百地くんは愛される

なこ

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第2章 一難去ってまた一難

05.

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 もやもや、もやもや、もやもや。

 時間を経るにつれてマシになるどころか増していく不快感に、俺の機嫌はどんどん下がっていく。何故なら、ことある事に転入生を連れて歩く龍我さん達が目に入るから。A校舎の窓から、渡り廊下から、広場から。とにかく目に付く。そのたびに下がっていく俺の機嫌を目ざとく察知した千種に「転入生、やりましょうか」といわれた時正直頷きそうになった。「殺る」なのか「ヤる」なのか。真実は闇の中である。――おそらく前者。


「ご機嫌斜めだね」


 くすくすと楽しそうに笑う理事長。てっきり礼儀のなっていない転入生にブチ切れているだろうと思っていたが、彼は何故か俺が理事長室に入ってからずっと機嫌が良かった。ソファに座って優雅にカップを傾ける仕草が随分と様になっている。転入生のことを彼も気に入ったのだろうか。講堂での様子を見る限りではそうは見えなかったけれど。不機嫌を分かち合えると思っていたのにとんだ誤算である。
 さらに、だ。ちらりと横を見る。何故か一緒にお茶会に参加している調月先輩会計がうっとりとした表情で理事長を見つめているのだ。綺麗なものしか見たくない先輩にとって理事長は最高レベルらしい。俺は理事長に視線を戻し、息を吐いた。


「理事長は逆になんでそんなに機嫌いいんですか?」
「なんか機嫌悪い人見てると冷静にならないかい?逆に」
「逆に」
「そう逆に」


 性格の歪み切った理事長らしい返答。清々しい。
 くるくるとストローをまわし、冷たいチャイティーを一口飲む。甘い中にほんのりと強すぎないシナモンの風味が効いていて、とても美味しい。しかし、俺は気分をすっきりさせたいからストレートティーを注文したはずなのだが。この理事長、自分の機嫌を下げない為に俺の機嫌を上げさせないつもりだ。とんだクソ野郎である。知ってた。
 とはいえ、彼は何も転入生の無礼を許したわけではないらしい。テーブルの上にはクラス落ちの手続き書類が乱雑に置かれていた。


「Dに落とすんですか?」
「生徒に示しが付かないからね。家柄で落とさないならって金を積むDの家の子が出てこないとも限らないだろう?」
「確かに……」


 しかし、転入生はDの生徒達を掌握しているようにも見えたため、寧ろ「革命だ」なんて言い出す可能性もある。確かに従者制度はいつの時代だと言いたくなる気持ちもわかるが、この学園で生活したいなら従うべきものだ。確実にやってくるだろう「嵐」。想像もしたくない。この状況を生徒会役員である先輩はどう思っているのだろうか。もし転入生が#暴れる__・__#のならば、矢面に立つのは彼らだ。楽しそうににこにこと笑う調月先輩を見れば、更ににっこりと微笑みかけられる。ぞわりと鳥肌が立った。


「会計様」
「んー?」
「生徒会の方々って、マジで転入生気に入ってるんですか?」
「てんにゅーせー?」


 こてん、と首を傾げる先輩。理事長が目を細めた。先輩はしばらくぼんやりと明後日の方向を見つめ、次いで俺と目を合わせる。前にあった時よりもさらに焦点が合わなくなっている緋色の目は本で読んだ血の海地獄を彷彿させる。つまり、非常に怖い。先輩はじ、と俺の目を見つめ、口を開いた。


「だあれ?それ」
「え?」
「てんにゅーせーってなに?」
「…………あれ?俺もしかして別の時空にいる……?」
「……はぁ。百地君、調月君はちょっと疲れ気味なんだ」


 ふわふわと的を得ない返答。もしかして転入生なんて最初からいなかったのではないかと錯覚してしまう。首を傾げて先輩と同様明後日の方向を向く俺に、理事長が疲れたようにため息をついた。 

 代わるように話し出した理事長によると、この潔癖会計、あまりの転入生の汚さに拒否反応を起こした結果、転入生の存在自体をシャットアウトしてしまったらしい。講堂での紹介の後、それはそれは見た目の良い先輩は、面食いらしい転入生の目にとまり、これでもかと言うほど引っ付き話しかけられた。拒絶しようにも全く聞いてくれないし、そもそもたわしのような見た目の物体と喋りたくもないしで、最終的に会計の思考の中から転入生はいなくなっていったと言う。
 さすがの俺も思わず同情の目で見つめてしまう。先輩程ではないにしろ、綺麗なものが好きな俺としても転入生の容姿は中々に受け入れ難い。あんなのに付きまとわれたらきっと悪夢にうなされてしまう。


「だから食堂でも何食わぬ顔してたんですね」
「流石に可哀想でね。昼休みの後にこの部屋に招待したんだ」
「あ、そんな長く居座ってるんだ……」


 流石は生徒会会計。理事長にも甘やかされているようだ。

 ほけほけと呑気に紅茶を啜る先輩はさておき、理事長に向き直る。莇会として動くことはしたくない、と告げると理事長は当たり前のように頷いてくれた。既に関わらないように、との通達は終わっているので新たに何かをする必要は無いのだが。俺自身も出来れば隠密したいが、残念ながら龍我さんのせいで既に顔合わせしてしまったので、今後関わらないということはなさそうだ。
 俺も自分がそこそこの――少なくとも会計に認知される程度には――整った容姿をしてる自覚はあるので、転入生に認知された以上生活には注意しなければならない。――例えば、


「月待 律と花染 樹と暫く離れた方がいいですか」
「……そうだね。あと御堂 玲太くんも、目立たないが優れた容姿をしているから、の転入生が連れ回さないとも限らない」
「分かりました。転入生が関わってこないと確証を得るまで田中と行動するようにします」


 友人たちを転入生の前に出さないこと。少し目にしただけでも転入生がよっぽどの面食いであることはわかるので、律や樹は勿論親衛隊を持たない玲太も近づけてはならない。玲太に至っては見た目は陰キャなので、もし目をつけられれば、に手を出しづらい会長親衛隊の制裁が彼に向ってしまうことも考えられる。
 そうした方がいいね、と呟く理事長はかなりお疲れ気味な様子だ。理事と生徒の中間に立たされるというのも大変だろう。龍我さんが先陣切って転入生に注意をしてくれればもっと気軽にD落ちさせられただろうに。再燃するもやもやに眉をひそめた。


「龍我さん、何がしたいんでしょう」
「……何となくしたい事は分かるけど……今回ばかりは悪手だね」
「ふうきいいんちょーが調子付きそうでやだなー」


 ぼそりと呟いた会計の言葉に頷く。風紀委員長である貴船先輩は龍我さんと仲が悪いから、これを機に龍我さんの人気を失墜させてリコール、なんてことも目論んでいそうだ。社会的にはエリートの子息ばかりのこの学園でリコールなんてされようものなら、当然将来に影響する。かつては好き勝手した生徒会がリコールされ、D落ちの末に勘当されてこともあるらしい。俺としては仲よくしてくれる龍我さんにそんな目にあってほしくないし、巻き込まれる他の生徒がかわいそうだ。
 知らず唇を尖らせる。転入生を可愛がる暇があるなら俺と遊んでくれたらいいのに。彼からのお茶の誘いメールは、俺の返信以降動いていない。自分から誘ってきたくせに。

 そうだ、転入生といえば、聞きたいことがあったのだ。確実に現代社会を生きる中で誰かの精子が入りそうな容姿をしている彼だが、あのもじゃもじゃ頭は自前ではないと思う。瓶底眼鏡はよっぽど近づかない限り目も見えないし、どう考えても「変装」している。もし変装であるとして、彼がそうしなければならない理由とは何なのか。茶菓子に手を伸ばす理事長を見つめる。


「……転入生のあれ、流石にズラですよね。理事長、中見ました?」
「見てないけど冷泉くんに敵う子じゃないんじゃないかな」
「それは比較対象として間違ってます」


 龍我さんの顔は綺麗すぎる。とはいえあんないかにも「顔を隠してます」と此方に伝えたがっているようなズラとでかい眼鏡をしているんだから、逆に美形じゃなかったら暴動ものだと思う。というかせめて顔くらい綺麗じゃないと、性格諸々存在が許せなくなる。


「別に命を狙われていて……とかではないと思うんですけど。現代社会において」
「百地君、この学園での常識を持ち出すのはナンセンスだよ」
「確かに……マジで『顔が良すぎてみるだけで人を虜にする』とかくらいの方がありがたいですね」


 暴行が原因での退学なら、ありえない話ではないが。
 これ以上悪い方向に思考が行かないようにぶんぶんと首を振り、テーブルに置かれた転入生の資料を拾い上げる。別に彼自身に全く興味はないが、講堂や食堂でのがどうにも引っかかっていた。あんなインパクト強めの人間、忘れるはずがないのだが。――もし出会うとすれば、俺が頻繁に出入りしていた繁華街だと思うのだが、そこにいた不良グループに彼の様な目立つ大声で喋る人はいなかった。
 でも、絶対に俺は転入生に会ったことがあるーー気がするのだ。眉を顰め、首を傾げて書類と睨めっこをする俺を見つめていた理事長が、口を開いた。


「どうかした?」
「……何となく、会ったことがある気がして」
「……調べておこう」


 もう一度資料に目を落とす。繁華街で人間関係的に問題を起こしたことは無いので、会ったことがあるにせよ恐らく恨まれているということはないだろう。しかし、友達だったら普通に「久しぶり」とでも声を掛けて来ないだろうか。どうにも不気味で変な気分だった。ーー気の所為なら、それでいいが。
 なんにせよ、彼からかかわってこない限り俺から近寄るつもりはないので、とりあえず今考えることではない。まずはB組の生徒の身の安全の確保が第一である。俺は理事長に任せることにした。


 ご馳走様でしたと告げ、立ち上がる。ぽけー、と虚空を見つめる調月先輩を放置して一礼し理事長室を出た。教員塔を出た所で氷雨と合流し、馬車に乗る。何も聞いてこない氷雨の存在が有難い。彼の珍しくボタン1つあけられたシャツからは、昼に俺がつけてやったネックレスが光っている。何となく照れ臭いような気分になって目をそらすと、氷雨も穏やかに笑う気配がした。馬車の窓からは美しい夕焼けの日差しが入ってきて、少し眩しい。そして馬の蹄の規則正しい音が響き俺の疲れた心を穏やかにしていく。


「お疲れでしたら肩をお貸ししますよ。まだA寮まではかかりますし、少し眠られては?」
「あ”――、頼むわ……おやすみ」
「はい、ゆっくりお休みください」


 向かいに座っていた氷雨が隣に腰を下ろす。彼の肩に頭をのせれば、とたんに襲い掛かる睡魔に逆らうことなく目を閉じた。何事もなく時が過ぎればまたいつもの4人で今度遊園地に行こうか、なんて考えながら、沈む意識に身を任せた。





――そして、人はそれを「」という。


 
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