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番外編 拍手お礼58
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焼き肉店を出ると、加藤は中嶋とともに駐車場へと移動する。
先を歩く中嶋の背を、加藤はじっと見つめる。首筋が冷たくなるような怒気が、全身から漂っているようだった。それは露骨な拒絶の意思も含んでいるようで、加藤は焦燥感と罪悪感に苛まれる。
怒鳴られるのも殴られるのも慣れているが、なんの反応も示されないということが、こんなにも堪えるとは正直思ってもいなかった。
せめて、自分を見てほしい。そう強く願った瞬間、加藤の口は勝手に動いていた。
「――中嶋さん、怒っていますか?」
問うまでもなく、答えはわかっている。さきほど焼き肉店で、中嶋に思いきり頭をぶん殴られた。その顔には、これ以上ない怒気が滲んでいた。
自分勝手な行動のせいで、中嶋、ひいては第二遊撃隊の面子を潰したため、中嶋が激怒するのも無理はない。しかし、中嶋の怒りのもっと根源にあるのはきっと、さきほどまで顔を合わせていた、優しげで品のいい美容外科医のことだ。
これまで加藤は、美容外科医のことを〈品がよさそう〉と心の中で表現していたが、今夜、その表現を正確なものへと変更した。せっせと肉や野菜を焼き、合間に加藤に話しかけつつ食事をしていた美容外科医の姿を観察していたが、彼は、加藤がいままで見たことがないほど、きれいな食べ方をしていた。
何より、物腰が柔らかく丁寧だった。突然、獣のように現れた加藤に対して、驚きはしても、長嶺組の組員に対して立場を説明して、庇う発言もしてくれた。あれがなければ、まず間違いなく加藤は人目のない場所に引きずり込まれ、暴行を受けていたはずだ。
あの人と、いま目の前を歩いている中嶋は体を重ねたのかと、ふと生々しいことを考えてしまい、密かに加藤はうろたえる。
前触れもなく中嶋が立ち止まり、振り返った。刺々しい視線を向けられ、一瞬息を詰める。
「中嶋さん――」
「これから南郷さんに連絡を取って、頭を下げに行くぞ。もしかすると、お前はそのまま、隊から追放されるかもしれない」
無慈悲に告げられた言葉に加藤は、心臓を冷たい手で握られたような衝撃を受けた。自分でも、長嶺組の組員たちの騒ぎぶりを見て、とんでもないことをしでかしたのだと実感はしていたが、中嶋の口から告げられると、重みが違う。
「俺……」
「とりあえず場所を移動する。お前は乗ってきた原付で、俺についてこい」
中嶋はさっさと車に乗り込み、加藤は停めていた原付に慌てて駆け寄ってヘルメットを被る。
どこに向かうのかと思えば、中嶋の車が入ったのはコンビニの広い駐車場だった。車を降りて店内に入っていく姿を見送って、中嶋の車の隣に原付を停めた加藤はヘルメットを脱ぐ。
すぐに中嶋は戻ってきて、あるものを加藤に差し出した。
「ガム……」
「噛んでおけ。南郷さんの前に顔を出すのに、焼き肉の匂いをプンプンさせておくわけにはいかないだろ」
さらに中嶋は、車に積んであった消臭スプレーを、容赦なく加藤に吹きかけてきた。
ガムを一粒口に放り込んだ加藤は、中嶋に話しかけるタイミングをうかがっていたが、当の中嶋は加藤に一顧だにせず携帯電話で誰かと話し始める。どうやら南郷の居場所を確認しているようだ。
一度電話を切った中嶋は、心底憂うつそうなため息をついてから、再びどこかに電話をかける。こちらの相手は、誰かと推測する必要もなかった。中嶋が緊張しながら電話をかける相手は限られる。
「中嶋さん」
加藤は、ようやく携帯電話をポケットに仕舞った中嶋に声をかける。途端に、苛立ちをぶつけるように睨まれた。
「――どうして、勝手なことをした。道理がわからないほど、バカじゃないだろ、お前は」
「バカ、ですよ。俺は……」
そう答えた瞬間、向こう脛を蹴りつけられた。両足を踏ん張り、なんとか耐えた加藤だが、今度は頬を打たれた。隊の他の人間に殴られるのに比べれば、撫でられたようなものだが、音だけは派手だ。たまたま駐車場にいた若い男女が、驚いたようにこちらを見ていた。
中嶋は軽く舌打ちをすると、加藤の腕を掴んで引っ張る。
「車に乗れ。中で話を聞く」
加藤は助手席に乗り込む際、噛み終えたガムをさりげなく紙に包んでポケットに突っ込んだ。
「で?」
運転席の中嶋から冷めた視線と、吐き出すような一声をぶつけられる。加藤はじっと正面を見つめ、今日の自分の行動を改めて思い返す。
最初はただの好奇心だったのだ。美容外科医の暮らしぶりが見たくて、ただマンションの近くまで行ってみただけだ。あまり近づきすぎると、長嶺組が敷いているという警戒網に引っかかるとは、あらかじめ第二遊撃隊の隊員には知らされているため、そこは細心の注意を払った。そのおかげで、長嶺組の車で出かける美容外科医をたまたま見つけられたともいえる。
どこに向かうのか気になり、自分の尾行の能力も試したくなった――と、加藤はぼそぼそと答える。中嶋のほうは見られなかった。
ウソをつくのは苦手だった。そもそも、ウソをついてまで相手の関心を得たいと感じたことがない。しかし今、自分がさらりとウソをつけたことに、加藤は内心で驚いていた。
「……自分で言うだけあって、本当にバカだな、お前。試すにしても、どうしてよりによって相手が先生なんだ」
「すみません」
答えた次の瞬間、また頭を拳で殴られた。
「言いたいことがあったら、今のうちに言っておけよ。お前、南郷さんに会って隊を辞めろと宣告されたら、当然チームにも戻れないぞ。つまり、俺とお前の関係もそこまでということだ」
中嶋の言葉にハッとして、目を見開く。加藤の動揺ぶりをどう感じているのか、中嶋は無表情だった。
「お前、ずっと俺の側にいたいなんて、調子乗ったことを言ってたが、結局、口だけということか」
「違います……」
「賢く立ち回れと、俺は言ったはずだ。もう忘れたか?」
「覚えてます」
突き放すような冷やかさを帯びた中嶋の言葉は、見えない鞭だ。容赦なく加藤の神経を打ち据えてくる。
これまでに数回、中嶋とは即物的に体を重ねてきた。その間、甘い睦言など交わしたことはないし、優しい言葉をかけられたこともない。加藤は漠然と、体を重ねながら中嶋は、自分の価値を推し量っているのだと感じていた。中嶋から感じるのは、人当たりのよさそうな物腰とは裏腹の、計算高さだ。
だが――、いや、だからこそ惹かれるのだ。
中嶋にはウソはつけなかった。加藤は訥々と自分の気持ちを言葉にする。
「……頭から離れないんです。あの先生が、中嶋さんを抱いて、抱かれているってことが。それで、どんどん興味が湧いてきたんです。中嶋さんは、あの先生と似ている部分があると言っていて、だけど俺にはわからなくて……。観察していれば、あの先生のことがわかって、それで――」
中嶋のことが今よりもっとわかるかもしれない。加藤は心の中で呟く。
加藤の隣にいても、中嶋は素の部分を見せてはくれない。仕事と私的な部分を見事に切り分けており、自分に関することは、中嶋の中では仕事に分類されることなのだ。それが正直、加藤は口惜しい。
しかし、あの美容外科医のことになると、中嶋の様子が変わる。仕事として関わりながら、明らかに個人的感情を優先していた。加藤は意識しないまま、責めるような眼差しを中嶋に向けると、呆れた口調で言われてしまった。
「つまりお前は、先生に嫉妬したのか」
「えっ……」
虚をつかれ、加藤は絶句する。思いもしない言葉だったが、一瞬あとには、これ以上なく納得できた。
「かも、しれません……」
「生意気だな。あの先生と張り合ってるつもりだったのか」
中嶋の呆れた口調にため息が加わり、加藤はこの場から逃げ出したくなる。よりによって中嶋に、みっともない姿と性根を晒してしまったのだ。
「張り合うなんてことは……。でも、すみません。俺、すげー思い違いをしてました」
「そうだ。あの先生に嫉妬するなんておこがましい。しかも嫉妬の原因は、俺、か」
ここまで言ってから、中嶋は口元をてのひらで覆って顔を伏せた。一体何事かと、加藤は焦る。
「中嶋さんっ……」
「ほんと、お前バカだよ。せっかく隊に入ったっていうのに。チャンスを棒に振るのか」
すみません、と謝ることしかできなかった。加藤は、自分の浅薄さを痛いほど後悔するが、もう手遅れかもしれないのだ。ゾッとするような恐怖に襲われ、顔が強張る。
迷惑をかけたすべての人間に土下座をして回れば、少しは事態が好転するのか。そもそも、自分などの土下座にどれほどの価値があるのだろうか。
加藤が懸命に頭を働かせていると、いつの間にか中嶋が顔を上げ、じっとこちらを見ていた。片手が伸ばされ、また殴られるのだろうかと反射的に身構えたとき、首の後ろに手がかかり、ぐいっと引き寄せられた。
ぶつけるような勢いで唇を塞がれ、驚くほど間近に中嶋の両目があった。何が起こっているのか瞬時に理解した加藤は身を乗り出し、反対に中嶋を圧倒する激しさで唇を貪り、舌を絡め合う。
口づけがいよいよ官能を帯びようとしたとき、唐突に中嶋に顔を押し戻された。加藤は荒い呼吸をしながら、すがるように中嶋を見ていた。
「……なんて顔してるんだ、お前」
苦々しげに洩らした中嶋が手の甲で口元を拭う。
「これから南郷さんのところに行って、きちんと説明しろ。ああ、口が裂けても、嫉妬云々とかは言うなよ。お前は血気に逸って暴走した、ただのバカだ。それで通せ。無理やりだが、仕方ない。面倒はかけたくないが――、先生のフォローを祈るしかないな」
加藤がうかがうように中嶋を見遣ると、額を指先で弾かれた。
「いちいち、先生のことで反応するな」
「すみません」
「俺の側にいるなんてカッコつけたこと言っておいて、さっさと隊から放り出されるなんて、許さないからな」
中嶋は計算高い人間だ。その中嶋が、自分のような奴に目をかけてくれ、そのうえ体の関係まで持つには、相応の理由があるのだろう。出世のための都合のいい駒だとしても、何かしら使い勝手のよさを感じてくれているのなら、従順に使われるだけだ。
理由はなんでもいい。加藤は中嶋の側にいたかった。何より、抱きたかった。
「――中嶋さん、もう二度と、あんたに迷惑はかけません。だから、俺を側に置いてください」
「返事は、あとでしてやる。まずは、隊を追い出されないよう願うんだな」
シートベルトを締めろと言われて、慌てて従う。中嶋は何事もなかったように車のエンジンをかけた。
先を歩く中嶋の背を、加藤はじっと見つめる。首筋が冷たくなるような怒気が、全身から漂っているようだった。それは露骨な拒絶の意思も含んでいるようで、加藤は焦燥感と罪悪感に苛まれる。
怒鳴られるのも殴られるのも慣れているが、なんの反応も示されないということが、こんなにも堪えるとは正直思ってもいなかった。
せめて、自分を見てほしい。そう強く願った瞬間、加藤の口は勝手に動いていた。
「――中嶋さん、怒っていますか?」
問うまでもなく、答えはわかっている。さきほど焼き肉店で、中嶋に思いきり頭をぶん殴られた。その顔には、これ以上ない怒気が滲んでいた。
自分勝手な行動のせいで、中嶋、ひいては第二遊撃隊の面子を潰したため、中嶋が激怒するのも無理はない。しかし、中嶋の怒りのもっと根源にあるのはきっと、さきほどまで顔を合わせていた、優しげで品のいい美容外科医のことだ。
これまで加藤は、美容外科医のことを〈品がよさそう〉と心の中で表現していたが、今夜、その表現を正確なものへと変更した。せっせと肉や野菜を焼き、合間に加藤に話しかけつつ食事をしていた美容外科医の姿を観察していたが、彼は、加藤がいままで見たことがないほど、きれいな食べ方をしていた。
何より、物腰が柔らかく丁寧だった。突然、獣のように現れた加藤に対して、驚きはしても、長嶺組の組員に対して立場を説明して、庇う発言もしてくれた。あれがなければ、まず間違いなく加藤は人目のない場所に引きずり込まれ、暴行を受けていたはずだ。
あの人と、いま目の前を歩いている中嶋は体を重ねたのかと、ふと生々しいことを考えてしまい、密かに加藤はうろたえる。
前触れもなく中嶋が立ち止まり、振り返った。刺々しい視線を向けられ、一瞬息を詰める。
「中嶋さん――」
「これから南郷さんに連絡を取って、頭を下げに行くぞ。もしかすると、お前はそのまま、隊から追放されるかもしれない」
無慈悲に告げられた言葉に加藤は、心臓を冷たい手で握られたような衝撃を受けた。自分でも、長嶺組の組員たちの騒ぎぶりを見て、とんでもないことをしでかしたのだと実感はしていたが、中嶋の口から告げられると、重みが違う。
「俺……」
「とりあえず場所を移動する。お前は乗ってきた原付で、俺についてこい」
中嶋はさっさと車に乗り込み、加藤は停めていた原付に慌てて駆け寄ってヘルメットを被る。
どこに向かうのかと思えば、中嶋の車が入ったのはコンビニの広い駐車場だった。車を降りて店内に入っていく姿を見送って、中嶋の車の隣に原付を停めた加藤はヘルメットを脱ぐ。
すぐに中嶋は戻ってきて、あるものを加藤に差し出した。
「ガム……」
「噛んでおけ。南郷さんの前に顔を出すのに、焼き肉の匂いをプンプンさせておくわけにはいかないだろ」
さらに中嶋は、車に積んであった消臭スプレーを、容赦なく加藤に吹きかけてきた。
ガムを一粒口に放り込んだ加藤は、中嶋に話しかけるタイミングをうかがっていたが、当の中嶋は加藤に一顧だにせず携帯電話で誰かと話し始める。どうやら南郷の居場所を確認しているようだ。
一度電話を切った中嶋は、心底憂うつそうなため息をついてから、再びどこかに電話をかける。こちらの相手は、誰かと推測する必要もなかった。中嶋が緊張しながら電話をかける相手は限られる。
「中嶋さん」
加藤は、ようやく携帯電話をポケットに仕舞った中嶋に声をかける。途端に、苛立ちをぶつけるように睨まれた。
「――どうして、勝手なことをした。道理がわからないほど、バカじゃないだろ、お前は」
「バカ、ですよ。俺は……」
そう答えた瞬間、向こう脛を蹴りつけられた。両足を踏ん張り、なんとか耐えた加藤だが、今度は頬を打たれた。隊の他の人間に殴られるのに比べれば、撫でられたようなものだが、音だけは派手だ。たまたま駐車場にいた若い男女が、驚いたようにこちらを見ていた。
中嶋は軽く舌打ちをすると、加藤の腕を掴んで引っ張る。
「車に乗れ。中で話を聞く」
加藤は助手席に乗り込む際、噛み終えたガムをさりげなく紙に包んでポケットに突っ込んだ。
「で?」
運転席の中嶋から冷めた視線と、吐き出すような一声をぶつけられる。加藤はじっと正面を見つめ、今日の自分の行動を改めて思い返す。
最初はただの好奇心だったのだ。美容外科医の暮らしぶりが見たくて、ただマンションの近くまで行ってみただけだ。あまり近づきすぎると、長嶺組が敷いているという警戒網に引っかかるとは、あらかじめ第二遊撃隊の隊員には知らされているため、そこは細心の注意を払った。そのおかげで、長嶺組の車で出かける美容外科医をたまたま見つけられたともいえる。
どこに向かうのか気になり、自分の尾行の能力も試したくなった――と、加藤はぼそぼそと答える。中嶋のほうは見られなかった。
ウソをつくのは苦手だった。そもそも、ウソをついてまで相手の関心を得たいと感じたことがない。しかし今、自分がさらりとウソをつけたことに、加藤は内心で驚いていた。
「……自分で言うだけあって、本当にバカだな、お前。試すにしても、どうしてよりによって相手が先生なんだ」
「すみません」
答えた次の瞬間、また頭を拳で殴られた。
「言いたいことがあったら、今のうちに言っておけよ。お前、南郷さんに会って隊を辞めろと宣告されたら、当然チームにも戻れないぞ。つまり、俺とお前の関係もそこまでということだ」
中嶋の言葉にハッとして、目を見開く。加藤の動揺ぶりをどう感じているのか、中嶋は無表情だった。
「お前、ずっと俺の側にいたいなんて、調子乗ったことを言ってたが、結局、口だけということか」
「違います……」
「賢く立ち回れと、俺は言ったはずだ。もう忘れたか?」
「覚えてます」
突き放すような冷やかさを帯びた中嶋の言葉は、見えない鞭だ。容赦なく加藤の神経を打ち据えてくる。
これまでに数回、中嶋とは即物的に体を重ねてきた。その間、甘い睦言など交わしたことはないし、優しい言葉をかけられたこともない。加藤は漠然と、体を重ねながら中嶋は、自分の価値を推し量っているのだと感じていた。中嶋から感じるのは、人当たりのよさそうな物腰とは裏腹の、計算高さだ。
だが――、いや、だからこそ惹かれるのだ。
中嶋にはウソはつけなかった。加藤は訥々と自分の気持ちを言葉にする。
「……頭から離れないんです。あの先生が、中嶋さんを抱いて、抱かれているってことが。それで、どんどん興味が湧いてきたんです。中嶋さんは、あの先生と似ている部分があると言っていて、だけど俺にはわからなくて……。観察していれば、あの先生のことがわかって、それで――」
中嶋のことが今よりもっとわかるかもしれない。加藤は心の中で呟く。
加藤の隣にいても、中嶋は素の部分を見せてはくれない。仕事と私的な部分を見事に切り分けており、自分に関することは、中嶋の中では仕事に分類されることなのだ。それが正直、加藤は口惜しい。
しかし、あの美容外科医のことになると、中嶋の様子が変わる。仕事として関わりながら、明らかに個人的感情を優先していた。加藤は意識しないまま、責めるような眼差しを中嶋に向けると、呆れた口調で言われてしまった。
「つまりお前は、先生に嫉妬したのか」
「えっ……」
虚をつかれ、加藤は絶句する。思いもしない言葉だったが、一瞬あとには、これ以上なく納得できた。
「かも、しれません……」
「生意気だな。あの先生と張り合ってるつもりだったのか」
中嶋の呆れた口調にため息が加わり、加藤はこの場から逃げ出したくなる。よりによって中嶋に、みっともない姿と性根を晒してしまったのだ。
「張り合うなんてことは……。でも、すみません。俺、すげー思い違いをしてました」
「そうだ。あの先生に嫉妬するなんておこがましい。しかも嫉妬の原因は、俺、か」
ここまで言ってから、中嶋は口元をてのひらで覆って顔を伏せた。一体何事かと、加藤は焦る。
「中嶋さんっ……」
「ほんと、お前バカだよ。せっかく隊に入ったっていうのに。チャンスを棒に振るのか」
すみません、と謝ることしかできなかった。加藤は、自分の浅薄さを痛いほど後悔するが、もう手遅れかもしれないのだ。ゾッとするような恐怖に襲われ、顔が強張る。
迷惑をかけたすべての人間に土下座をして回れば、少しは事態が好転するのか。そもそも、自分などの土下座にどれほどの価値があるのだろうか。
加藤が懸命に頭を働かせていると、いつの間にか中嶋が顔を上げ、じっとこちらを見ていた。片手が伸ばされ、また殴られるのだろうかと反射的に身構えたとき、首の後ろに手がかかり、ぐいっと引き寄せられた。
ぶつけるような勢いで唇を塞がれ、驚くほど間近に中嶋の両目があった。何が起こっているのか瞬時に理解した加藤は身を乗り出し、反対に中嶋を圧倒する激しさで唇を貪り、舌を絡め合う。
口づけがいよいよ官能を帯びようとしたとき、唐突に中嶋に顔を押し戻された。加藤は荒い呼吸をしながら、すがるように中嶋を見ていた。
「……なんて顔してるんだ、お前」
苦々しげに洩らした中嶋が手の甲で口元を拭う。
「これから南郷さんのところに行って、きちんと説明しろ。ああ、口が裂けても、嫉妬云々とかは言うなよ。お前は血気に逸って暴走した、ただのバカだ。それで通せ。無理やりだが、仕方ない。面倒はかけたくないが――、先生のフォローを祈るしかないな」
加藤がうかがうように中嶋を見遣ると、額を指先で弾かれた。
「いちいち、先生のことで反応するな」
「すみません」
「俺の側にいるなんてカッコつけたこと言っておいて、さっさと隊から放り出されるなんて、許さないからな」
中嶋は計算高い人間だ。その中嶋が、自分のような奴に目をかけてくれ、そのうえ体の関係まで持つには、相応の理由があるのだろう。出世のための都合のいい駒だとしても、何かしら使い勝手のよさを感じてくれているのなら、従順に使われるだけだ。
理由はなんでもいい。加藤は中嶋の側にいたかった。何より、抱きたかった。
「――中嶋さん、もう二度と、あんたに迷惑はかけません。だから、俺を側に置いてください」
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