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4 七尾のオムライス
4 七尾のオムライス(2)
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「先輩も一緒に行けたらいいな、なんて」
「彼女か奥さんと行ったらいいよ」
「それですよね~。あ~、早く彼女作んないと」
「だな」
ふふふ~ん、と鼻歌を歌いながら七尾はメニューを吟味しはじめる。
「先輩はなににします? せっかくだから、マロンケーキ食べましょうよ。そんなに大きくないからいけますって」
「言っただろ。僕はアイスコーヒーでいい」
「後悔しません? じゃあ僕の少しあげますからね」
注文をすませると、ほっとしたように七尾は水を飲んだ。
「ラーメンのあとって、やっぱり喉乾きますね」
「スープ全部飲み干すからだろうが。塩分がやばいぞ」
「だって、ラーメン屋さんはスープ作りにすごく労力使ってるでしょ? 残すのなんてもったいない」
「ケーキなんか食べたらもっと喉乾くぞ」
「それは違う喉の渇き方だからいいんです」
「なんだそれ」
テラス席にも慣れてきた。通りがかりの知らない人にじろじろ見られたってかまうもんか。
「それで、店の方は変わらず?」
僕がいなくなったあと、藤堂がどうなっているのか、やはり少しは気になっていた。
こんな自分でも一人抜ければ、いろいろ困ることもあるだろう。
あと、七尾は僕と仲が良かったから、僕がいなくなったあと冷遇されていないかも心配だった。
「ええ、変わらずですよ。でも最近、新人が二人入ったんです。僕と同い年なんで仲良くやってます」
「そうなんだ。よかったな」
それを聞いて少し安心した。七尾の表情も嘘を言っているようには見えない。
男女の新人で二人とも筋がいいらしい。どうやら戦力として採用されたようだ。
「たぶん、先輩の穴埋めに入ったんじゃないですかね。先輩のあとは二人必要だったということですよ」
なんとも言えないので僕は黙っていた。
やがてアイスコーヒーが運ばれてきた。
喉が渇いていたこともあり、僕らは水のようにごくごく飲んだ。最初に運ばれてきた水はもう空だ。
ここのウェイターは忙しいのか、水を注ぎ足しになかなかこない。
藤堂だったら客がうんざりするほど頻繁に水が注がれるのだが。
「実は先輩、ひとつだけ困ってることがあるんです」
七尾は少しだけ表情をくもらせた。
僕も少し身構える。
「どうした」
「信濃(しなの)さんのことなんですけど、先輩のことをよく訊かれるんです。いまでも連絡を取ってるのかって」
信濃学(まなぶ)は三十五歳の藤堂の料理人だ。
腕はいいがプライドも高く、上には絶対服従で下には高圧的にふるまう僕が苦手としているタイプだ。
僕に敵意を向けてきた先輩連中の中心的な人物でもある。
「それで?」
「連絡とってないですって答えたんですけど、それでよかったですかね? 今度訊かれたらどう答えたらいいですか」
信濃学。
いまさら僕になんの用があるんだか。
もう辞めたのに、まだ文句があるのか。
僕は小さく息を吐いた。
「好きに答えたらいいよ」
「というと?」
「連絡とってるって言えばいいよ。嘘は苦手だろ?」
七尾は不安そうに顔をしかめた。
「そうしたら、あれこれ訊かれると思うんです。僕、信濃さんのことあんまり好きじゃないし、先輩の不利になることはしたくないんです」
自分が辞めればすべてがおさまると単純に考えていた。
辞めてもなお、こんなことで頭を悩ますことになるなんて。
陽太さんが気にしていた、誰かが僕の再就職を邪魔している、というのに、信濃学は関係してるんだろうか。
そんな力が彼にあるだろうか?
いくら狭い業界だと言っても、一介の料理人があらゆる飲食店に手をまわすことなんて不可能だ。
ウェイターがやっと来て水を継ぎ足してくれた。
冷たい水をたっぷり飲むと、少しだけ冷静になれた。
「別に話されて困ることはないから安心していいよ。もし今後、嫌がらせでもされたら、そのときはこっちで対処する。七尾はなんにも心配しなくていいから」
「でもなんか、嫌なんですよ、僕が。僕、信濃さんのことほんとに嫌いだし」
言っちゃった、という顔をしながらも、少し怒った風に七尾は口をよじまげる。
「信濃さんたちが嫌がらせみたいなことしなきゃ、先輩は辞めなくてすんだのに。理不尽過ぎますよ。許せません」
「七尾。僕の二の舞はするなよ? 職場の人間関係を大切にしないと、僕みたいなことになるのは今回のことでよくわかっただろ。僕はもう辞めたんだよ。僕の意志で。だから、僕のかわりになって誰かを憎んだりするのはやめろ。意味ないから」
「わかってますけど、わからない」
七尾は意外と頑固だ。純粋なだけに。
「とにかく、七尾はなにもしなくていい。訊かれたら正直に答えたらいい。僕は話されて困ることはなにもない。これでいいか?」
「いえ、僕は話さないことにします。嘘は苦手だけど、これは話が別です。信濃さんにはなにも教えませんから」
「七尾の好きにしたらいいよ」
七尾はいっちょまえに難しい顔をしていたが、マロンケーキが運ばれてくると子供みたいにわかりやすく顔を輝かせた。早速スマホで写真をとりはじめる。
マロンケーキは思ったよりかなり大きかった。
細いマロンクリームが山ほどかかっている。かなり甘そうだ。
「食べれるのか、それ全部」
「楽勝ですけど、先輩にもあげますから、心配しないでください」
「じゃあ一口くれ」
マロンクリームを一匙もらう。
口当たりはいいが、想像以上に甘い。栗感もしっかりある。ふんだんに栗を使っているんだろう。
「おいしいけど、ラーメンのあとは重いな」
待ちきれないように七尾は僕からフォークを奪うと、ケーキを山盛りすくって口に入れた。
「わっ。すっごく栗。おいしぃ~。来てよかったぁ~」
満面の笑みでぱくぱく食べている七尾を見たら、ラーメンよりこっちが本命なのではないかと思えた。胃は苦しくないんだろうか。
「さっきの話だけど、気になる子とは付き合えそうなの?」
七尾は幸せそうな顔のままうなずく。
「このまえ、告白したんですよ。返事はまだですけどね」
「へえ、頑張ってるじゃない。次のデートはいつ?」
「僕の次の休みの日に約束してます」
「じゃあそのときに返事が聞けるわけだ」
「どうでしょう? 前に会ったときは、まだ考え中って言ってましたから」
考え中。
「返事って、どのぐらい待ってるの?」
「一ヶ月ぐらいですかね」
「……長すぎないか?」
「うーん……でも相手は、本当に好きになってから付き合いたいらしくて。とっても真面目な子んです」
「そうか……相手は働いてる人?」
七尾は僕の二つ年下の二十三歳だ。
「まだ大学生です」
「じゃあ、デート代はいつも七尾が持ってるのか」
「そりゃまあ。相手もアルバイトはしてるみたいですけど」
「また貢いでないだろうな」
「え? なんですか急に」
以前、七尾はアプリで知り合った女性に高額なブランドものを買わされている。
高額な食事をごちそうさせられたり、旅行代金をすべて負担させられたりしたこともある。もちろん部屋は別で。
「大金をその子に使ってないだろうな」
「そんなには……」
「使うなよ。本気な子は、お前にたくさんお金を使わせたりしないから」
七尾は食べるのをやめて、少し悲しそうな顔をした。
「それは前にも聞いたんでわかってるつもりです……」
でも、その浮かない表情は、思い当たることがあるのだろう。
かわいそうに。
七尾が悪いわけじゃない。
このままでは、せっかく楽しみにしていたマロンケーキの味にも響く。
「そうだったな。悪かった。うちの店のことだけど、ほんとにいつでも来ていいからな。好きなもの作ってやる」
単純な七尾はすぐに明るい表情に戻った。
「好きなもの、なんでもですか? じゃあタンシチュー」
「居酒屋メニューの中から選んでくれるか」
「あ、そうでしたね……じゃあ餃子」
七尾は餃子が大好物なのだ。
「いいよ、しこたま餃子食わせてやる」
「やったぁ。僕、すぐ行きますからね、本当に」
わかってるよ、と僕は笑った。
*
「彼女か奥さんと行ったらいいよ」
「それですよね~。あ~、早く彼女作んないと」
「だな」
ふふふ~ん、と鼻歌を歌いながら七尾はメニューを吟味しはじめる。
「先輩はなににします? せっかくだから、マロンケーキ食べましょうよ。そんなに大きくないからいけますって」
「言っただろ。僕はアイスコーヒーでいい」
「後悔しません? じゃあ僕の少しあげますからね」
注文をすませると、ほっとしたように七尾は水を飲んだ。
「ラーメンのあとって、やっぱり喉乾きますね」
「スープ全部飲み干すからだろうが。塩分がやばいぞ」
「だって、ラーメン屋さんはスープ作りにすごく労力使ってるでしょ? 残すのなんてもったいない」
「ケーキなんか食べたらもっと喉乾くぞ」
「それは違う喉の渇き方だからいいんです」
「なんだそれ」
テラス席にも慣れてきた。通りがかりの知らない人にじろじろ見られたってかまうもんか。
「それで、店の方は変わらず?」
僕がいなくなったあと、藤堂がどうなっているのか、やはり少しは気になっていた。
こんな自分でも一人抜ければ、いろいろ困ることもあるだろう。
あと、七尾は僕と仲が良かったから、僕がいなくなったあと冷遇されていないかも心配だった。
「ええ、変わらずですよ。でも最近、新人が二人入ったんです。僕と同い年なんで仲良くやってます」
「そうなんだ。よかったな」
それを聞いて少し安心した。七尾の表情も嘘を言っているようには見えない。
男女の新人で二人とも筋がいいらしい。どうやら戦力として採用されたようだ。
「たぶん、先輩の穴埋めに入ったんじゃないですかね。先輩のあとは二人必要だったということですよ」
なんとも言えないので僕は黙っていた。
やがてアイスコーヒーが運ばれてきた。
喉が渇いていたこともあり、僕らは水のようにごくごく飲んだ。最初に運ばれてきた水はもう空だ。
ここのウェイターは忙しいのか、水を注ぎ足しになかなかこない。
藤堂だったら客がうんざりするほど頻繁に水が注がれるのだが。
「実は先輩、ひとつだけ困ってることがあるんです」
七尾は少しだけ表情をくもらせた。
僕も少し身構える。
「どうした」
「信濃(しなの)さんのことなんですけど、先輩のことをよく訊かれるんです。いまでも連絡を取ってるのかって」
信濃学(まなぶ)は三十五歳の藤堂の料理人だ。
腕はいいがプライドも高く、上には絶対服従で下には高圧的にふるまう僕が苦手としているタイプだ。
僕に敵意を向けてきた先輩連中の中心的な人物でもある。
「それで?」
「連絡とってないですって答えたんですけど、それでよかったですかね? 今度訊かれたらどう答えたらいいですか」
信濃学。
いまさら僕になんの用があるんだか。
もう辞めたのに、まだ文句があるのか。
僕は小さく息を吐いた。
「好きに答えたらいいよ」
「というと?」
「連絡とってるって言えばいいよ。嘘は苦手だろ?」
七尾は不安そうに顔をしかめた。
「そうしたら、あれこれ訊かれると思うんです。僕、信濃さんのことあんまり好きじゃないし、先輩の不利になることはしたくないんです」
自分が辞めればすべてがおさまると単純に考えていた。
辞めてもなお、こんなことで頭を悩ますことになるなんて。
陽太さんが気にしていた、誰かが僕の再就職を邪魔している、というのに、信濃学は関係してるんだろうか。
そんな力が彼にあるだろうか?
いくら狭い業界だと言っても、一介の料理人があらゆる飲食店に手をまわすことなんて不可能だ。
ウェイターがやっと来て水を継ぎ足してくれた。
冷たい水をたっぷり飲むと、少しだけ冷静になれた。
「別に話されて困ることはないから安心していいよ。もし今後、嫌がらせでもされたら、そのときはこっちで対処する。七尾はなんにも心配しなくていいから」
「でもなんか、嫌なんですよ、僕が。僕、信濃さんのことほんとに嫌いだし」
言っちゃった、という顔をしながらも、少し怒った風に七尾は口をよじまげる。
「信濃さんたちが嫌がらせみたいなことしなきゃ、先輩は辞めなくてすんだのに。理不尽過ぎますよ。許せません」
「七尾。僕の二の舞はするなよ? 職場の人間関係を大切にしないと、僕みたいなことになるのは今回のことでよくわかっただろ。僕はもう辞めたんだよ。僕の意志で。だから、僕のかわりになって誰かを憎んだりするのはやめろ。意味ないから」
「わかってますけど、わからない」
七尾は意外と頑固だ。純粋なだけに。
「とにかく、七尾はなにもしなくていい。訊かれたら正直に答えたらいい。僕は話されて困ることはなにもない。これでいいか?」
「いえ、僕は話さないことにします。嘘は苦手だけど、これは話が別です。信濃さんにはなにも教えませんから」
「七尾の好きにしたらいいよ」
七尾はいっちょまえに難しい顔をしていたが、マロンケーキが運ばれてくると子供みたいにわかりやすく顔を輝かせた。早速スマホで写真をとりはじめる。
マロンケーキは思ったよりかなり大きかった。
細いマロンクリームが山ほどかかっている。かなり甘そうだ。
「食べれるのか、それ全部」
「楽勝ですけど、先輩にもあげますから、心配しないでください」
「じゃあ一口くれ」
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口当たりはいいが、想像以上に甘い。栗感もしっかりある。ふんだんに栗を使っているんだろう。
「おいしいけど、ラーメンのあとは重いな」
待ちきれないように七尾は僕からフォークを奪うと、ケーキを山盛りすくって口に入れた。
「わっ。すっごく栗。おいしぃ~。来てよかったぁ~」
満面の笑みでぱくぱく食べている七尾を見たら、ラーメンよりこっちが本命なのではないかと思えた。胃は苦しくないんだろうか。
「さっきの話だけど、気になる子とは付き合えそうなの?」
七尾は幸せそうな顔のままうなずく。
「このまえ、告白したんですよ。返事はまだですけどね」
「へえ、頑張ってるじゃない。次のデートはいつ?」
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「どうでしょう? 前に会ったときは、まだ考え中って言ってましたから」
考え中。
「返事って、どのぐらい待ってるの?」
「一ヶ月ぐらいですかね」
「……長すぎないか?」
「うーん……でも相手は、本当に好きになってから付き合いたいらしくて。とっても真面目な子んです」
「そうか……相手は働いてる人?」
七尾は僕の二つ年下の二十三歳だ。
「まだ大学生です」
「じゃあ、デート代はいつも七尾が持ってるのか」
「そりゃまあ。相手もアルバイトはしてるみたいですけど」
「また貢いでないだろうな」
「え? なんですか急に」
以前、七尾はアプリで知り合った女性に高額なブランドものを買わされている。
高額な食事をごちそうさせられたり、旅行代金をすべて負担させられたりしたこともある。もちろん部屋は別で。
「大金をその子に使ってないだろうな」
「そんなには……」
「使うなよ。本気な子は、お前にたくさんお金を使わせたりしないから」
七尾は食べるのをやめて、少し悲しそうな顔をした。
「それは前にも聞いたんでわかってるつもりです……」
でも、その浮かない表情は、思い当たることがあるのだろう。
かわいそうに。
七尾が悪いわけじゃない。
このままでは、せっかく楽しみにしていたマロンケーキの味にも響く。
「そうだったな。悪かった。うちの店のことだけど、ほんとにいつでも来ていいからな。好きなもの作ってやる」
単純な七尾はすぐに明るい表情に戻った。
「好きなもの、なんでもですか? じゃあタンシチュー」
「居酒屋メニューの中から選んでくれるか」
「あ、そうでしたね……じゃあ餃子」
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