忘れられた王子は剣闘士奴隷に愛を乞う

空月 瞭明

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第20話 魂の傷跡 (1)

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 リチェルは夢を見ていた。
 暗い地下室の夢を。

 リチェルは透明な幽霊になって、その部屋で行われている兇行を、無表情に眺めている。
 
 ベッドの上、一人の美しい青年が無音で泣き叫んでいた。
 なぜ無音なのかと言えば、薬で喉をつぶされているから。声を出すことが出来ない。

 二人の男が、嗤いながら青年を押さえ込んでいる。

 ベッドの上、美しい青年はみるみる変貌していく。

 金髪が抜け落ち、皮膚は崩れ、骨格は壊れ、人の形が失われる。

 青年は、汚泥の塊になってしまった。
 悪臭を放つ、どろりとした汚泥に。

 いつの間にか、嗤う二人の男は消えている。

 汚泥はぶくぶくと泡を立てた。
 呼吸をしているのだ。
 汚泥は生きている。

(ナゼ イキテイル ノダロウ)

 汚泥は考える。
 気づけば幽霊リチェルの意識は、汚泥の中にいた。

 ふいに暗い地下室に、一筋の光が差す。
 誰かが地下室の扉を開けたようだ。

(ゔぃるたー……)

 唯一、信用していた人間が戸口に立っていた。
 
 リチェルはその名を呼ぼうとする。だが声は出ず、ただぶくぶくと泡が立つ。

「お前のせいで母が!」
 
 ヴィルターは恐ろしい顔をして、手にしたナイフを汚泥となったリチェルに突き立てる。
 何度も何度も、めちゃくちゃに突き刺してくる。
 
(イタイ、イタイ、ヤメテ)

 だが誰も助けに来ない。
 だってリチェルはただの汚泥なのだから。

 汚泥の声を、一体誰が聞くだろう。
 誰が汚泥を、助けるだろう。
 
 突然、ナイフの攻撃が止まった。
 リチェルは恐る恐る、上を見る。

 そこにはヴィルターではなく、アルキバがいた。

 アルキバが、リチェルに手を差し伸べている。まるで助けようとするかのように。

 ここでリチェルは気付いた。

(ああ、夢か)

 これは夢だ。
 アルキバがリチェルを助けるわけがないのだから。

 一気に記憶が蘇る。
 ヴィルターに刺された腹の痛み。

 そしてアルキバに振り下ろされた、怒りと軽蔑。

 軽蔑されるのは当然だ。

 アルキバは、リチェルがずっと目をそらしてきたもの、自分というものを直視させた。
 ヴィルターはいつもリチェルをとことん甘やかした。そんなヴィルターに甘え過ぎていた。いつも現実から逃げていた。

 権力と媚薬を使って剣闘士を手篭めにしてきた、不気味な男。
 そのくせ自分が逆の立場になったら、錯乱して大声をあげてしまう醜態。
 唯一の忠臣と思っていた騎士にすら裏切られた、無様な主君。

 退廃し堕落した、落ちぶれた王子。

 この醜い体も知られてしまった。

『王子なのに体は娼婦か。どんだけ咥え込めばこんな無様な穴になるんだ?』

(ごめんなさい)

 リチェルはいたたまれない羞恥を感じる。

 こんな夢なんか見て。

 あの時、あなたに触れたいと思ってしまって。

 私のような恥ずべき者が、生きる意味とはなんだろう。
 
◇  ◇  ◇
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