触れあうもの

倉賀大介

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後編

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「颯さんは生きることが苦しいんですか?

 沈黙ののちに彼女は呟く。

「えっ?どうしてそう思ったの?」

 僕は彼女の言葉に驚き、口に含んでいたコーヒーを吐き出しそうになってしまう。

「そうですね。少し曖昧かもしれませんが、颯さんのSNSでの呟きの節々から、"この人生という柵から早く解放されたい。どうせこの世界で自分を理解してくれる人なんていないのだから。"と言っているようなそんな感じがしたんですよ」

 彼女は、少し悲しそうな顔をしながらそう話す、まるで私もそうだから。とでも言いたげな、そんな同族を見るかのような目を向けながら。別に今日出会うまで、特段彼女とメッセージで会話をすることもなかった。だから正直、会ったときに自分が抱いている理想像と現実の彼女が大きく異なっているという可能性もあった。だが俺は今確信した、彼女は同じように痛みを知る者であると言うことを。だから俺は言う、それを確かめる為にも。

「君もそういうことなんだよね?」

「そうかもしれません」

「そりゃ良いね」

「ですね」

 本当に良かった。君が俺と同じ人間であるなら、俺は自由でいることが出来る。だがそうなると俄然知りたくなってしまう、彼女の深淵を。深いところにまで近づいて君とその闇を分かち合いたい。どうやら俺は余程彼女に興味があるらしい。

「柊さんはどうして"そう"感じいるの?」

「今はまだ言いたくありませんね。」

 やんわりと質問は却下される。踏み込み過ぎたのかもしれない。まだ彼女は俺に気を許していない。だから先ずはそれをさない解消させないといけなかった。けど気になるものは気になる。

「そっか。まだということはそのうち話してくれるんだなって勝手に解釈しておくことにするよ」

 我ながら酷い言い方だ。

「はぁ、まあお好きにして下さい」

 空気がしんと冷たくなる。貴方と私は他人であるので、これ以上踏み込まないで下さい。とでも言いたげな彼女の表情がそこにはあった。ただ何処かその表情には違和感があるように俺には思えた。本当は話したいし伝えたい、けれどもそれを話してしまうことにより、俺を傷つけてしまうから敢えて突き放しているようなそんな感じがする。これは俺の考え過ぎなのかもしれない、だがここで踏み込まないで、表面的な話を交わすことに意味なんてあるのだろうか。彼女もわざわざ時間をかけてまで俺に会ってくれたということは、きっと彼女なりの理由がある筈なのだ。それが俺の思っているようなことであるなら、尚更ここで終わることなんて出来ない。

「ごめん。少し踏み込み過ぎたのかもしれない。よくわからない男にあれやこれやと詮索されるのは、堪らないよね。それに何ていうんだろうか、少し偉そうだったようにも思う。対等な立場で徐々に話をゆっくりと広げていって、安心感をお互いに持った上で、そういう深い部分については話し合うべきだった。ああ、僕は一体何を言ってるんだろう、ゴメンね」

 このままでは終われない。けれども俺の口から流れ出たのは謝罪の言葉の数々だった。昔からそうだ、他人に拒絶されたり、冷たくされると全て俺が悪かったように思えてくる。この状態をどうにかしないといけないと必死になってしまう。特定の人間にだけ嫌われまいとそう振る舞うのなら良いが、俺はそうではない。誰彼構わず、謝罪をしてしまうし、嫌われたくないと思ってしまう。これは一種の病気なのかもしれない。こんな自身も無ければ自信もない自分が一番嫌いだ。

「こちらこそすみません。正直驚いてしまって、反射的に颯さんを拒絶してしまったのかもしれません。私は踏み込まれるとそれを全力で防ごうと必死になってしまう傾向があるんだと思います」

 俺の言葉が響いたのだろうか。彼女は申し訳なさそうに謝罪をする。

「何て言えばいいんでしょうか。きっと話しても伝わらないことが大きく、理解するのも難しいと思うんです。それに気持ちの良いものでもないですし、話したとしても理解されないときっと辛くなってしまいますから」

「別に同情するわけじゃあないけど、それは少し分かる気がする。僕も、どうせ自分のことなんて誰も理解できないだろうと思っているから」

 理解など出来るはずもない。今までどれだけ自己開示をして失敗してきたことか。何を幾ら話そうが、ぽかーんと口を開ける者や、頭にクエスチョンマークを浮かべる者、上っ面で理解したふりをする者たちばかりで、其れ等に打ち明けるたびに俺の心はみるみるうちに虚しくなっていった。彼女も俺と同じように理解されないことが辛いのだろうか。また俺と同じような痛みを知る者なのだろうか。

「颯さんもでしたか。そういうところは似ているのかもしれません」

「そうだね」

 彼女は小さく笑った。ただ表情はどこか寂しそうで、「ほんとどうしようもないですね」とでも言いたげだった。「やはり俺たちは似ている」そう思うと知らぬ間に俺は口を開いてしまっていた。

「いつから誰も信用しなくなったのかは分からない。もしかすると今からずっと前からそうだったのかもしれない。何が影響なのかは分からないけれども、俺が話すと、昔から周囲の人間に困惑されることが多かった。何を言っているのか分からないというような表情をする者たちが大多数だった。そんな空気というやつが嫌で嫌で堪らなくてさ、いつの日か周囲に合わせるようになっていたんだよね、自分の心に蓋をして。そうやって生きてきたんだけれども、やっぱり誰かに理解されたいという気持ちはあってさ、君なら理解してくれるだろうなと思って会ったのが俺の本心だと思う。」

 包み隠さずに話した。仮に拒絶されるとしても俺は伝えないといけないと思った。対等な関係とか安心感とか、親密度とかそういうのを一切合切無視してストレートにぶつけた。きっと正解では無いのかもしれない、まだ互いを知らない者同士だというのに俺はここまで自分をぶつけてしまっている。これは一種の押し付けであり、暴力なのかもしれない。普通の人間に同じことをしたならば十中八九引かれてしまうだろう。けど彼女ならば、そんな俺のエゴを受け止めてくれると思った、一度拒絶されていたとしても。

「本当に人から理解されたいんですね、颯さんは。分かります。同じように、理解されないだろうと思っていても理解されたいと私も本心では思っていると思います。私なら理解してくれると思ってくれたのは嬉しいです。ただ私では、颯さんの辛い気持ちを如何にかするのは難しいかもしれません。何せ自分にさえ余裕がありませんからね」

 彼女は自虐的にそう言った。

「余裕がないか。それをいうなら俺も自分になんて余裕は無い。自分を大切に出来ない人に何が出来るんだって常に考えている気がする。だからまずは自分自身が生きていいんだと前向きに肯定出来ないと他人となんて関わっちゃいけないのかもしれない。でないときっと会う人達を不幸にさせてしまうとそう思ってずっと過ごしてきた。どうしてかな、それでもこんな半端な状態でも、君とは会いたいと思ってしまったんだ」

 彼女と俺の目が合う。まるで俺の真意を確かめるかのようにじっと俺を見つめている。そりゃそうかもしれない、急にこんな告白紛いのことを言っちまったんだから、「何なんだ此奴は」と俺でもそう思う。

「可笑しいですね」

 彼女は笑いながらそう言った。

「何がですか」

 急に笑い出した彼女に戸惑い、俺は聞き返す。

「他人と関わっちゃダメだと思っているのに、それでも会いたいなんて矛盾していて面白いなあと思ってしまいました。それもその相手が私と言うのが本当に可笑しくてつい」

 当初会ったときには全く想像も付かなかった彼女の笑う表情。あくまで冷たいあの表情は作られたものであり、本当の彼女は今の笑っている彼女なのかもしれないと思った。

「そ、そんなに面白い?」

「面白いですよ。少なくとも私と言う人間に声をかけてくるような物好きさんなんですから」

 俺が思う程、彼女が特別に可笑しな人間には思わなかった。それはまた俺が変わった人間だからなのかもしれないが、特段SNS上でも可笑しな素振りを見せることはなく、ただ美しく儚いような呟きをする一人の女性であるように見える。だがそれでも自分のことをそう言うということはやはり彼女には彼女の抱える何かがあるのだろう。ただそれを強引にこじ開けるのは俺のエゴだ。これは俺が無理矢理話させるものではなく、彼女自身が話したい時に話すものに違いない。

「そう言うことね。まあ俺も普通ではない人間だと思うから、柊さんの変わった部分に興味を持ったんだと思う。例えばだけど、日常に溶け込むことの出来ない因子を僕たちは持っていて、その欠片がSNSの呟きに宿って、お互いが呼応するように繋がったのかもしれないね」

「それは少し分かるかもしれません。私はあなたほど自分のことをありありと呟いたりはしませんでしたが、あなたの呟きには何処か私に近しいものがあると感じていましたから。だから少し会ってもいいかなと思いました。何処かで聞いた言葉なのですが、"痛みを癒してくれるのは、その痛みを知る者だけだ。"というものがありまして、この言葉が私は好きなんです。だって事実として、そうでない人に幾ら慰められたとて私の心は乾いたままでしたから」

 彼女の言葉はどこか寂しそうだった。この世界の大多数はまるで敵であり、信じられる者はいなかったとでもいいたげなようで。だからこそ俺は。

「俺は、君の痛みを癒せる人になれるのかな」

 つい言ってしまった。まだ出会っても間もない彼女を俺は守りたいと思ってしまった。いやそれと同時に俺自身も守られたいと思ってしまったのかもしれない。この生きづらい世界をこれからも過ごしていくためにも、誰かを求めたのだと思う。何故彼女だったのかなんて感覚的でしかないし明確な答えはない。彼女の抱える何かに触れることはエゴだと俺自身分かっていたのに、寂しそうな表情を見ると言わずにはいられなかった。

「なれるかもしれないよ」

 彼女がコーヒーカップを持つ僕の手をそっと触れる。この温もりだけを僕はどこまでもいつまでも感じていたいと思った。
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