ペイン・リリーフ

こすもす

文字の大きさ
27 / 113
【2】 セルフエスティーム

26 馴れ合い

しおりを挟む
 家についてから、晩ご飯の支度をする。
 夏場は夏バテ防止のためにビタミンB1、B2を多く含む豚肉を食べるといいらしいと本に書いてあったので、緑黄色野菜と一緒に炒めた。

 豆腐とワカメの簡単な味噌汁も作って、ちゃぶ台に並べたところで文哉さんが帰ってきたので、一緒に食べた。

 相変わらず美味しそうに食べてくれる文哉さんの顔を見ていると、嬉しさが混み上がってくる。
 僕は饒舌になるのを抑えられなかった。

「今日も図書館に行ってきたんだ」
「よく通ってるな」
「うん。忘れちゃってた知識を取り戻さなくちゃならないからね。知ってた? 猫って人間と違ってO型がなくて、日本の猫の95%はA型なんだって!」
「へぇ」文哉さんは白米を口にしながら相槌を打つ。

「犬はね、猫舌なんだって。面白いよね」
「そうか」コップに入った烏龍茶を1口飲む。

「あとね、チンアナゴっているじゃん? チンアナゴって、夢中でプランクトンを食べている間に隣のチンアナゴと体が絡まっちゃうこともあるんだって」
「ふっ」

 なぜか小さく吹き出されて、僕は首を傾げる。
 文哉さんは、くっくっと笑いを堪えるように肩を震わせている。

「どうかした?」
「いいや……なんだか可笑しくて。記憶を失う前のおまえは、猫の血液型とか犬が猫舌だとかっていうことを知ってたのかなと思って……それでいきなり、チンアナゴって」
「だめ?」

 あはは、と本格的に笑われて、僕はむむっと唇を尖らせる。

 とても不服だ。文哉さんだったら『色々と知っててすごいな』って褒めてくれるかと思ってたのに。
 理想と現実の差があると、人は落ち込むのだということを学んだ。

「……悪い、笑い過ぎた」

 ムスッとした僕にやっと気付いたようで、今さら僕に謝ってくるけど遅い。
 僕はそっぽを向いて、「別に?」と強がってみせた。

「いいよ。もう文哉さんには言わないから」
「違うんだよ琴。機嫌直せ」

 そう言われても素直になれず、目を合わせられない。

 構って欲しいのだ。
 傷付いた自分を察して、もっと労わってほしい。

 だけど、文哉さんはそれ以上は謝らず、食べ終えた食器を重ね始めた。

「ご馳走様」

 キッチンに向かっていく広い背中を見ると、やはり心許なくなってしまう。

 怒らせてしまっただろうか。
 僕も残っていたおかずをかきこんで、食器を持って文哉さんの後ろに立った。

「ごめんね」

 振り返った文哉さんと、視線を合わせる。
 いつの間にか僕は、文哉さんに対して敬語で話すことがなくなっていた。それは閉ざしていた心を、この人に開き始めたという証拠だ。

「何がだ」

 何の事だと言うような口ぶりで、軽く言われる。

 僕は何かを口にしようとしても、うまく言葉にできない。
 けれど素っ気なさそうに見えて心の奥深くは温かみのあるこの人とは、とにかくずっと仲良くしていきたいから。だから喧嘩はいやだ。

「喧嘩はしたくない」

 真剣に言うと、本気度が増す。

 本来はこんなことくらいは軽く受け流す案件なのだろうけど、それは僕にはできない。
 僕は捨て猫だから、飼い主に嫌われたらそれで終わりだ。

 ふいに文哉さんの手が伸びてきて、眉間を親指で上下に撫でられた。
 肌が粟立つ感覚に、とっさに逃げる。

「ここ、皺が寄ってるぞ」
「だって」
「それに、喧嘩じゃない。馴れ合いだ」
「馴れ合い?」
「犬同士は遊んでいるときにじゃれて、噛むことがあるんだ」

 それは本に書いてあった。
 けれどそれは犬の話で、人間同士は噛んで遊んだりしない。

 触られた箇所を手で押えていると、文哉さんは悪戯っぽく笑った。

「おまえに何されても、嫌ったりしないから安心しろ」
「本当に?」
「いちいち気にしてたら、精神科医なんて務まってないよ」
「そっか」

 やっぱりこの人は、自分のことをちゃんと分かってくれる────

 そういう安心感はいつか、なにかやっかいな感情に結びついて形を変えるのだということを、この時の僕はまだ知らなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

メビウスの輪を超えて 【カフェのマスター・アルファ×全てを失った少年・オメガ。 君の心を、私は温めてあげられるんだろうか】

大波小波
BL
 梅ヶ谷 早紀(うめがや さき)は、18歳のオメガ少年だ。  愛らしい抜群のルックスに加え、素直で朗らか。  大人に背伸びしたがる、ちょっぴり生意気な一面も持っている。  裕福な家庭に生まれ、なに不自由なく育った彼は、学園の人気者だった。    ある日、早紀は友人たちと気まぐれに入った『カフェ・メビウス』で、マスターの弓月 衛(ゆづき まもる)と出会う。  32歳と、早紀より一回り以上も年上の衛は、落ち着いた雰囲気を持つ大人のアルファ男性だ。  どこかミステリアスな彼をもっと知りたい早紀は、それから毎日のようにメビウスに通うようになった。    ところが早紀の父・紀明(のりあき)が、重役たちの背信により取締役の座から降ろされてしまう。  高額の借金まで背負わされた父は、借金取りの手から早紀を隠すため、彼を衛に託した。 『私は、早紀を信頼のおける人間に、預けたいのです。隠しておきたいのです』 『再びお会いした時には、早紀くんの淹れたコーヒーが出せるようにしておきます』  あの笑顔を、失くしたくない。  伸びやかなあの心を、壊したくない。  衛は、その一心で覚悟を決めたのだ。  ひとつ屋根の下に住むことになった、アルファの衛とオメガの早紀。  波乱含みの同棲生活が、有無を言わさず始まった……!

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

処理中です...