思考

とーず

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思考

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 たまに、自分がとても矮小な存在に思えてくるときがある。それは、別に落ち込んだ時に思うわけでも失敗をしてしまった時に思うわけでもない。本当に前触れなく、何のきっかけもなく、僕の脳髄をみしみしと蝕んでいく。
それは放課後の部活が始まる五分前であったり、朝起きて食事をしているときであったり、眠気を抑えつつ授業を受けているときであったり、本当に突然だ。まるで欠伸のようにふらと訪れてはふらと立ち去ってゆく。質が悪い。こいつが訪れるとき、僕はいつもいつも活動をやめ、ぼうっとしてしまう。それはまるで催眠にかけられたように、洗脳されたように、猫が突然一方向を見てじっとして動きを止めるように。
 ぼうっとしているとはいえ、何も考えてないわけではないのだ。思考が停止している状態ではなく、思考が同じところをぐるぐると回っている状態である。このとき、僕の眼球も同じように緩んでしまう。近くのものに焦点を当てられず、ずっとぼんやり遠くの何かを見ているような感覚。そのうち遠近感覚も完全になくなり、目の前に広げているノートと鉛筆も二次元の絵と化してしまう。そんな時に考えていることはいつも同じ。「僕は生きているのか?」
 もちろん生きている。そんなことはわかりきっている。呼吸をし、痛みを感じ、鳥肌を立て汗をかき、夜が更けると眠くなるこの体は生きている。生物である証をいつも突き付けてくる。だがそういうことではない。僕は時々自分の自我を信用することができなくなるのである。楽しいことをしていて、今すぐやるべきことを突然思い出す感覚に近い。我に返るというやつだ。あの感覚とともに、僕はなぜ生きているのか?僕はなぜ考え事をすることができるのか?僕が考えているこの意識は本当に僕が考えているものか?この体は誰のものだ?とぐるぐるわけのわからない思考を巡らせ、自分や世界が怖くなってくる。
 まさにその状態に陥っている学校内での午後0時15分、友人の堤が話しかけてきた。
「大丈夫か?」
 彼とは長い。入学して以来学校ではほぼ常に一緒にいて、授業を受けたり話をしたりしている。何か異変を感じたのだろう、声をかけてきたわけだ。
「いやいや、ぼうっとしてただけだから」
 僕は言う。嘘はついていない。ぼうっとしているだけにしてはあまりに多すぎる思考量ではあるが。
「大丈夫か?」
 彼は再度全く同じセリフを先よりゆっくりと言う。
「うーん、ぼうっとしてたというより考え事をしてたかもしれない」
 正直に自分の状況を説明すると、意外とも思える返事が返ってきた。
「妙な言い回しするねえ。考え事をしてたかもしれない、か。俺もあるよ、考え事をしているんだけどぼうっとしている、みたいな時。というか誰にでもあるんじゃないかな」
 僕は先ほどの思考停止状態の延長にあったので、かなりの生返事で返した。
「そうかあ」
 だが堤はこの議論を面白いものだと踏んだらしく、僕のぬめぬめした受け答えなど意にも介さず、ぱきぱきとした口調で昼食の弁当を広げながら続けた。
「そうだ、と俺は思ってる。人間の、知的生命体の永遠のテーマだと思うんだよね、自我や自意識の存在とか、自分以外の存在のことについて。たぶんお前が考えてたのもそういう系統のことだろ?俺ら似てるとこあるからなんとなくわかるよ。さっき言った誰にでもあるかも、っていうのは流石に言い過ぎたけど、大半の人が一度は考えたことがあるんじゃないかね」
 年の割に渋い弁当を食べる堤は、牛蒡のきんぴらを摘まみながら言った。
「うん、まああるかもなあ。でも僕はこの感覚は誰にも理解されないんじゃないかと思ってるよ。なんせ自分で理解できないからね。自分が自分じゃない気がするんだ。頭がおかしいのかもしれない」
 思考が通常に戻りつつある僕は、自分の弁当を広げながら堤にいつもの感覚をかなり簡略化して伝えた。堤は鼻で笑う。
「おかしいのかもね。俺はかなりの量の文学や思想に触れて多くの受け皿を作ってるつもりだけど、お前の言ってることたまに理解できないし。それが面白くもあるけど」
 堤はにやにやしながらまっすぐこっちを向いて言う。むうと僕が唸ると、堤はまた笑って続ける。
「正確に言うと、理解はできるんだよ。ああ、そんな考えに至ることがあるんだなあ、言われてみればそうだなあって。でも、共感ができない。感覚まではいくら言葉で語っても共有できないし、そこはあくまで他人だからね。」
 そうだよなあ、お前頭いいしな、と言おうとすると、あ、と堤は突然声を上げた。
「なに?」
「いま、思い出した。哲学的ゾンビって知ってる?名前の通り哲学で使われる言葉なんだけど、“物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識を全く持っていない人間”と定義される存在。人間はただの電気的反応で動いてる有機物であって、意識と思い込んでるそれは脳の電気信号が……」
 話を聞いている途中から、訳が分からなくなってきた。またあの感覚だ。しかも今回は相当強い。視界がぼやけ、思考がぐるぐる回る。哲学的ゾンビ……堤もそうなのかな。もしかしたら自分も……いやでも僕自身は、自分が自分の意志で考えていることを知っている、つまり哲学的ゾンビではない、いやでもそれも電気信号だとしたら?いや、そう言ってしまうと意識というものの定義が……
「おーい。今度こそダメになったか?」
 堤に声をかけられハッとする。今回はかなり深い領域にまで思考が及んでいたようだ。それと同時に、教室の隅で話している女の子二人がこちらを見てくすくす笑っているのに気が付いた。僕は途端に恥ずかしくなった。きっとあの二人は話をしていて、会話の流れでふと視線をこちらに逸らしていただけなのだろうけど、自分の奇行やおよそ一般人が話すとは思えない会話内容を思い出し、自分たちが笑われているような気分になった。すると、僕は突然可笑しくなった。あれだけ訳の分からないことをぐちゃぐちゃ考えていたのに、あそこの二人に笑われた気がしたという勘違いだけで全て忘れて恥ずかしくなるというのはどれだけ馬鹿馬鹿しく、人間らしいことか。そう思うと笑いをこらえきれなくなってきた。
「どうした、本当におかしくなったか?」
 堤が少し心配そうに声をかけてくる。僕はすっきりとした思考で、ぱきぱきと返答した。
「いや、やっぱり生きてるんだなあって。なんか、馬鹿馬鹿しいけど、いま生を実感したよ」
 堤はぽかんとして聞いていたが、僕が話し終わると鼻を鳴らし呆れ気味に呟いた。
「本当にわけがわからんね、お前は。本気で頭がおかしいのかもしれん。面白いからもうしばらく観察させてな」
 僕は自分の名誉のために、僕が笑い出すまでの自分の思考の過程を説明しようかとも思ったが、面倒くさくなってしまったのでそのまま堤と雑談しながら昼食を終えた。
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