でこちらの成長も止まってしまう。今の自分に満足しかかっていた私には、彼ぐらいの相手がちょうど良い。並大抵のことでは勝てない相手が居るからこそ戦う事が楽しいのではないか。

 今の私は彼から見ればふわふわ飛ぶ蚊トンボの様な複葉機かもしれない。でも、いつまでも複葉機でいるつもりはない。私だって、いつか音速を超える戦闘機になって彼に真正面からドックファイトを挑んでやる。一歩でも良い。いや半歩でも良い。次はもっと彼に近付きたい。いつか彼の立っている場所に自分も立ってみたい。

 そう、私はその時、密かに心に誓ったんだ。

 私にとって彼は遥かなる『憧れ』。そしてこの時、究極の『目標』にもなった。


 ちなみに、勘の良い人は気が付いたかもしれないが、私は女の子では珍しく戦闘機が大好きだ。戦闘機ヲタと言っても良いほどだ。私の部屋には、ぬいぐるみの代わりに色んな国や時代の戦闘機の模型が所狭しと並んでいる。暇な休日一人で戦闘機のプラモデルを組み上げている時が私は一番幸せでリラックスできる。もちろん、この事も両親以外には知らない秘密の一つだ。こっちの方は、特に隠し立てする事もないとは思うのだが、同性と居る時には話題にし辛くそれが原因で秘密になってしまった。


 その後、私は宇野先生と色々話した。宇野先生も、彼と言う規格外な生徒を除けば、学年トップの成績をぜほぼ全教科に渡ってマークし続ける私に興味があってゆっくり話がしてみたかったそうだ。今回はちょうど良い機会になったと宇野先生は笑った。


「如月君が居なければ、あなたはこの三高の歴史に残る、
 驚異的な優等生に違いないのよね。
 勉強ばかりでなく、他人の上に立てるリーダーの素質も持ってる。
 この先、あなたがどう言う道に進むか興味があるわ。
 やはり、お家の後を継ぐ為に医者を目指すのかしら?」

「たぶんそうなると思います。
 将来と言えば月君はどうなんでしょう?
 MITに入りながらなぜ三高の様な日本の高校に?
 もしかしてMITを退学してまでこっちに来たのでは」

 話の中で私の将来の事を聞かれた私は、ふっと思った疑問を宇野先生に尋ねてみた。

 確かにそうなのだ。いくら彼でもまだMITを卒業してるとは考えづらい。となれば彼はMITを休学したか、退学しなければこの三高に入学できない。三高に三年通うのであれば、MITは退学して来たと考えるのが普通だ。しかし、普通、MITに入学出来た人間が、いくら地元の有名進学校とは言えただの高校に戻ってくるなどとは考えずらい。まあ、彼ほどの人材ならMITの方も三年待つ事などまったく問題ないのかもしれないが。

「私もその辺りが良く分からないのよね。
 私たちも『お家の事情』としか聞かされたないの」

 宇野先生はそう言って席を立った。

「紅茶飲む、東九条さん。
 良い茶葉が手に入ったの」

 そして私を見てにっこりと微笑みながら尋ねた。

「はい、喜んで。
 私も紅茶、大好きですから」

「そう、それは良かった。
 紅茶って一人でじっくり楽しむの良いけど、
 同じ紅茶好きとお話しながら飲むのも格別なのよね」

 私がそう答えると宇野先生は本当に嬉しそうな顔になって保健室の片隅にあった電気ポットなどが置かれた小さな流し台へ向かった。

 勉強で頭が煮詰まった時に飲む美味しい紅茶は本当に美味しい。それはまるで清涼剤の様に、濁った思考がすぅっと澄んでゆく感じして私は好きだ。今だって、色々考える事が多すぎて頭の中がまるで泥の様に重く濁っている。こんな時には無性に美味しい紅茶が飲みたくなるものだ。


 やがて、今まで消毒薬や薬の少し尖った匂いで満たされていた保健室の中に、ふわりとやわらかい香りが広がって来た。

「『お家に事情』と言えば如月君のあの格好もそうなんだけど……」

 宇野先生がトレイにティーポットやティーカップなどを乗せてこちらに歩いて来ながら言った。

「あれも私は少し引っかかるところがあるのよね」

 そう言いながら宇野先生はトレイを机の上に置いた。

「ちなみに、如月君が女装してる『家庭の事情』って何ですか?」

 そうなのだ。私たち生徒は如月君のあの格好はただ単に『家庭の事情』としか聞いていないのだ。

「ああ、そっか、あなた達はそちらの理由も聞いてないのね」

 宇野先生が私を見て確認する様にそう尋ねた。私はこくりと頷いた。

「お姉さんが生まれた後、長年、ご両親は子供に恵まれなかったそうなの。
 それで高名な占い師に見てもらってまじないの様な事をしたら、
 如月君を授かったそうなのよ。
 それでも、如月君が二十歳になるまでは女の子の恰好をさせておかないと、
 神様にあちらの世界に連れていかれてしまうって言われたとか……」

 宇野先生がカップに注いでくれた紅茶に口を付けようとしていた私はその話を聞いて思わず吹き出しそうになった。

「……って先生、そんな理由で如月君が女装してるなんて!」

 その理由は、如月君のあの冷静で論理的な姿からはあまりにかけ離れている。だから私にはその話が笑い話にしか思えなかった。
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