涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志

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 僕達はスリッパに履き替えて歩いた。

 家の中には窓が少なかったが、天井付近の間接照明が点いているおかげで薄暗いとは感じなかった。窓の代わりに、大きめの風景画が廊下の至るところに飾られている。描かれている風景は、山岳や草原や大海原や港町や日本家屋など、多岐に渡っているが、どれも写実的な絵柄だという点で一致していた。

 僕は既に何度もこの家に入ったことがあるので何とも思わなかったが、初めて入った朝日奈さんは興味深そうに家の中を見回しながら歩いていた。

 先を歩く充夫は、1番奥にある扉の前で立ち止まった。扉はどちらかと言えば小さめだったが、厚みがあった。充夫が苦労して扉を引っ張るのを、僕は手伝ってあげた。僕が重い扉を押さえているうちに、充夫と朝日奈さんに、先に部屋の中に入ってもらった。続いて、僕も部屋の中に入る。そこは3畳もないような小さな部屋だった。小部屋の隅に簡易シャワーが取り付けてあり、反対側には籠が置かれていた。奥にはもう1枚、手前の扉と同じような重厚な扉があった。

「ここは核シェルターへの入り口のエアーロック室なのですが、二重扉になっていて、扉は同時には開かないようにできています。通常の入り口はこの1ヶ所しかなく、エアーロック室の外――先ほど通った廊下にも、非常時には分厚いシャッターが落ちるので、三重の扉で防護していることになります」
「このシャワーは何のためにあるんですか?」

 朝日奈さんはそう質問した。

「既に外が放射能で汚染されているときに、外から防護服を着た人が入ってきたら、まずはこのエアーロック室のシャワーで除染をしてもらいます。同時に、エアーロック室の空気を入れ替え、放射線が一定の数値まで下がったことが確認できたら、この奥の扉が開く仕組みになっています。今は放射能の数値は全く問題がないので、手前の扉さえ閉まれば奥の扉を開けることができます」

 そう言って、充夫は奥の扉を押した。先ほどの引く扉とは違い、今度は押す扉だ。空気を入れ替えた後は、二重扉に挟まれたエアーロック室は気圧が高くなっているため、扉を開けやすいようにそういう仕組みになっているのだ。扉自体が相当重いので、そういう配慮がなければ、体力の衰えた人は扉を開けることができないおそれがあった。今回も、僕が扉を押さえているうちに朝日奈さんと充夫にエアーロック室から出てもらい、僕が最後に出た。

「ここがもう核シェルターなんですか?」

 朝日奈さんが充夫にそう質問した。

「ええ。ここは核シェルターの廊下です」
「私、核シェルターって、地下にあるイメージを持ってたんですけど、ここは家の一階の廊下と地続きになっているんですね。それに、思っていたよりも明るいです」

 朝日奈さんは意外そうな表情で廊下を見ながらそう言った。廊下の床はフローリングになっており、壁には白い壁紙が貼られていた。数メートルおきに照明があり、その下の壁には風景画が飾られていた。廊下の照明は人の動きをセンサーが感知して自動で点灯したり消灯したりする仕組みだった。明るさは、先ほどの家の廊下よりは少し暗いが、それでも核シェルターという単語を聞いてイメージするよりは明るかった。

「そうですね。まあ、ここも地下と言ってもいいんですけどね」
「どういうことですか?」
「元々、私の家は山の麓の斜面に隣接する形で建てられているんです。だから、家の奥の廊下は、実際にはトンネルになっています。そして、この核シェルターはすっぽりと山の中に埋まるような形になっているので、山の上から見れば、ここは地下なんです」
「なるほど、そうだったんですね」

 朝日奈さんは感心したように言った。

「建てるときは、まず山の窪みに沿って核シェルターを建造し、さらに核シェルターから家に繋がる廊下を造りました。その後で、別の場所から運んできた大量の土砂を核シェルターの上に被せたのです。そして最後に、廊下の先に住宅部分を建てた形ですね」
「核シェルターの作り方としては変則的だと思うんですけど、そうすることで何かメリットがあったんですか?」
「まず、住宅部分の一階とシェルターを地続きにすれば、バリアフリーにできるというメリットがあります。私の両親は足腰が衰えていて、階段の上り下りにかなりの時間がかかってしまいますが、核シェルターに籠もらないといけないような事態になったら、一刻も早く移動しなければなりません。そこで、こんな変則的な設計にしたんです。それ以外にも、この造りの方が、地下に核シェルターを造るよりも安上がりだったという理由もありますけど。地下室を造ろうと思うと、まず大きな穴を掘ってその中に部屋を造って埋め直すか、垂直に小さな穴を掘り進めていって底の方に大きな横穴を掘削するという作業が必要になりますよね。しかし、地面の上に核シェルターを作ってから土を被せる方法だと、穴を掘る工程が不要になるので、その分建設費が安く済むんです。また、穴を掘る時間も短縮できるので、結果的に工期も短くなります」
「そういう理由だったんですね。納得しました。ちなみに、失礼ですが、この核シェルターにはおいくらくらいかかっているんですか?」

 朝日奈さんはそう質問した。

「家屋の方の建設費や土地代を除いて、核シェルター部分だけで5000万円くらいですね」
「5000万円、ですか。核シェルターの相場には詳しくないので、それが高いのか安いのか分からないのですが……」
「一般家庭用の核シェルターとしては、かなり高い方だと思いますよ。倉庫や普通の地下室などの密閉空間に空気清浄器を取り付けるだけの簡易的な核シェルターならば、数十万円くらいで造ることができますからね。本格的な核シェルターでも、数人の家庭用のものならば数百万円くらいで結構本格的なものを造ることができます。――基本的に、核シェルターというのは、2週間程度滞在することを目的として造られる場合が多いので、ここまで大がかりなものを自宅に造る人は滅多にいないと思いますよ」
「たった2週間でいいんですか?」
「はい。放射線には半減期というものがありますから。核爆発の直後が1番人体に害が大きい物質が放射されるのですが、それは時間の経過とともに急激に減っていき、2週間ほどで、短時間ならば外に出ても影響はない状態になります。もちろん、地球が滅亡するほどの大規模な核戦争が起こったり、この近くにある原子力発電所がメルトダウンしたりするような事故が多発したりしたら、とても2週間では外には出られませんけどね。――とりあえず、軽く中を案内しましょうか」
「あ、すみません。こんなところで立ち話させてしまって」

 朝日奈さんはそう言って頭を下げた。

「いえ、いいんですよ。山上さんは何度も見ているので、あれでしたら……」
「構いません。何回見ても飽きませんから」

 僕はそう答えた。
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