涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志

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 僕たちは廊下を進み、「日」の右側真ん中の丁字路を左折し、歩いた。突き当たり右側の壁に、ドアがあった。

「パソコンに入っていた見取り図によると、このドアの向こうは食料室、左の廊下に並んでいるドアが寝室だね」

 僕はそう説明した。

「じゃあ、先に寝室の方から見ましょうか。2人用の寝室にはどんな絵が飾られているのか気になるし」

 朝日奈さんはそう言って、廊下を左に折れ、左側の壁にあった最初のドアを開き、電気を点けた。

 2人部屋と言っても5畳くらいの広さしかなく、1人部屋と大して変わらなかった。横幅は1人部屋と全く同じだが、奥行きがある作りになっていた。部屋の左右にシングルの1台ずつベッドが並んでおり、ベッドとベッドの間の細い通路を通らないと奥の「窓」に到達できなかった。

 1つ目の部屋には椿の絵が、2つ目の部屋には雀の絵が、3つ目の部屋には風車の絵が、4つ目の部屋には満月の絵が飾られていた。

「2人部屋の方は、花鳥風月がテーマみたいね」

 朝日奈さんは最後の部屋を出ながらそう言った。

「それぞれ、『椿の間』、『雀の間』、『風車の間』、『満月の間』と呼ぶことにしようか」

 僕はそう提案した。

「安直すぎない?」
「朝日奈さんに言われたくないよ!」

 僕たちは食料庫のドアの前に戻った。

 食料庫は、今までに見てきた8つの寝室を全て合わせたくらい――つまり30畳くらいの広さで、凄く細長い形をしていた。「日」の右側の廊下に隣接するような形になっている。

 手前の半分には、天井付近まで達する高さの大きな棚が所狭しと並んでおり、食料の入った大小様々な大きさの箱や袋が並べられていた。奥の半分は、合成樹脂製の黒いパレットの上にダンボールが山積みになっていた。

 ちなみに、この場合のパレットとは、絵の具を混ぜるための板ではなく、フォークリフトやハンドリフトの爪を差し込む穴の空いた、荷物を載せる台のことである。僕が輸入代行業の会社で使っていたのと同じ種類のもので、JIS規格の縦横1.1メートル、高さ14.4センチの大きさで、重さは十キロくらいあるはずだ。

 核シェルターの外周に位置する壁には、両開きのドアがついた業務用の大型冷凍庫が何台も並んでいた。
 入り口から見て奥の方には、フォークリフトが出入りすることができる入り口があったが、今は分厚いシャッターが下りていた。

「凄い広さね」

 朝日奈さんは驚いたように言った。

「そうだね。僕は何回か入ったことがあるけど、初めて入ったときは驚いたよ」
「これ、どれくらいの食料が保存されているの?」
「一応、12人が1日3食、5年間食べても食べきれないくらいの量があるらしい。時期によって変動があるらしいから、実際にはもっと多いかもしれないけど」
「そんなに? いくら立派な核シェルターとはいえ、いくら何でも多すぎない? だって、いくら長期保存が可能な食べ物ばかりを集めているとはいえ、消費期限が過ぎたら交換しないといけないんだし、普通はそんなに貯蔵しないでしょ?」

 朝日奈さんは呆れたような声を出した。

「そこらへんは、福田さんが、県内有数のチェーン店のスーパー『充福』の経営者という地位を生かして、公私混同で貯蔵することで解決しているんだよ。どういうことかと言うと、長期保存がきく食べ物をメーカーから仕入れたら、その一部を会社の倉庫に搬入する前に、この食料庫に運んでくるんだ。で、しばらくこの食料庫に保管する。賞味期限が近くなったら、それを県内各地のスーパーに輸送して売り捌き、また新しい食料を仕入れる、という感じでプールしているんだ」
「そう言われてみると、確かに『充福』に売っている商品ばっかりね」
「そのことが分かるってことは、朝日奈さん、よく『充福』に行ってるんだ?」
「ええ、まあね。でも、備蓄している食料の賞味期限が近づいたら自分の店で売るなんて、普通の人にはとても真似できない方法ね……。これだからお金持ちって嫌なのよ」

 朝日奈さんは腕組みをしてそう言った。

「まあまあ、そう言わずに。実際には僕らがその恩恵に与れるんだから、有難く感謝しておこうよ」

 僕はそう宥めた。

「でも、これ、私たちが食べちゃってもいいのかな? 建物や電気や水を勝手に使わせてもらうのとはまた別の罪悪感があるんだけど……」
「緊急時だし、多分、後で食べ物の代金を返せば罪には問われないと思うけど」
「世界が滅亡しようってときに、お金なんて何の役にも立たないような気がするけどね」
「それを言ったら、法律だって何の役にも立たないだろうに」
「そうでもないんじゃない? 少なくとも、政府のお偉いさんたちとかは、特別階級の人たちしか入れないような核シェルターに避難している可能性が高いし、まだ日本という国そのものはなくなってないでしょう。だとしたら、法律はまだ生きていると思うけど」
「そういうふうに考えると、日本国籍を持つ人が1人でも生き残っていれば、日本という国は存続していると考えることができるのかな?」
「さあ、どうだろう。何かもう、どうでもよくなってきちゃった」

 朝日奈さんは投げやりにそう言った。

「そんなに自暴自棄にならないでくれよ」
「ううん、そうじゃないの。たくさんの食べ物が並んでいるのを見たら、お腹が空いてきちゃったの。もう考えるのはやめて、何か食べたくなっちゃった」
「そうだね。普通なら夕食はとっくに過ぎている時間だしね。僕もお腹ペコペコだよ」
「こんなときでもお腹は空くのね。大勢の人が亡くなったに違いないのに、呑気にご飯なんか食べててもいいのかな」
「それは関係ないよ。むしろ、亡くなった人たちの分も、僕たちは頑張って生きないと。そのためには、まず、食べられるときに食べることが肝心だよ。朝日奈さんは、何が食べたい?」
「そうね……。せっかくだから、温かいものが食べたい」

 核シェルター内は暑くも寒くもない一定の気温に保たれていたが、精神的に温まりたいのだろう、と僕は思った。

「じゃあ、この辺のカップラーメンとかどう?」

 僕は手近なところにあった、大きめのカップラーメンを指さして訊いた。

「ああ、いいわね。今、そういうジャンクなものが食べたい気分だったの。私、カレー味を食べてもいい?」

 朝日奈さんはそう言いながら、カレー味のカップラーメンを手に取った。

「何でもいいよ。好きなのを選んで。僕は塩ラーメンにするから」

 僕はそう言い、塩味のカップラーメンを持った。

「じゃあ、食料庫を本格的に調べるのは後回しにして、夕食にしましょうか」
「うん」

 僕たちは食料庫を出た。
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