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【2】 セルフエスティーム
26 馴れ合い
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家についてから、晩ご飯の支度をする。
夏場は夏バテ防止のためにビタミンB1、B2を多く含む豚肉を食べるといいらしいと本に書いてあったので、緑黄色野菜と一緒に炒めた。
豆腐とワカメの簡単な味噌汁も作って、ちゃぶ台に並べたところで文哉さんが帰ってきたので、一緒に食べた。
相変わらず美味しそうに食べてくれる文哉さんの顔を見ていると、嬉しさが混み上がってくる。
僕は饒舌になるのを抑えられなかった。
「今日も図書館に行ってきたんだ」
「よく通ってるな」
「うん。忘れちゃってた知識を取り戻さなくちゃならないからね。知ってた? 猫って人間と違ってO型がなくて、日本の猫の95%はA型なんだって!」
「へぇ」文哉さんは白米を口にしながら相槌を打つ。
「犬はね、猫舌なんだって。面白いよね」
「そうか」コップに入った烏龍茶を1口飲む。
「あとね、チンアナゴっているじゃん? チンアナゴって、夢中でプランクトンを食べている間に隣のチンアナゴと体が絡まっちゃうこともあるんだって」
「ふっ」
なぜか小さく吹き出されて、僕は首を傾げる。
文哉さんは、くっくっと笑いを堪えるように肩を震わせている。
「どうかした?」
「いいや……なんだか可笑しくて。記憶を失う前のおまえは、猫の血液型とか犬が猫舌だとかっていうことを知ってたのかなと思って……それでいきなり、チンアナゴって」
「だめ?」
あはは、と本格的に笑われて、僕はむむっと唇を尖らせる。
とても不服だ。文哉さんだったら『色々と知っててすごいな』って褒めてくれるかと思ってたのに。
理想と現実の差があると、人は落ち込むのだということを学んだ。
「……悪い、笑い過ぎた」
ムスッとした僕にやっと気付いたようで、今さら僕に謝ってくるけど遅い。
僕はそっぽを向いて、「別に?」と強がってみせた。
「いいよ。もう文哉さんには言わないから」
「違うんだよ琴。機嫌直せ」
そう言われても素直になれず、目を合わせられない。
構って欲しいのだ。
傷付いた自分を察して、もっと労わってほしい。
だけど、文哉さんはそれ以上は謝らず、食べ終えた食器を重ね始めた。
「ご馳走様」
キッチンに向かっていく広い背中を見ると、やはり心許なくなってしまう。
怒らせてしまっただろうか。
僕も残っていたおかずをかきこんで、食器を持って文哉さんの後ろに立った。
「ごめんね」
振り返った文哉さんと、視線を合わせる。
いつの間にか僕は、文哉さんに対して敬語で話すことがなくなっていた。それは閉ざしていた心を、この人に開き始めたという証拠だ。
「何がだ」
何の事だと言うような口ぶりで、軽く言われる。
僕は何かを口にしようとしても、うまく言葉にできない。
けれど素っ気なさそうに見えて心の奥深くは温かみのあるこの人とは、とにかくずっと仲良くしていきたいから。だから喧嘩はいやだ。
「喧嘩はしたくない」
真剣に言うと、本気度が増す。
本来はこんなことくらいは軽く受け流す案件なのだろうけど、それは僕にはできない。
僕は捨て猫だから、飼い主に嫌われたらそれで終わりだ。
ふいに文哉さんの手が伸びてきて、眉間を親指で上下に撫でられた。
肌が粟立つ感覚に、とっさに逃げる。
「ここ、皺が寄ってるぞ」
「だって」
「それに、喧嘩じゃない。馴れ合いだ」
「馴れ合い?」
「犬同士は遊んでいるときにじゃれて、噛むことがあるんだ」
それは本に書いてあった。
けれどそれは犬の話で、人間同士は噛んで遊んだりしない。
触られた箇所を手で押えていると、文哉さんは悪戯っぽく笑った。
「おまえに何されても、嫌ったりしないから安心しろ」
「本当に?」
「いちいち気にしてたら、精神科医なんて務まってないよ」
「そっか」
やっぱりこの人は、自分のことをちゃんと分かってくれる────
そういう安心感はいつか、なにかやっかいな感情に結びついて形を変えるのだということを、この時の僕はまだ知らなかった。
夏場は夏バテ防止のためにビタミンB1、B2を多く含む豚肉を食べるといいらしいと本に書いてあったので、緑黄色野菜と一緒に炒めた。
豆腐とワカメの簡単な味噌汁も作って、ちゃぶ台に並べたところで文哉さんが帰ってきたので、一緒に食べた。
相変わらず美味しそうに食べてくれる文哉さんの顔を見ていると、嬉しさが混み上がってくる。
僕は饒舌になるのを抑えられなかった。
「今日も図書館に行ってきたんだ」
「よく通ってるな」
「うん。忘れちゃってた知識を取り戻さなくちゃならないからね。知ってた? 猫って人間と違ってO型がなくて、日本の猫の95%はA型なんだって!」
「へぇ」文哉さんは白米を口にしながら相槌を打つ。
「犬はね、猫舌なんだって。面白いよね」
「そうか」コップに入った烏龍茶を1口飲む。
「あとね、チンアナゴっているじゃん? チンアナゴって、夢中でプランクトンを食べている間に隣のチンアナゴと体が絡まっちゃうこともあるんだって」
「ふっ」
なぜか小さく吹き出されて、僕は首を傾げる。
文哉さんは、くっくっと笑いを堪えるように肩を震わせている。
「どうかした?」
「いいや……なんだか可笑しくて。記憶を失う前のおまえは、猫の血液型とか犬が猫舌だとかっていうことを知ってたのかなと思って……それでいきなり、チンアナゴって」
「だめ?」
あはは、と本格的に笑われて、僕はむむっと唇を尖らせる。
とても不服だ。文哉さんだったら『色々と知っててすごいな』って褒めてくれるかと思ってたのに。
理想と現実の差があると、人は落ち込むのだということを学んだ。
「……悪い、笑い過ぎた」
ムスッとした僕にやっと気付いたようで、今さら僕に謝ってくるけど遅い。
僕はそっぽを向いて、「別に?」と強がってみせた。
「いいよ。もう文哉さんには言わないから」
「違うんだよ琴。機嫌直せ」
そう言われても素直になれず、目を合わせられない。
構って欲しいのだ。
傷付いた自分を察して、もっと労わってほしい。
だけど、文哉さんはそれ以上は謝らず、食べ終えた食器を重ね始めた。
「ご馳走様」
キッチンに向かっていく広い背中を見ると、やはり心許なくなってしまう。
怒らせてしまっただろうか。
僕も残っていたおかずをかきこんで、食器を持って文哉さんの後ろに立った。
「ごめんね」
振り返った文哉さんと、視線を合わせる。
いつの間にか僕は、文哉さんに対して敬語で話すことがなくなっていた。それは閉ざしていた心を、この人に開き始めたという証拠だ。
「何がだ」
何の事だと言うような口ぶりで、軽く言われる。
僕は何かを口にしようとしても、うまく言葉にできない。
けれど素っ気なさそうに見えて心の奥深くは温かみのあるこの人とは、とにかくずっと仲良くしていきたいから。だから喧嘩はいやだ。
「喧嘩はしたくない」
真剣に言うと、本気度が増す。
本来はこんなことくらいは軽く受け流す案件なのだろうけど、それは僕にはできない。
僕は捨て猫だから、飼い主に嫌われたらそれで終わりだ。
ふいに文哉さんの手が伸びてきて、眉間を親指で上下に撫でられた。
肌が粟立つ感覚に、とっさに逃げる。
「ここ、皺が寄ってるぞ」
「だって」
「それに、喧嘩じゃない。馴れ合いだ」
「馴れ合い?」
「犬同士は遊んでいるときにじゃれて、噛むことがあるんだ」
それは本に書いてあった。
けれどそれは犬の話で、人間同士は噛んで遊んだりしない。
触られた箇所を手で押えていると、文哉さんは悪戯っぽく笑った。
「おまえに何されても、嫌ったりしないから安心しろ」
「本当に?」
「いちいち気にしてたら、精神科医なんて務まってないよ」
「そっか」
やっぱりこの人は、自分のことをちゃんと分かってくれる────
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