涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志

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 倉庫の中には棚がいくつも並び、蛍光灯、電池、懐中電灯、蠟燭、ライター、マッチ、掃除用具、裁縫道具、筆記用具、ノート、コピー用紙、プリンターのインクの替え、トランプ、巨大な救急箱、爪切り、散髪用の鋏、フェイスタオル、バスタオル、男性用の下着、女性用の下着、ナプキン、浴衣、ジャージ、シーツ、洗濯用洗剤、ハンガー、台所用洗剤、スポンジ、ゴミ袋、ビニール袋、脚立、鋸、釘、金槌、スケール、ロープ、延長コード、セメントの袋などがあった。

「セメントの袋まであるんですね」

 朝日奈さんは不思議そうに言った。

「これは、万が一壁が破損してしまったときに補修するためのものです」
「なるほど、よく考えられていますね」

 朝日奈さんは感心したようにそう言った。
 僕たちは倉庫を出て、さらに廊下を進み、「日」の左下端にある突き当たりを左折した。

「ここがトイレで、その奥が食堂です。シェルター内の手前半分を周って元の場所に戻ってきたわけですね。ええと、朝日奈さん、インタビューがあるんでしたっけ?」
「はい」
「では、一旦外へ出ましょうか」

 充夫はそう言って、食堂の前で廊下を右に折れた。
 僕たちは先ほどのエアーロック室を通り抜け、住居部分に戻った。僕と朝日奈さんは1階にある応接室へ通された。背の低いテーブルを挟み、手前と奥に2人掛けのソファが1脚ずつある。部屋の左奥には窓があり、右奥には斜めに置かれたテレビがあった。

「お茶でいいですか? それともコーヒーがいいですか?」

 充夫はそう訊いた。

「あ、いえ、お構いなく」

 朝日奈さんはそう答えた。

「いえいえ、気にしないでください」
「それじゃあ……すみません、お茶をお願いします」
「僕もお茶を」

 朝日奈さんに続いて僕もそう言った。

「分かりました。こちらのソファに座ってお待ちください」

 充夫は、手前のソファを手で示しながらそう言った。

「すみません」

 僕と朝日奈さんは同時にそう言った。充夫が部屋を出ていくと、僕と朝日奈さんは2人きりになり、何だか気まずい空気が流れた。

 ――僕は中学生の頃、当時卓球部だった友人の試合を応援しに、卓球の大会を見学しに行ったことがあった。友人が休憩している間、僕は何の気なしに、他校の女子の試合を見学していた。その女子の中の1人が朝日奈さんだった。朝日奈さんはシングルスで出場していたのだが、圧倒的な強さで勝ち進んでいた。まるで親の仇でも見るような表情でピンポン玉を追っているのが印象的だった。気が付くと、僕はずっと彼女のことばかり見ていた。友人の試合が始まっても応援に行くことすら忘れ、僕は朝日奈さんの姿を目で追いかけていた。

 朝日奈明日奈という、1度聞いたら忘れられない、インパクトのある名前もこのときに知った。

 その頃から朝日奈さんとこうして2人きりで話をするのをずっと夢見ていたのだが、今こうして、いざその機会が訪れると何も言えなくなってしまった。

「えっと、何だか私ばっかり福田さんに色々と話してもらってごめんね。山崎くんの用事はいいの?」

 気を遣ったのか、朝日奈さんの方から話しかけてきた。

「山上だよ」

 僕は冗談っぽい口調でそう言った。責めるようなニュアンスを込めないように極力注意して発音した。

「え?」
「山崎じゃなくて山上」
「あっ、ごめんなさい」

 朝日奈さんは口に手を当ててそう謝った。

「いいんだよ。よく間違われるから」

 実際には名前を間違われることなど滅多になかったが、僕はそう言った。

「本当にごめん。……ええと、山上くんは何の用で福田さんに会いに来たの?」
「僕は海外の新商品説明をしに来たんだ。ほら、これがパンフレット」

 僕はそう言いながら、鞄から分厚いパンフレットを取り出した。

「海外の新商品って言うと……」
「今、僕は輸入代行業の会社に勤めてるんだ。『株式会社チキン・オア・ジ・エッグ』って言うんだけど、知らない?」
「ごめんなさい。知らない。どんなことをしてる会社なの?」
「海外にいる現地のスタッフが、日本では売っていない商品を仕入れて、日本にあるうちの会社の倉庫に送り、それを通信販売するのが主な仕事かな。顧客が近くにいるときは、通信販売じゃなくて、こうやって実際に訪問するけど。僕がやっているのは、事務と営業。核シェルターを造る際、色々と日本では売ってない製品も仕入れて福田さんに売ってたんだ。福田さんはうちのお得意さんで、もうすぐ新商品が入るから買ってください、ってアポイントをとったら、この時間に来るように指定されてたんだよ」
「そうだったんだ。それなのに私ばっかり話しちゃって……」

 朝日奈さんは完璧な形の目を伏せた。

「いや、いいんだよ。僕はそんなに忙しくないし、福田さんはわざとやってるんだから。わざと同じ時間を指定して、僕と朝日奈さんが2人きりになるように仕向けたんだよ。朝日奈さんが課長さんから、福田充夫の家に行ってくれ、って頼まれたのはいつ?」
「今日、お昼休みが終わって戻ってきたときだから……ほんの1時間くらい前だったかな」
「やっぱりね。きっとその後すぐに課長さんは福田さんに電話して、取材の担当者が代わったことも説明したんだろう。で、今から30分前に電話した僕に、朝日奈さんと同じ午後2時に来るようにと指定したんだろう。さっき玄関で会ったときにも言ったと思うけど、福田さんは若い男女をくっつけたがる人だから」
「ふうん、そっか……」

 朝日奈さんは右手の親指と人差し指で顎を撫で、考え込むような表情になった。

「ごめんね。僕なんかとお見合いみたいなことさせられちゃって」
「えっ? ああ、ううん、そんなの別にいいの」
 朝日奈さんが困ったような笑みを浮かべたとき、ドアが開き、ガラスのコップに入ったお茶の載ったお盆を持った充夫が戻ってきた。

「お待たせしました。こういうの――お茶を淹れるのはいつも家族にやってもらってたんですが、生憎今日は皆留守にしていて、すっかり手間取ってしまいました」
「いえ、気にしないでください」

 朝日奈さんは如才なく微笑みながらそう言った。
 充夫は僕と朝日奈さんにコップを渡し、向かいのソファに座った。僕は「いただきます」と言ってお茶を一口飲んだ。氷が浮かんだお茶は冷たくて美味しかった。
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