涙の味に変わるまで【完結】

真名川正志

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「仕掛けって?」
「スマホで愛ちゃんへのメッセージを撮影する少し前から、核シェルター全体の換気装置のスイッチを切っておいたのよ。核シェルター内は換気装置のパイプを通じて全部屋が繋がっている。だから、換気装置のスイッチを切ってパイプに耳を押し当てていると、遠くの部屋の音も聞こえるの。気付いてなかったでしょ?」
「そうか……。シャツを手に取ったとき、車の鍵が床に落ちた。あれはそうなるように明日奈が仕向けていたのか」
「ええ、そうよ。シャツの内側に挟んでおいたの。シャツを着ようとして持ち上げると、高い位置から鍵が床に落ちて音を立てるという仕組みよ。その音はパイプを通じて、私の部屋まで届いた」

 もしも僕が立った状態ではなく、ベッドに座った状態でシャツを手にしていれば、自動車の鍵は床ではなくベッドに落ち、音を立てなかったのだろう。しかし、僕はいつも完全に立った状態で着替えていた。この1年で、明日奈がそのことを知っていたからこそできた作戦だった。

「廊下が静まり返っていることに違和感を覚えるべきだったな。普段は換気装置の稼働音が聞こえていたんだから」

 僕は溜め息混じりにそう言った。

「そうね。――いくつか確認しておきたいことがあるんだけど、いい?」
「この際だから、何でも聞いてくれよ」
「まず、この核シェルターは本物なの? それとも、ただのセットみたいなもの?」
「もちろん本物だよ。本物の核シェルターだということにしないと、建設業者を納得させられないだろ」
「それもそうね。水は地下の汚染されていない深いところから汲み上げているなんて言ってたけど、本当はただの井戸水だったんでしょ?」
「そうだ」
「電気は? 自家発電なんて言うのも嘘で、本当は普通の電力会社が作った電気だったの?」
「いや。発電機は本物だよ。パソコンで発電量を変更できるのも本当だ。ただし、パソコンに表示されている残りの燃料の数値は出鱈目で、発電量に関係なく一定の速度でじわじわと減っていくようになっていた。燃料は充夫が定期的に継ぎ足してくれることになっていたからそれでよかったんだ」
「電気会社が作った電気を使わなかったのはどうして?」
「定期点検とかに来られたら困るからだよ」
「確かにその通りね。納得した。ところでさっき、『充夫』って言ったけど、本物の福田充夫が共犯者だったわけじゃないんでしょ? まさかスーパー『充福』の社長がこんな計画に参加するとは思えないし、私の前で福田充夫と名乗っていた男は、正道が雇った役者か何かだったんでしょ?」
「いや。充夫は本名だよ。『充福』の社長だというのは嘘だけど」

 少し迷ったが、どうせ調べられれば分かることだろうと思い、僕は友人を売った。

「よく分からないんだけど」
「去年の4月15日、福田充夫に成りすましていた奴の本当の名前は、松宮充夫だ」
「松宮充夫……もしかして、私と高校で同じクラスだった松宮くんのこと?」
「何だ。憶えていたのか。去年、朝日奈さんと再会したときは憶えていないようなことを言っていたのに」
「ううん、今でもうろ覚えなのに変わりはない。ただ、あのとき正道から、私と同じクラスに松宮という友達がいた、という話を聞いたから、それは憶えていたの。……でも、年齢が違っていたわ。私と同じクラスだったなら、去年の時点で28歳くらいでしょ。だけど、福田充夫を騙っていた人物は40歳代後半くらいに見えた」
「見た目の年齢なんて、どうにでもなるよ。髪の一部を白く染めた後、老けて見えるように特殊メイクをすればいいだけの話だ。同級生だと気付かれないようにするという意味もあったし、本物の福田充夫がそれくらいの年齢だったから、というのもある」
「ええと、何かややこしいんだけど、『充福』の社長である福田充夫は実在の人物だけど、去年の4月15日に私の前に現れたのは、福田充夫の名前を騙った松宮充夫くんだったってことでいいのね?」
「そういうことだ」

 僕は頷いた。

「名前が同じ『充夫』だったのは偶然?」
「偶然だ。実在する地元の資産家で、写真嫌いで顔を知られていなくて、明日奈と面識がなさそうで、充夫が変装して成りすますことができそうな人物ということで白羽の矢が立っただけだ。名前が同じことなんて気にも留めなかった。実在する人物にしたのは、明日奈がネットで調べたり他の人に聞いたりしたときに、齟齬そごが生じないようにするためだった」
「松宮くんが正道に協力していたのはどうして?」
「あいつ、借金で首が回らなくなっていたんだよ。その借金を僕が肩代わりして返済する代わりに、共犯者になってもらったんだ」
「私が福田充夫の取材に行くことになったのは、広報課の課長に命令されたからだけど、課長もあなたの共犯者だったのね?」
「まあ、広い意味で言えば共犯者だね。興信所を使って課長の身辺調査をしてもらったところ、女子中学生と援助交際していることが発覚したんだ。それをネタにして強請ゆすり、明日奈に、福田充夫の核シェルターの取材に行くようにと命令してもらった。課長は対外的には、明日奈は全然違う場所へ取材に行ったきり失踪した、という設定で押し通しているはずだ」
「あのセクハラ親父、中学生にまで手を出していたなんて……。ううん、そんなことより、興信所を使って課長の身辺調査をしたってことは、私の身辺調査もしたの?」

 この質問には窮したが、今さら取り繕っても仕方がないと思い、正直に答える。

「うーん……。まあ、ちょっとだけ。そうしないと計画を立てられなかったから。ただし、明日奈が児童養護施設出身だということまでは分からなかったくらいだし、本当に表面的な調査しかしていないんだけど」
「最っ低! やっぱりあなたは、ただの異常者よ。大がかりな建物を作って、私の人生を滅茶苦茶にして……。こんな卑怯な真似をせずに、堂々と私に告白すればよかったのに。そうすれば、私だって、こんな――こんな辛い思いはせずに済んだのに。あなたを一生愛し続けることができたのに」

 明日奈の両目から、涙が零れ落ちた。

「告白したよ」
「え……?」
「核シェルターに閉じこもる前に、僕は、きみに告白したことがあるよ」
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