24 / 26
第四章 訂正札の夜
しおりを挟む
夜会の余韻が冷めきらぬうちに、侯爵家の動きは表面化した。
執事が持ってきた封書には、翌朝の社交紙に「婚約予告」を掲載するという文面が記されていた。
勝手に「承諾済み」と書かれた礼状の引用まで添えられている。
——これを許せば、彼女を噂と既成事実の渦に巻き込むことになる。
紙を握りつぶしそうになる手を、必死で抑えた。
「すぐに動く」
そう言って立ち上がると、父も母も表情を引き締めた。
評議会の公告窓口はすでに閉まっていた。
夜間に版を差し替えるには、責任書記官に直接会って訂正文を入れるしかない。
心当たりは一つ——舞台監督ジュリアンの伝だ。
彼を呼び寄せ、事情を説明すると、彼はあっさり頷いた。
「印刷所の版は今まさに締め。差し込みの訂正札なら間に合う。……走るぞ」
夜気の中、四人で早駕籠に飛び乗る。
石畳を叩く車輪の音が、胸の鼓動と重なる。
別館の楽屋口で、書記官と対面した。
「費用と保証が必要だ。万一の係争に備えて、質草を」
ためらいはなかった。
ポケットから、いつも手首に巻いていた青い布切れを外し、差し出そうとした瞬間——
「それは駄目」
リディアの手が、自分の手首を掴んだ。
その力は強く、温かかった。
「質に出すなら、私のを」
胸の奥が熱くなる。
——これは手放してはいけないものだ。
そう思わせたのは、この布そのものではなく、それを止めた彼女の声だった。
代わりに銀のカフリンクスと署名入り手形を差し出し、取引は成立した。
書記官が羽根ペンを走らせる音が、夜の静けさにくっきりと響く。
「これで明朝の一面に載る」
そう告げられた瞬間、肩の力が抜けた。
外に出ると、月光が石畳を照らしていた。
彼女の横顔は、冷たい光を受けても柔らかかった。
「全部、お前のためだ。……いや、俺のためでもある」
その言葉を胸の中で呟き、口には出さなかった。
代わりに短く息を吸い、次の言葉だけははっきりと声にした。
「——俺は、リディア・ハートリーを妻に迎えたい」
夜の空気に放たれたその声は、冷たくも揺るがなかった。
執事が持ってきた封書には、翌朝の社交紙に「婚約予告」を掲載するという文面が記されていた。
勝手に「承諾済み」と書かれた礼状の引用まで添えられている。
——これを許せば、彼女を噂と既成事実の渦に巻き込むことになる。
紙を握りつぶしそうになる手を、必死で抑えた。
「すぐに動く」
そう言って立ち上がると、父も母も表情を引き締めた。
評議会の公告窓口はすでに閉まっていた。
夜間に版を差し替えるには、責任書記官に直接会って訂正文を入れるしかない。
心当たりは一つ——舞台監督ジュリアンの伝だ。
彼を呼び寄せ、事情を説明すると、彼はあっさり頷いた。
「印刷所の版は今まさに締め。差し込みの訂正札なら間に合う。……走るぞ」
夜気の中、四人で早駕籠に飛び乗る。
石畳を叩く車輪の音が、胸の鼓動と重なる。
別館の楽屋口で、書記官と対面した。
「費用と保証が必要だ。万一の係争に備えて、質草を」
ためらいはなかった。
ポケットから、いつも手首に巻いていた青い布切れを外し、差し出そうとした瞬間——
「それは駄目」
リディアの手が、自分の手首を掴んだ。
その力は強く、温かかった。
「質に出すなら、私のを」
胸の奥が熱くなる。
——これは手放してはいけないものだ。
そう思わせたのは、この布そのものではなく、それを止めた彼女の声だった。
代わりに銀のカフリンクスと署名入り手形を差し出し、取引は成立した。
書記官が羽根ペンを走らせる音が、夜の静けさにくっきりと響く。
「これで明朝の一面に載る」
そう告げられた瞬間、肩の力が抜けた。
外に出ると、月光が石畳を照らしていた。
彼女の横顔は、冷たい光を受けても柔らかかった。
「全部、お前のためだ。……いや、俺のためでもある」
その言葉を胸の中で呟き、口には出さなかった。
代わりに短く息を吸い、次の言葉だけははっきりと声にした。
「——俺は、リディア・ハートリーを妻に迎えたい」
夜の空気に放たれたその声は、冷たくも揺るがなかった。
0
あなたにおすすめの小説
この度娘が結婚する事になりました。女手一つ、なんとか親としての務めを果たし終えたと思っていたら騎士上がりの年下侯爵様に見初められました。
毒島かすみ
恋愛
真実の愛を見つけたと、夫に離婚を突きつけられた主人公エミリアは娘と共に貧しい生活を強いられながらも、自分達の幸せの為に道を切り開き、幸せを掴んでいく物語です。
わかったわ、私が代役になればいいのね?[完]
風龍佳乃
恋愛
ブェールズ侯爵家に生まれたリディー。
しかしリディーは
「双子が産まれると家門が分裂する」
そんな言い伝えがありブェールズ夫婦は
妹のリディーをすぐにシュエル伯爵家の
養女として送り出したのだった。
リディーは13歳の時
姉のリディアーナが病に倒れたと
聞かされ初めて自分の生い立ちを知る。
そしてリディアーナは皇太子殿下の
婚約者候補だと知らされて葛藤する。
リディーは皇太子殿下からの依頼を
受けて姉に成り代わり
身代わりとしてリディアーナを演じる
事を選んだリディーに試練が待っていた。
毒殺されそうになりました
夜桜
恋愛
令嬢イリスは毒の入ったお菓子を食べかけていた。
それは妹のルーナが贈ったものだった。
ルーナは、イリスに好きな恋人を奪われ嫌がらせをしていた。婚約破棄させるためだったが、やがて殺意に変わっていたのだ。
あなたが願った結婚だから
Rj
恋愛
家族の反対を押し切り歌手になるためニューヨークに来たリナ・タッカーは歌手になることを応援してくれる叔母の家に世話になっていた。歌手になることを誰よりも後押ししてくれる従姉妹であり親友でもあるシドニーが婚約者のマーカスとの結婚間際に亡くなってしまう。リナとマーカスはシドニーの最後の願いを叶えるために結婚する。
もう悪役令嬢じゃないんで、婚約破棄してください!
翠月るるな
恋愛
目が覚めたら、冷酷無情の悪役令嬢だった。
しかも舞台は、主人公が異世界から来た少女って設定の乙女ゲーム。彼女は、この国の王太子殿下と結ばれてハッピーエンドになるはず。
て、ことは。
このままじゃ……現在婚約者のアタシは、破棄されて国外追放になる、ということ。
普通なら焦るし、困るだろう。
けど、アタシには願ったり叶ったりだった。
だって、そもそも……好きな人は、王太子殿下じゃないもの。
恋を再び
Rj
恋愛
政略結婚した妻のヘザーから恋人と一緒になりたいからと離婚を切りだされたリオ。妻に政略結婚の相手以外の感情はもっていないが離婚するのは面倒くさい。幼馴染みに妻へのあてつけにと押しつけられた偽の恋人役のカレンと出会い、リオは二度と人を好きにならないと捨てた心をとりもどしていく。
本編十二話+番外編三話。
お互いの幸せのためには距離を置くべきだと言った旦那様に、再会してから溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
男爵家の令嬢であるアムリアは、若くして妻を亡くした伯爵令息ヴィクトールの元に嫁ぐことになった。
しかしヴィクトールは彼女との間に距離を作っており、二人は冷めた夫婦生活を送っていた。
その原因は、ヴィクトールの前妻にあった。亡くなった前妻は嫁いだことを好ましく思っておらず、彼に厳しく当たっていた。そしてそのまま亡くなったことにより、ヴィクトールに深い傷を残していたのである。
そんな事情を知ったことで、アムリアは彼に寄り添おうとしていた。
それはヴィクトールも理解していたが、今の彼には彼女を受け入れるだけの心構えができなていなかった。それ所か、しばらく距離を開けることを提案してきたのである。
ヴィクトールの気持ちも考慮して、アムリアはその提案を受け入れることにした。
彼女は実家に戻り、しばらくの間彼と離れて暮らしたのである。
それからしばらくして、アムリアはヴィクトールと再会した。
すると彼の態度は、以前とは異なっていた。彼は前妻との間にあったしがらみを乗り越えて、元来持っていた愛をアムリアに対して全力で注ぐように、なっていたのである。
殿下からの寵愛は諦めることにします。
木山楽斗
恋愛
次期国王であるロウガスト殿下の婚約は、中々決まらなかった。
婚約者を五人まで絞った現国王だったが、温和な性格が原因して、そこから決断することができなかったのだ。
そこで国王は、決定権をロウガスト殿下に与えることにした。
王城に五人の令嬢を集めて、ともに生活した後、彼が一番妻に迎えたいと思った人を選択する。そういった形式にすることを決めたのだ。
そんな五人の内の一人、ノーティアは早々に出鼻をくじかれることになった。
同じ貴族であるというのに、周りの令嬢と自分を比較して、華やかさがまったく違ったからである。
こんな人達に勝てるはずはない。
そう思った彼女は、王子の婚約者になることを諦めることを決めるのだった。
幸か不幸か、そのことを他の婚約者候補や王子にまで知られてしまい、彼女は多くの人から婚約を諦めた人物として認識されるようになったのである。
そういう訳もあって、彼女は王城で気ままに暮らすことを決めた。
王子に関わらず、平和に暮らそうと思ったのである。
しかし、そんな彼女の意図とは裏腹に、ロウガスト殿下は彼女に頻繁に話しかけてくる。
どうして自分に? そんな疑問を抱きつつ、彼女は王城で暮らしているのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる