61 / 75
第61話 地下室 (1)
しおりを挟む
その日の夜、リチェル邸に訪問者があった。
白髪の小柄な紳士、ダーリアン三世の側近、国王補佐官の男だった。
思いもよらぬ訪問者に驚くリチェルに、補佐官は人払いを願い出た。応接の間で二人きりになってから、補佐官は王からのことづけを伝えた。
「陛下が内密にリチェル殿下にだけお話したいことがあるそうです。今夜十時に、陛下の私室にまでお越しください。その際、どうかお一人でお越しくださいますようお願い申し上げます」
「護衛を伴ってはならぬのか?部屋の外で待機させるが」
「はい、陛下は情報が漏れることを非常に懸念されております。どうかお一人で、本宮殿までいらして下さい」
「……分かった」
きっと兄上たちに関することだろう、とリチェルは思った。ずっと気になっていた、父王の心を蝕む何か。明日の出兵を前にして、ついに父は自らリチェルに打ち明けてくれる気になったのだろう。
リチェルはほっとしていた。なんとか父の力になりたいと思った。
国王補佐官が去った後、アルキバに「どうした?」と尋ねられたが、なんでもないと首を振った。教えればきっとアルキバはついてくると言うだろうから。父王は今、非常に不安定な精神状態にある。リチェルが約束を違えれば、それだけでへそを曲げて大事な話を教えてくれなくなるかもしれない。
約束の時間の三十分前、リチェルはそっと寝床から起きだした。リチェルの体を抱いていたアルキバの腕がだらりと垂れた。そのすやすやとした寝息を確認し、リチェルは微笑する。
リチェルは身支度を整え寝室を抜け出し、屋敷の玄関を出た。馬車が止まっていて、馬車の前に従者らしき男が控えていた。男はうやうやしく礼をした。
「リチェル殿下、国王の命でお迎えにあがりました」
「わざわざ来てくれたのか」
「はい、どうぞお乗りください」
「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく」
リチェルは馬車に乗り込み、後から従者が続いた。
だが。
馬車が動き出してすぐ、方向が違うことにリチェルは気がついた。窓の外を見ながら、問いただす。
「待ってくれ、これは白蘭邸の方向ではないか?本宮殿は……」
突然、背後からはがいじめにされ、リチェルの鼻先に小瓶が押し付けられる。小瓶から立ち上る薬品臭がリチェルの鼻腔を覆い尽くす。
「っ!」
リチェルは暴れるが、急激な眠気に襲われる。やがて力が抜けていき、リチェルは意識を失った。
◇ ◇ ◇
頬に痛みが走り、はっと目を覚ました。
リチェルの感覚が最初に捕らえたのは、記憶にこびりついたかび臭い匂いと、見覚えのある天井。
――あの地下室。
ぞっとしながら身じろぎし、自分がマットだけの古びたベッドの上にいること、全裸であること、両手を頭上で縛られていることに気づく。
リチェルは震えながら、今しがた自分をぶったらしい男を見上げた。
顔の半分が焼け爛れたケロイド状で、二つの赤い瞳が肉食獣のように釣りあがり、爛々と光っている。
そのあまりに異様な風貌に、一瞬誰だか分からなかった。
「お帰り、リチェル。ずっとお前がこの部屋に帰ってくるのを待ってたよ」
その鼻にかけたような甘ったるい声で、やっと相手が第二王子オルワードだと分かった。
「なん……で……。塔の地下室に……火事で……」
オルワードはリチェルの髪をわしづかみにしてひっぱった。リチェルは痛みに顔をしかめる。
「燃えて死んだと思った?残念だったね。あの火事は偽装だ、僕らが逃げ出したことを隠すためのね。腰抜けイサイズめ、もっと早くしろ遅すぎる」
「近衛騎士団長があの火事を!?イサイズ・ペルーチェは父上を裏切ったのか!」
「ふん、今頃何を言ってる?この国の家臣のほとんどは既に、あのイカレジジイより兄さんに忠誠を誓ってるんだよ!」
「そんな……!」
「この七日間、僕と兄さんがお前のせいでどんな目に遭ったか分かる?見てよこの顔、火事のせいじゃないからね。ダーリアンに焼かれたんだ。あいつわざわざ治癒できないように呪具を使いやがった!それだけじゃない、色んなことされたよ!僕達の実の父はカマロ陛下だってちゃんと白状したのに、ますます怒って拷問してきた!お前の父親は頭がイカれてるよ!」
「カマロ……?メギオン国王の……」
リチェルはその時オルワードの頭髪の違和感に気づいた。よく見るとつむじのあたり、髪の付け根が金ではなく茶色い。まるで染髪した髪が伸びて地毛が出てきたかのように。
オルワードは突然、手を頭上で縛られているリチェルの二の腕の内側、その一番柔らかい部分に噛み付いた。灼熱の棒を押し当てられたような激痛が走る。
「っ、つあああああああっ!」
肉を噛み千切られた。オルワードは噛み千切った肉をにちゃにちゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。
「ああ汚いリチェルのこと食べちゃった。僕、一度君の事食べてみたかったんだ」
全身を電流のように悪寒が突き抜けた。リチェルは激痛に気を失いそうになりながら、過呼吸のように胸を上下させた。
狂ってる。目の前にいる男は、もはや人としてのたがを完全に外れている。
白髪の小柄な紳士、ダーリアン三世の側近、国王補佐官の男だった。
思いもよらぬ訪問者に驚くリチェルに、補佐官は人払いを願い出た。応接の間で二人きりになってから、補佐官は王からのことづけを伝えた。
「陛下が内密にリチェル殿下にだけお話したいことがあるそうです。今夜十時に、陛下の私室にまでお越しください。その際、どうかお一人でお越しくださいますようお願い申し上げます」
「護衛を伴ってはならぬのか?部屋の外で待機させるが」
「はい、陛下は情報が漏れることを非常に懸念されております。どうかお一人で、本宮殿までいらして下さい」
「……分かった」
きっと兄上たちに関することだろう、とリチェルは思った。ずっと気になっていた、父王の心を蝕む何か。明日の出兵を前にして、ついに父は自らリチェルに打ち明けてくれる気になったのだろう。
リチェルはほっとしていた。なんとか父の力になりたいと思った。
国王補佐官が去った後、アルキバに「どうした?」と尋ねられたが、なんでもないと首を振った。教えればきっとアルキバはついてくると言うだろうから。父王は今、非常に不安定な精神状態にある。リチェルが約束を違えれば、それだけでへそを曲げて大事な話を教えてくれなくなるかもしれない。
約束の時間の三十分前、リチェルはそっと寝床から起きだした。リチェルの体を抱いていたアルキバの腕がだらりと垂れた。そのすやすやとした寝息を確認し、リチェルは微笑する。
リチェルは身支度を整え寝室を抜け出し、屋敷の玄関を出た。馬車が止まっていて、馬車の前に従者らしき男が控えていた。男はうやうやしく礼をした。
「リチェル殿下、国王の命でお迎えにあがりました」
「わざわざ来てくれたのか」
「はい、どうぞお乗りください」
「ありがとう、お言葉に甘えさせていただく」
リチェルは馬車に乗り込み、後から従者が続いた。
だが。
馬車が動き出してすぐ、方向が違うことにリチェルは気がついた。窓の外を見ながら、問いただす。
「待ってくれ、これは白蘭邸の方向ではないか?本宮殿は……」
突然、背後からはがいじめにされ、リチェルの鼻先に小瓶が押し付けられる。小瓶から立ち上る薬品臭がリチェルの鼻腔を覆い尽くす。
「っ!」
リチェルは暴れるが、急激な眠気に襲われる。やがて力が抜けていき、リチェルは意識を失った。
◇ ◇ ◇
頬に痛みが走り、はっと目を覚ました。
リチェルの感覚が最初に捕らえたのは、記憶にこびりついたかび臭い匂いと、見覚えのある天井。
――あの地下室。
ぞっとしながら身じろぎし、自分がマットだけの古びたベッドの上にいること、全裸であること、両手を頭上で縛られていることに気づく。
リチェルは震えながら、今しがた自分をぶったらしい男を見上げた。
顔の半分が焼け爛れたケロイド状で、二つの赤い瞳が肉食獣のように釣りあがり、爛々と光っている。
そのあまりに異様な風貌に、一瞬誰だか分からなかった。
「お帰り、リチェル。ずっとお前がこの部屋に帰ってくるのを待ってたよ」
その鼻にかけたような甘ったるい声で、やっと相手が第二王子オルワードだと分かった。
「なん……で……。塔の地下室に……火事で……」
オルワードはリチェルの髪をわしづかみにしてひっぱった。リチェルは痛みに顔をしかめる。
「燃えて死んだと思った?残念だったね。あの火事は偽装だ、僕らが逃げ出したことを隠すためのね。腰抜けイサイズめ、もっと早くしろ遅すぎる」
「近衛騎士団長があの火事を!?イサイズ・ペルーチェは父上を裏切ったのか!」
「ふん、今頃何を言ってる?この国の家臣のほとんどは既に、あのイカレジジイより兄さんに忠誠を誓ってるんだよ!」
「そんな……!」
「この七日間、僕と兄さんがお前のせいでどんな目に遭ったか分かる?見てよこの顔、火事のせいじゃないからね。ダーリアンに焼かれたんだ。あいつわざわざ治癒できないように呪具を使いやがった!それだけじゃない、色んなことされたよ!僕達の実の父はカマロ陛下だってちゃんと白状したのに、ますます怒って拷問してきた!お前の父親は頭がイカれてるよ!」
「カマロ……?メギオン国王の……」
リチェルはその時オルワードの頭髪の違和感に気づいた。よく見るとつむじのあたり、髪の付け根が金ではなく茶色い。まるで染髪した髪が伸びて地毛が出てきたかのように。
オルワードは突然、手を頭上で縛られているリチェルの二の腕の内側、その一番柔らかい部分に噛み付いた。灼熱の棒を押し当てられたような激痛が走る。
「っ、つあああああああっ!」
肉を噛み千切られた。オルワードは噛み千切った肉をにちゃにちゃと咀嚼し、ごくりと飲み下す。
「ああ汚いリチェルのこと食べちゃった。僕、一度君の事食べてみたかったんだ」
全身を電流のように悪寒が突き抜けた。リチェルは激痛に気を失いそうになりながら、過呼吸のように胸を上下させた。
狂ってる。目の前にいる男は、もはや人としてのたがを完全に外れている。
12
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる
七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。
だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。
そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。
唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。
優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。
穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。
――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる