涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志

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「――ねえ、お昼ご飯は何にする?」

 朝日奈さんが唐突に話題を変えたので、僕は戸惑った。

「え?」

「ほら、いつの間にかお昼を過ぎちゃってるでしょ」
 朝日奈さんは壁にかけられた時計を見ながらそう言った。朝日奈さんは、自分の出生に関する話題を終わらせたがっているのだと僕は判断し、その話題に乗っかることにした。

「ああ、本当だ。もうこんな時間だ。ご飯を炊いている時間はないし、久しぶりにカップラーメンにしないか?」
「いいね。そうしましょう」

 朝日奈さんは頷き、立ち上がった。

 僕たちはポットに水を入れてスイッチを入れた後、食料庫へ行き、味噌味と醤油味のカップラーメンを抱えて食堂に戻った。僕は味噌味、朝日奈さんは醤油味のカップラーメンを開け、それぞれスープとかやくを麺の上にあけ、お湯を注いで蓋をした。

「1ヶ月もこんなものばかり食べていると、さすがに飽きてくるな」

 僕はそう言った。

「そうね。山上くんは世界中の料理の中で、いま何が食べたい?」
「えーっ。そんな残酷なことを訊くのか」
「私はお寿司が食べたいなあ。マグロとサーモンとイクラのお寿司が食べたい」
「ああ、それは絶対に核シェルターの中で食べられないものの筆頭だね。じゃあ、僕は卵かけご飯が食べたいな」
「それも絶対に無理ね。生卵が手に入らないもの。――私、お刺身も食べたいな」
「成分無調整の牛乳」
「生野菜のサラダ」
「皮を剥いてない林檎」
「缶詰じゃない蜜柑」
「冷奴」
「納豆」
「えっ。朝日奈さん、納豆なんか食べるんだ?」
「なんかとは何よ。美味しいのよ」
「うーん、僕はあの匂いが駄目なんだよなあ」
「もういいわ。3分経ったから、ラーメンを食べましょう」

 朝日奈さんは怒ったようにそう言い、醤油味のカップラーメンの蓋を開けた。
 食事の後、僕たちはゴミを片付け、歯を磨き、テレビ室へ行った。

「今日は何のDVDにする?」

 僕はそう訊いた。

「今日は少しでも長く現実逃避したい気分だから、どうせなら時間が長い映画がいいかな」
「そういう基準で選ぶのか……」
「映画館で観るときは、上映時間が長いと得した気分になったよね。逆に、時間が短いと損した気分になったし」
「確かに、90分の映画と180分の映画の料金が同じっていうのは納得がいかなかったよな」
「上映時間によって料金を変えればよかったのにね。10分刻みにするとか」
「色んな会社の思惑があって、それはできなかったんだろう」
「談合していたのかもしれないね」
「それもあるかもしれないけど、上映時間によって料金を変えるようにしたら、映画の製作会社はカットするべきシーンをカットせずに水増しして、少しでも料金を吊り上げようとするんじゃないかな。想像だけど」
「そのせいで映画のクオリティが落ちちゃうのは嫌よね。――あ、これにしましょう」

 朝日奈さんがそう言って手に取ったのは、豪華客船が氷河に衝突して沈むというストーリーの映画だった。同じタイトルの映画が複数あるが、これは1997年に公開されたものだった。本編の上映時間は3時間を越えている超大作だ。

「これまた長い映画を選んだな」
「今のうちにトイレに行かなくても大丈夫?」

 朝日奈さんはそう言いながらDVDをプレーヤーにセットした。

「いや、トイレに行きたくなったら一時停止してくれよ」
「気が向いたらね」

 映画の再生が始まると、いつものように朝日奈さんは黙り込んだ。僕も無言で映画を観続ける。

 そして――ヒロインが、主人公に身体を支えられながら船先に立っているシーンで、僕は姿勢を変えた。全く同じタイミングで、2人掛けのソファに座っていた朝日奈さんも姿勢を変えようとして、僕と朝日奈さんの手が触れ合った。
 僕は朝日奈さんを見た。朝日奈さんも僕を見ていた。

 時間が止まったような気がした。

 そのまま、僕と朝日奈さんは唇を重ねた。ずっと昔からこのタイミングでキスをすることが予め決められていたような、そんな気がした。
 僕は唇を離すと、朝日奈さんをソファの上に押し倒した。

「朝日奈さん」

 僕は彼女の目を見つめながら、彼女の名前を呼んだ。

「明日奈って呼んで。私も正道って呼ぶから」

 彼女はそう言って、目を閉じた。
 何度かキスをして、その先に進もうとすると、朝日奈さんは僕の胸をゆっくりと押して、身体を起こした。

「ちょっと待って。お風呂に入ってくる。『椿の間』で待ってて」

 朝日奈さんはそう言って、テレビ室から出ていった。
 僕はリモコンでDVDを停止し、ソファに座り直した。

「明日奈。朝日奈さんじゃなくて、明日奈」

 口の中で彼女の名前を転がし、僕は右手で自分の唇に触れた。

 僕は立ち上がり、『椿の間』に行ってシングルベッドを2台くっつけて、2人で寝ても窮屈にならないようにした。
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