すいれん

右川史也

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第二節 暑くなってきたきせつ

第15話 七月の中頃

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 慎太郎と明日香は常に会話の絶えない――という表現からは程遠い交際をしていた。
 慎太郎の勧めもあって、共にいる時も明日香が読書をするようになったからかもしれない。

 じっと、静かに活字の海を進む明日香を、彼は常に最も近くから見守ってくれている。本の世界に潜りながらふと現実に戻ると隣には大切な人がいる。
 ――彼の庇護を受けているような安心に包まれている時間が明日香は好きだった。
 慎太郎もまた不意に本から意識が戻って自分を探し求めるように存在を確認してくる彼女を守っていきたいと思う。

 ぱたん、とハードカバーの本が閉じられた。明日香は隣に座る慎太郎の腕をそっと掴んだ。
「何読んでるの?」
 聞き慣れた彼から質問――その事が明日香を安心させた。
 手を退かし膝の上にある本の表紙を彼に見せた。

        〇

「それって――」

 黒地に白い字で『奇譚になる人々の異聞』と記された本――慎太郎は装丁に見覚えがあった。

「そう、慎太郎が借りてくれた本」
 作者は……『岩節夏夜見』か――。

 その名前は慎太郎にも「明日香が好きな作家」として馴染みがあった。

「また読みたくなって買っちゃった」

 明日香は慈しむように優しく本の背表紙をでる。
 慎太郎にはそんな彼女の姿が子を持つ母親の様に映った。

「読んでみる?」

 読んでいる本を尋ねると、度々そう訊き返してくる。だが、本を読む習慣のない慎太郎はいつも断っていた。
 しかし、彼女の膝に静かに収まるその本には、何故だか少し興味が湧いた。明日香と仲良くなるきっかけとなった本だったからかもしれない。

「短編集だから読みやすいと思うけど――」

 普段本を読まない慎太郎とっては、例え数ページの物語でも抵抗がある。彼女もそういった部分を汲んでくれているのか、あまり強くは勧めてこない。

 静かに悩んでいると、明日香は「そう」と納得して話を打ち切った。困った色が顔に出ていたのかもしれない。気を使わせまいと彼女はそっと慎太郎の肩に頭を乗せてきた。
 しかし、慎太郎は明日香の膝からその本を持ち上げた。

「ちょっと、試しに見てみたいかも――」

 今までにない反応だったせいか、明日香は少し驚いていた。だが慎太郎の好奇心を削ぐ様な事はせず、じっとその行為を見守った。

 慎太郎はゆっくりと本を開いた。
 表紙、見返し、タイトル、一ページずつ目を滑らせる。

『奇譚になる人々の異聞』――『奇譚』も『異聞』も慎太郎には聞きなれない言葉だ。
 明日香に出会わなければ『夏夜見』で『カヤミ』と読ませる事も知らなかっただろう。

 目次。短編と思わしき各題名が並ぶ。すっと目を滑らせるつもりで、右から左へと視線を動かしたのだが――ふと、止まった。

『愛された花』

 気になる題名だった。ページを確認し、そのページを開いてみる。
 扉となるページには、横書きで書かれたタイトルと、その下にアスタリスク記号の様な簡易的な六弁の花が印刷されている。更にページを捲ると、本文の一行目にもまた同じ六弁の花。その先には文字の海が控えていた。

 やっぱり無理かも――。

 慎太郎はふう、と小さく息を吐く。
 その様子を見た明日香は代案を出した。

「それならさ――」

        〇

 慎太郎は自宅のアパートに帰ると、すぐに風呂に入り寝間着に着替えた。
 時刻は夜の十時を回ろうとしている。明日は一限目から講義があった。だが構わず、レンタルビデオ店で借りたばかりのDVDをセットした。

 タイトルは『愛の苗』――『愛された花』が原作の映画だと明日香が教えてくれた。彼女の自身は観た事がないそうなのだが、「本が駄目でも映画ならどう?」と薦めてくれたのだ。

『愛された花』もそうだが『愛の苗』も心に引っかかる題名だった。

 明日香に内容を聞こうとしたのだが彼女は回答を拒んだ。「作品の内容は自分の目で確かめないと意味が無いよ」と言う。

 確かにその通りだ――。

 彼女の言葉を思い出し一人納得しながら、慎太郎はリモコンの再生ボタンを押した。
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