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第十三話
しおりを挟む「俺の妻はどこにいますか? 妻に会わせてください」
家に帰って月姫子の置き手紙を目にした煌雅は、その足で彼女の生家を訪れていた。月姫子の父親は不在で、その妻が対応した。彼女は煌雅の視力が戻っていることに気づくと、露骨なまでに擦り寄ってきた。しまいにはその娘まで出てきて、「お義兄様」と甘ったれた声で呼ぶので、癪に障って仕方がない。
「あいにく、娘はここにはおりません」
「ではどこに?」
「さあ、見当も付きませんわ。あの子には懇意にしている友人もおりませんし」
真っ赤な口紅に濃い化粧をして、ケタケタと笑う義母を不快に感じた。
「そんなにご心配なさらずとも、いずれ戻りますわ」
「ですが……」
「あの子の家出癖は、今に始まったことではありませんのよ」
「そんなことより、お義兄様。今夜はうちにお泊まりになるといいわ」
――気色の悪い女どもだ。
念願叶って視力を取り戻したというのに――ようやく妻の笑顔を見られると歓喜したのに。
――この二人は、俺が何も知らないとでも思っているのか?
月姫子は不幸な娘だ。顔にある痣のせいで醜女と呼ばれ、家では使用人扱いされていた。父親は女狂いで酒癖が悪く、ほとんど家にはいない。周囲の話によれば、月姫子が神納家に嫁いできたばかりの頃、彼女はがりがりに痩せていたそうだ。立っているのが不思議なくらいで、それでも彼女は労を惜しまず、自分に尽くしてくれた。
――そして一度も、俺に泣きごとは言わなかった。
生家でどんな暮らしをしていたのか、ほとんど話してもくれなかった。家族の話になると、いつも決まって口をつぐんでしまう。よほど触れられたくない何かがあるのだろうと、無理やり聞き出すことはしなかった。彼女が自分に心を開いて、打ち明けてくれるのを待つつもりだったが、
『ごめんなさい』
『どうして謝るの?』
『綺麗じゃ、ないから……』
『……ところどころ腫れてるね』
『子どもの頃に火傷して……』
あの時抱いた疑念が、ここに来て、大きくなっている。
明らかに月姫子は何かを隠していた。
『私を本当の妻にしてください、煌雅様。ほんの少しの間だけでもかまわないから、夢を見させてください』
あの時、好きだと正直に告白していたら、彼女は出て行かなかっただろうか。
顔も分からない相手を愛することなんてできない、そう言ったのは確かに自分だ。
しかし実際に彼女と暮らしてみて、考えが一変した。
――俺は彼女の、控えめで優しい声が好きだ。聞き上手なところも、世話焼きで真面目なところも。
彼女が他の男に笑いかけていると想像しただけで、腸が煮えくり返りそうになる。
――初めはこうじゃなかった。ただ、彼女の亡き母君に少しでも恩返しができればと思い……。
学生の頃、父と喧嘩をして家を追い出され、路頭に迷っていた自分を、彼女の母は快く下宿させてくれた。当時は父に勘当されたものと思っていたので、加納家の苗字を名乗るのは気が引けて「上谷コウ」などという、適当な偽名を使った。
戦地で両目を負傷した際、父の勘当は解けたものの、少女だった頃の月姫子と共に過ごした日々は、今でも鮮明に覚えている。お転婆で賢く、誰もが愛さずにはいられない、可愛らしい娘だった。
『コウ、私、大きくなったらコウのお嫁さんになってあげる』
『その方、上谷コウというお名前なのですが、煌雅様はご存じありませんか?』
自分こそがその上谷コウだと名乗り出なかったのは、単純に目が見えないという負い目があったからだが、今では後悔していた。
「煌雅さん、ご夕食は?」
「……まだです」
「でしたら何かご用意しましょうか? あたくしたちはもう済んでしまったので」
「お願いします。それまで、お庭を見せてもらっても?」
「ええ、もちろん」
立ち上がって庭へ出ると、案の定、娘も付いてきた。
「お義兄様、もっと璃々とお話しましょう」
「かまわないよ」
最初はたわいもない会話から始めて、徐々に月姫子の話題へと持っていく。
煌雅は立ち止まると、小声で言った。
「今から話すことは誰にも秘密だよ」
「まあ、秘密の話って大好き」
「お父様やお母様にも内緒だからね」
「ええ、もちろんよ、お義兄様」
「月姫子さんの背中には火傷の跡があるんだけど、君は見たことある?」
その瞬間、璃々の顔色が変わった。
後ろめたそうな顔で、視線をさまよわせている。
「見たことがあるんだね」
「その話はよしましょう。ちっとも楽しくないわ」
「なぜ?」
「見たことあるけど、とっても気持ちが悪いんですもの」
「……君がやったのか?」
この時、自分がどんな顔をしているのか、煌雅にはわからなかった。
ただ璃々が、怯えた目でじっと自分を見上げているので、よほど怖い顔をしていたらしい。
「正直に言わないと許さないよ」
「わ、私がやったんじゃないわ。お母様よっ」
甲高い声を出して、涙目で璃々は訴える。
「お姉様の身体の傷は全部、お母様がやったのっ」
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