騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

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騎士の帰還

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 サーリーク王国の第一騎士団第一部隊が、オシュトローク帝国にてオメガ解放運動に成功した、という報せが王城に届いたのは、その翌日のことだった。

 伝令の早馬から受け取った書簡はそのまま国王へと渡り、宰相と外交長官から各部署へと伝達がなされた。
 エミールはそれを、侍従のスヴェンから教えられた。
 本来であればクラウスの婚約者として、宰相自らとは言わないものの、しかるべき立場の人間から報告があってもよさそうなものだが、エミールの出自が自身の立場とあまりに不釣り合いで、素知らぬふりで捨て置かれることも多いので、情報のひとつ得るのにも苦労する。だから耳敏くあちこちに顔のきくスヴェンにはたすけられている。

「オシュトローク……」

 その国の名を、半ば呆然とエミールは繰り返した。
 クラウス率いる小隊が向かった先は、オシュトロークだったのか。

 オシュトローク帝国といえば、エミールの故郷、ヴローム村の隣だ。国防壁を挟んで向こう側の国。
 エミールは『オシュトローク側から落とされた子ども』ということだから、生国と言えるのかもしれない。
 それはいい。オシュトロークになにか個人的な思い入れがあるわけではない。だけど。
 三年前、クラウスがヴローム村に来たのと、今回の『オメガ解放運動』とやらになにか関連性はあるのだろうか。

 いや、ないはずがなかった。
 そうだ。自分は疑問に思ったはずだ。
 なぜ騎士団が、あんな西の外れの村にわざわざ来たのだろうか、と。
 クラウスと過ごすうちにそんな疑問はすっかりどこかへ行ってしまっていたが、オシュトロークという名が出てきた以上、もう無視することはできなかった。

「オメガ解放運動って、なんだろう?」

 エミールは手際よく朝食の支度を整えてゆくスヴェンへと問いかけたが、彼は色素の薄い白金髪を揺らして首を傾げただけだった。
 スヴェンはいつも寡黙だ。必要最小限しか言葉を発さないのでなにを考えているかよくわからない。
 だけど仕事はいつも丁寧で、エミールにも敬意を払ってくれていることが仕草の端々から伝わってくるので、一見とっつきにくそうな印象の彼のことをエミールは好ましく思っていたし、友人ともいえる存在だと思っている。

「スヴェンにもわからないかぁ……。クラウス様がオレの村に来たのと関係あると思う?」
「お戻りになられたら、直接お聞きすればよろしいかと」
「うん……そうだね」

 エミールは曖昧に頷いた。
 胸の片隅に、昨日のマリウスの言葉が引っかかっている。

(おのれの任務内容をオメガに知らせる馬鹿がどこに居る)

 エミールがオメガだから、クラウスはなにも教えてくれないのか。
 スヴェンは直接聞けと言うけれど、聞いたところで相手にしてもらえないのではないかという疑念が芽生えてしまう。
 エミールはモヤモヤを熱い紅茶で飲み下し、困ったときのファルケンだ、と朝食もそこそこに出かける準備をした。


 娼館に行く前に、いつものように養護施設へと立ち寄る。
 クラウスの不在の間エミールは、ほぼ毎日子どもたちに会うために施設を訪れていた。決してさびしさを紛らわすためにではない。純粋に子どもたちの顔を見たいからだ。誰に言うともない言い訳を頭の中で唱えながら、施設の門を潜る。

 王都の施設は、村の孤児院とは比べ物にならないほど立派だ。寝起きする建物と学び舎が分かれており、子どもたちが遊ぶのに十分な広さの庭もある。緑も多く、風通しも良い快適な施設だったが、エミールが一歩足を踏み入れると職員たちは眉を顰めて嫌な表情を見せるから、居心地はあまり良くなかった。

 そんなにオレが嫌いかなぁ、とエミールは内心で嘆息する。
 平民が王族の威を借りて大きな顔をしていると思われているのかもしれない。エミール自身にそんなつもりは毛頭なかったが、周りはそうは見てくれないのだと職員たちの態度で理解する。

 でも、村の子どもたちはエミールをただのエミールとして慕ってくれているし、他の孤児の子たちも笑顔で迎えてくれるので、彼らとの触れ合いがいまのエミールの慰めとなっていた。

「エミール兄ちゃん!」
「エミールママ!」 

 今日も子どもたちにわっとたかられて、エミールは笑いながらバッグを広げた。
 スヴェンと一緒に選んだ本日のお土産は、小麦粉とドライフルーツだ。
 絵本や玩具、衣類などを差し入れることもあったが、平民が王族の真似事をして施しをしている、と陰口を叩かれてからは、形に残らないものの方が職員たちにとってはいいのかもしれないと思い、事前に伝達をした上ですこしのお土産を持参するようになったのだった。

「今日のおやつ、一緒に作ってくれるひと~?」

 エミールの問いかけに、あちこちで元気に手が挙がる。

「じゃあ先に手を洗ってきてください」

 子どもたちへと号令を出すと、きゃらきゃらと笑い声を上げながら我先にと走って行った。

「いつもすみません。ありがとうございます」

 職員のひとりが形ばかりのお礼を告げてくる。
 エミールはスヴェンに目配せをして、彼の持っているバッグを出させた。

「これ、今朝採れた野菜です。良かったら夕食に使ってください」
「まぁ。ありがとうございます」
「こちらこそ、行き場のなかった村の子を快く引き受けてくれて感謝してます。先生方のおかげで皆大きくなりました」
「恐縮ですわ。エミール様は本当に村の子たちを大切になさってるので、私たちも身の引き締まる思いです」

 頭を下げた職員が、スヴェンからバッグを受け取り、なにかを探るような目を向けてきた。

「やはり、同郷の子どもが引き取られることには、抵抗がおありで?」
「えっ?」

 思いがけぬことを言われ、間の抜けた声が出る。
 子どもが引き取られる? 養子になる、ということだろうか。

「そんな話が出てるんですか?」

 まったくの初耳で戸惑いつつ質問を返すと、職員が「まぁ」と一瞬呆れたような目つきになり、その後すぐに愛想笑いを浮かべた。

「お耳汚しでしたわね。失礼いたしました」
「あ、ちょっと……」

 そそくさと離れてゆく職員を呼び止めようとしたが、これ見よがしに野菜の入ったバッグを重そうに揺らされたため、それは叶わなかった。

「運ぶの、手伝います」
「まさか。貴いお方にそんなことさせられません」

 口先だけの『貴い』にうんざりしながら、エミールは傍らの侍従を見た。

「……スヴェン。悪いけど」
「かしこまりました」

 皆まで言わさずスヴェンが頭を下げ、職員を手伝って野菜がたっぷり入ったバッグを運んで行った。
 エミールは手洗い場できゃあきゃあ騒ぎながら手を洗っている子どもたちを眺め、ふと周囲を見渡す。
 ミアとアイクの姿がない。

 二人は最近、エミールになにか隠し事をしているようだった。そのくせ、物言いたげな素振りも見せる。エミールが「なにかあれば話を聞くよ」となんど促しても、二人は口を割らなかった。
 でも、アイクはともかく四歳のミアなどはそろそろ限界だろう。可愛らしい唇がもごもごすることが増えてきたので、もう一押しだとエミールは思っていた。

 今日こそは話が聞けるかな、と期待を抱えつつ、エミールは二人を探しに廊下へと出た。
 持ってきた小麦粉とドライフルーツでいまから皆でケーキを作る予定だ。話をする前に二人も混ぜてやらないと、きっと拗ねてしまうだろう。

「ミア~? アイク?」

 二人の名を呼びながら、エミールは談話室を覗き、図書室を覗いた。
 今日は学び舎は休みの日だから、この建物内に居るはずだ。自室だろうか?
 ミアなどはエミールの来訪を知ったらいつもまっしぐらに走ってくるのに、気づかずに寝ているのだろうか? 二人そろって?

 不思議に思いながら上階へと行くべきかと考えるエミールの耳に、ガサガサっと庭の木が揺れる音が聞こえてきた。
 庭で遊んでいるのかもしれない。

 エミールは廊下を回って庭に出た。砂地の広場には誰の姿もないが、木陰に隠れているのかもと思った。かくれんぼはミアがやりそうなことだ。アイクはそんなことではしゃぐ歳ではないが、きっとミアに付き合わされているのだろう。

 エミールは笑いをこらえながら、施設の庭をぐるりと囲む木々の間を進み、二人の姿を探した。空はよく晴れていたが木陰は涼しかった。
 吹き抜ける風が心地よくて目を細めたとき、背後でまたガサッと音がした。エミールを驚かそうとして後ろに回ったのか。気づかないふりをしてあげたほうがいいかな? 対応に迷ったエミールの腕が、強い力で捕まれた。

「えっ?」

 子どもの手の感触ではなかった。
 エミールは驚いて振り返った。

 茂みに紛れるかのような深い緑色の外套を頭から被った男がエミールに覆いかぶさるように立っていた。
 木々が風にそよぎ、木漏れ日が男の頬に当たった。
 知っている顔だった。

 なぜここに、と戸惑いながらもエミールは、旧知の相手に笑顔を浮かべ、その名を呼んだ。

「アダム!」 
 
  
 
 
   
 
 
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