20 / 64
本編
第二〇話
しおりを挟む暗雲立ち込める空気の中、二頭の巨大な龍がにらみ合っていた。
一頭は少女を抱えた翡翠色の鱗を持つ青龍で、もう一頭は真珠色の鱗を持つ白龍である。
青龍は激しい怒りの咆哮を上げると、ためらうことなく白龍を攻撃した。青龍の牙は固い鱗を物ともせず、白龍の身体に深く食い込む。宙に血を撒き散らせながら、白龍は悲鳴を上げ、長細い身体をくねらせた。
なんとか牙から逃れ、身を守ろうと攻撃に転じる白龍だったが、青龍にあっさりと受け流され、苦戦を強いられてしまう。二頭の龍が無自覚に使う力のせいで、天候は荒れに荒れ、強い風が吹き、雨まで降ってきた。
近くで何度も雷が落ち、恐ろしさのあまり、少女は悲鳴を上げた。
青龍が、番である少女の悲鳴に気を取られた瞬間、白龍が青龍の喉元に食らいつく。
――そこまでだ。
雷鳴の如く轟く声に、二頭の龍はぴたりと動きを止めた。
暗く、分厚い雲の隙間から、一筋の光が差している。
――双方、牙を引いて、頭を垂れよ。余を誰だと思っている。
***
いつの間にか意識を失っていたらしい。
目を覚ますと、首から血を流している陛下がいて、私は泣いてしまった。
「ごめんなさい、私のせいで」
「いい、気にするな」
「……傷を見せて。手当するから」
「見た目ほど深くはない。かすり傷だ」
もう血は止まっていると言われても納得できず、引き裂いた衣服の布切れで応急処置をする。
「あなた、分身ではないわよね?」
「……ああ」
まさか政務を放り出してまで助けに来てくれるとは思わず、申し訳なさのあまり、肩を落とす。
「人の姿をとるのは窮屈だと狼が言っていたけれど、本当なの?」
「慣れているから平気だ」
嘘だと思った。私も「痛みには慣れている」と白龍に言ったけれど、内心は恐ろしくてたまらなかったから。弱みを見せたくなくて、虚勢を張っただけ。苦しみや痛みに慣れるなんてこと、私にはできない。
だから陛下も同じだと思った。あれほど巨大な龍が、こんなに小さな人間になってしまうなんて、実際に目にした今でも信じられないのに。きっと、人の姿を維持するには、大変な労力を使うに違いない。
「俺はこの姿のほうが好きだ。おまえと同じだから」
彼の一人称が「私」から「俺」に変わったことに気づいて、私は息を飲んだ。
陛下の表情が以前にも増して、優しく、穏やかに見える。
――まるで翡翠みたい。
元より、彼は翡翠なのだ。陛下のこの変化は、もう一人の自分――翡翠を受け入れた証に違いないと考えて、胸が熱くなった。
「助けに来てくれて、嬉しかった」
「……心配した」
「ごめんなさい」
彼以外の男に近づくなと言われていたのに。
「言いつけを守れなくて」
「俺こそ、すまなかった。白龍は速い。追いつくのに、時間がかかった」
「……彼はどうしたの?」
「陛下に呼び戻されて、天上界へ戻った」
それを聞いて、思わず拍子抜けしてしまう。
私が意識を失ってから、かなりの時間が経ったらしく、気づけば辺りは真っ暗になっていた。夜目が利くようになったせいか、それとも陛下がそばにいるせいか、以前ほど暗闇が怖くない。
「彼、あなたの命を狙ってた」
「違う。そう、おまえに思い込ませようとしただけだ」
青龍の調査というのは建前で、最初から私のことが狙いだったらしい。
おそらく、天帝は白龍を使って、私を試したかったのだろうと陛下は言った。
「試すって何を?」
「わからない。一介の神獣には計り知れない、深い考えがあってのことだと思うが」
――もしかして、私が陛下の神名を知ってしまったから?
「けれどおまえは、正しい振る舞いをしたようだ。だから白龍が呼び戻されたのだろう」
優しく頭を撫でられて、誇らしげな気持ちになる
私が可愛い子犬に変身できたら、彼の膝の上で思い切り甘えられるのに。
そんな私を、陛下はじっと見つめている。
「俺が好きでおまえを選んだわけではないと、白龍に言ったそうだな」
「怒ってるの?」
でも事実だわと小声で付け加える。
「おまえは呪いと言うが、俺は違うと思う。番に囚われたくなければ、番を捜さなければいいだけのことだ。現に朱雀も白龍もそうしている。それに捜したところで、見つかる保証もない。俺はおまえに出会うまで、何十年、何百年と捜し続けた。おそらく俺が捜さなければ、おまえに出会うことはなかっただろう」
その言葉に、はっとする。
「俺はおまえに会いたかった。だから捜した。おまえと共にあることを、俺が望んだんだ」
力強い声だった。
優しく、愛おしげな眼差しを向けられて、私は涙ながらに「ごめんなさい」とつぶやく。すると謝罪の言葉は聞き飽きたと言われて、代わりに「笑え」と命じられた。
言われた通りに笑ってみせるけど、真剣な顔で見つめられて、妙にくすぐったい。
「そういえば、陛下はどうして、私があそこにいるとわかったの?」
ふと黙り込んだ彼に、「陛下?」と首を傾げると、
「そろそろ、俺のことを敬称で呼ぶのはやめて欲しい」
ふてくされたような顔で言われて、「まあ」と吹き出してしまう。
「確かに、天帝陛下と区別がつかないものね」
「そういう問題じゃない」
まだ何か言おうとする彼の言葉を遮って、私は腕組みする。
「けれど、あなたの本当の名前を口にするわけにはいかないし」
「いつもの名で呼べばいい。おまえに出会って、思いついた名だ」
「……翡翠」
あらためてその名を口にすると、翡翠は嬉しそうに笑う。目の前にいる大人の翡翠と、出会ったばかりの、まだあどけない少年の姿をしていた翡翠の表情が、ぴたりと重なった瞬間だった。
「翡翠、翡翠」
胸に熱いものがこみ上げてきて、彼の傷に触れないよう、慎重に身体を寄せる。
吐息が触れそうなほど顔を近づけられて、私は黙って目を閉じた。
「あなたに出会えて良かった」
「……俺もだ」
「こういう時、なんて言えばいいのかしら」
何も言わなくていいと、彼は強く私を抱き寄せた。
12
あなたにおすすめの小説
祓い師レイラの日常 〜それはちょっとヤなもんで〜
本見りん
恋愛
「ヤ。それはちょっと困りますね……。お断りします」
呪いが人々の身近にあるこの世界。
小さな街で呪いを解く『祓い師』の仕事をしているレイラは、今日もコレが日常なのである。嫌な依頼はザックリと断る。……もしくは2倍3倍の料金で。
まだ15歳の彼女はこの街一番と呼ばれる『祓い師』。腕は確かなのでこれでも依頼が途切れる事はなかった。
そんなレイラの元に彼女が住む王国の王家からだと言う貴族が依頼に訪れた。貴族相手にもレイラは通常運転でお断りを入れたのだが……。
赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
恋愛
大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。
いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。
クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。
王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。
彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。
それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。
赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。
【完結】余命一カ月の魔法使いは我儘に生きる
大森 樹
恋愛
【本編完結、番外編追加しています】
大魔法使いエルヴィは、最大の敵である魔女を倒した。
「お前は死の恐怖に怯えながら、この一カ月無様に生きるといい」
死に際に魔女から呪いをかけられたエルヴィは、自分の余命が一カ月しかないことを知る。
国王陛下から命を賭して魔女討伐をした褒美に『どんな我儘でも叶える』と言われたが……エルヴィのお願いはとんでもないことだった!?
「ユリウス・ラハティ様と恋人になりたいです!」
エルヴィは二十歳近く年上の騎士団長ユリウスにまさかの公開告白をしたが、彼は亡き妻を想い独身を貫いていた。しかし、王命により二人は強制的に一緒に暮らすことになって……
常識が通じない真っ直ぐな魔法使いエルヴィ×常識的で大人な騎士団長のユリウスの期間限定(?)のラブストーリーです。
※どんな形であれハッピーエンドになります。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
堅物騎士団長から妻に娶りたいと迫られた変装令嬢は今日もその役を演じます
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
第零騎士団諜報部潜入班のエレオノーラは男装して酒場に潜入していた。そこで第一騎士団団長のジルベルトとぶつかってしまい、胸を触られてしまうという事故によって女性とバレてしまう。
ジルベルトは責任をとると言ってエレオノーラに求婚し、エレオノーラも責任をとって婚約者を演じると言う。
エレオノーラはジルベルト好みの婚約者を演じようとするが、彼の前ではうまく演じることができない。またジルベルトもいろんな顔を持つ彼女が気になり始め、他の男が彼女に触れようとすると牽制し始める。
そんなちょっとズレてる二人が今日も任務を遂行します!!
―――
完結しました。
※他サイトでも公開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる