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19食目 あの日の塩バターラーメン(2)
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「おいっ!」
声が聞こえて、ハッと目を開けた。崖の上を見上げると、十希也がこちらをのぞき込んでいる。
「十希也さん……」
「なにやってんだよ! そんなとこで!」
十希也の怒った顔が、雨の中に滲んで見える。
「あの……デュオ見つけました」
梨花がデュオを高く抱き上げると、十希也は一瞬ホッとしたように頬をゆるめたあと、すぐに険しい顔で怒鳴りつけた。
「バカ! 外に出るなって言っただろ!」
「……ごめんなさい」
梨花は立ち上がろうとしたが、足の痛みに顔をゆがめ、また座り込んでしまった。
「どうした? 怪我したのか?」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ。いま行くから、そこで待ってろ」
「えっ、そんな! 危ないです!」
「危ないのはそっちだ」
十希也が慎重に斜面を下りてくる。梨花と同じように何度か足を滑らせそうになりながら、それでもなんとか一番下までたどり着いた。
「にゃーん!」
デュオが梨花の腕から飛び出し、十希也にすり寄る。十希也はそんなデュオを抱き上げ、怒った声で言う。
「デュオ! お前もなにやってんだよ! 心配かけるな!」
「にゃおん……」
怒られたのがわかるのか、デュオの耳が垂れた。
十希也は持っていたリュックの中にデュオを押し込むと、梨花を見て尋ねた。
「足、痛いのか? 歩くの無理か?」
「ごめんなさい……」
梨花はうつむいて唇を噛む。足の痛みよりも、自分の情けなさに涙が出そうだった。
「あの……私のことはほっといていいので、デュオを連れて早く帰ってください」
「は? ほっとけるわけないだろ」
しかし梨花は首を横に振った。
「いいんです。私はどうせ今日、死ぬつもりだったんですから。十希也さんや芙美さんにこれ以上迷惑をかけないよう、ひとりでどこかに行って死にます」
十希也が顔をしかめて梨花を見ている。梨花は十希也にはじめて会った日に言われた言葉を思い出す。
『弱くてもいいから、それでも生きろ』
この町に来て、少しずつごはんを食べられるようになって、夜も眠れるようになって……体も心も楽になった気がしていた。
でもやっぱり、悠真がいないと寂しくて、つらくて悲しい。
「十希也さんは強いから、悠真の思い出を抱えて生きられるかもしれないけど、やっぱり私は無理なんです。私は十希也さんみたいに強くないから……もう私のことはほっといてください」
梨花が十希也から目をそむけた。
雨の音が激しくなる。その雨音の中、十希也の声がはっきりと聞こえた。
「嫌だ」
梨花が潤んだ目で十希也を見る。十希也はじっと梨花を見つめて、もう一度言った。
「俺は嫌だ。あんたがいなくなったら」
「え……」
「俺が強いわけねぇだろ。強かったら、あんたのことなんか無視してる。あんたみたいな大嫌いなやつ、勝手に死ねばいいって思う」
横殴りの雨の中、ぐっと唇を噛んだ梨花に十希也は続ける。
「俺はあんたに死んでほしくないんだよ。あんたが死んだら、俺ひとりになっちまう」
十希也の声が、梨花の心にじんわりと沁み込んでくる。
「悠真が死んで、町中の人が悲しんでた。友だちも俺の親も。でもなんか違うんだよ。みんなの悲しみと俺の悲しみは違う。誰も俺の気持ちなんかわかってくれない。そう思ってたとき、あんたがこの町に現れた」
十希也は濡れた手で、梨花の腕を強くつかんだ。
「あんたに悠真の思い出を辿らせながら、俺も一緒に辿ってた。俺と同じ気持ちのやつが隣にいるってだけで、すごく心が落ち着いた」
そこで深く息を吐き、十希也は声に力を込めた。
「だから嫌なんだよ。俺の気持ちがわかるあんたが、いなくなっちまうのが。俺は弱いから……ひとりになりたくないんだ」
梨花は黙って、十希也の顔を見つめた。十希也もじっと梨花の顔を見ている。
大好きだった人がいなくなって、ひとりぼっちになってしまったと思っていた。
でもこの気持ちを分かり合える人が、もしこの世界にいたのなら……その人にそばにいてほしいと思う。
人は弱いから。そう簡単には変われないから。
「十希也さん……」
十希也が梨花の腕から手を放し、デュオの入ったリュックを前に抱えた。そして梨花に背中を向ける。
「だから俺は、あんたを背負って宿まで連れていく」
「えっ……」
「早く背中に乗れ」
「む、無理です! いくらなんでも、私を背負ってこの崖を登るなんて」
「さすがにそれは無理だ。でもこのままずっと歩いていくと、道路に出られる。めっちゃ遠回りだけどな」
十希也が木々に覆われた先を指さす。
「そんな道があるんですか」
十希也は怒った顔で振り向いた。
「いいから早く乗れ! もしいまこの崖が崩れて、デュオが生き埋めになったらどうすんだ!」
「にゃお……」
十希也のリュックの中から、デュオが心配そうに顔を出す。
「す、すみません……」
梨花はおそるおそる十希也の背中に近づいた。そして肩にそっと手をかけると、その背中に体を寄せる。十希也は梨花を背負って立ち上がり、ゆっくりだけど力強く、ぬかるんだ道を歩きはじめた。
声が聞こえて、ハッと目を開けた。崖の上を見上げると、十希也がこちらをのぞき込んでいる。
「十希也さん……」
「なにやってんだよ! そんなとこで!」
十希也の怒った顔が、雨の中に滲んで見える。
「あの……デュオ見つけました」
梨花がデュオを高く抱き上げると、十希也は一瞬ホッとしたように頬をゆるめたあと、すぐに険しい顔で怒鳴りつけた。
「バカ! 外に出るなって言っただろ!」
「……ごめんなさい」
梨花は立ち上がろうとしたが、足の痛みに顔をゆがめ、また座り込んでしまった。
「どうした? 怪我したのか?」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ。いま行くから、そこで待ってろ」
「えっ、そんな! 危ないです!」
「危ないのはそっちだ」
十希也が慎重に斜面を下りてくる。梨花と同じように何度か足を滑らせそうになりながら、それでもなんとか一番下までたどり着いた。
「にゃーん!」
デュオが梨花の腕から飛び出し、十希也にすり寄る。十希也はそんなデュオを抱き上げ、怒った声で言う。
「デュオ! お前もなにやってんだよ! 心配かけるな!」
「にゃおん……」
怒られたのがわかるのか、デュオの耳が垂れた。
十希也は持っていたリュックの中にデュオを押し込むと、梨花を見て尋ねた。
「足、痛いのか? 歩くの無理か?」
「ごめんなさい……」
梨花はうつむいて唇を噛む。足の痛みよりも、自分の情けなさに涙が出そうだった。
「あの……私のことはほっといていいので、デュオを連れて早く帰ってください」
「は? ほっとけるわけないだろ」
しかし梨花は首を横に振った。
「いいんです。私はどうせ今日、死ぬつもりだったんですから。十希也さんや芙美さんにこれ以上迷惑をかけないよう、ひとりでどこかに行って死にます」
十希也が顔をしかめて梨花を見ている。梨花は十希也にはじめて会った日に言われた言葉を思い出す。
『弱くてもいいから、それでも生きろ』
この町に来て、少しずつごはんを食べられるようになって、夜も眠れるようになって……体も心も楽になった気がしていた。
でもやっぱり、悠真がいないと寂しくて、つらくて悲しい。
「十希也さんは強いから、悠真の思い出を抱えて生きられるかもしれないけど、やっぱり私は無理なんです。私は十希也さんみたいに強くないから……もう私のことはほっといてください」
梨花が十希也から目をそむけた。
雨の音が激しくなる。その雨音の中、十希也の声がはっきりと聞こえた。
「嫌だ」
梨花が潤んだ目で十希也を見る。十希也はじっと梨花を見つめて、もう一度言った。
「俺は嫌だ。あんたがいなくなったら」
「え……」
「俺が強いわけねぇだろ。強かったら、あんたのことなんか無視してる。あんたみたいな大嫌いなやつ、勝手に死ねばいいって思う」
横殴りの雨の中、ぐっと唇を噛んだ梨花に十希也は続ける。
「俺はあんたに死んでほしくないんだよ。あんたが死んだら、俺ひとりになっちまう」
十希也の声が、梨花の心にじんわりと沁み込んでくる。
「悠真が死んで、町中の人が悲しんでた。友だちも俺の親も。でもなんか違うんだよ。みんなの悲しみと俺の悲しみは違う。誰も俺の気持ちなんかわかってくれない。そう思ってたとき、あんたがこの町に現れた」
十希也は濡れた手で、梨花の腕を強くつかんだ。
「あんたに悠真の思い出を辿らせながら、俺も一緒に辿ってた。俺と同じ気持ちのやつが隣にいるってだけで、すごく心が落ち着いた」
そこで深く息を吐き、十希也は声に力を込めた。
「だから嫌なんだよ。俺の気持ちがわかるあんたが、いなくなっちまうのが。俺は弱いから……ひとりになりたくないんだ」
梨花は黙って、十希也の顔を見つめた。十希也もじっと梨花の顔を見ている。
大好きだった人がいなくなって、ひとりぼっちになってしまったと思っていた。
でもこの気持ちを分かり合える人が、もしこの世界にいたのなら……その人にそばにいてほしいと思う。
人は弱いから。そう簡単には変われないから。
「十希也さん……」
十希也が梨花の腕から手を放し、デュオの入ったリュックを前に抱えた。そして梨花に背中を向ける。
「だから俺は、あんたを背負って宿まで連れていく」
「えっ……」
「早く背中に乗れ」
「む、無理です! いくらなんでも、私を背負ってこの崖を登るなんて」
「さすがにそれは無理だ。でもこのままずっと歩いていくと、道路に出られる。めっちゃ遠回りだけどな」
十希也が木々に覆われた先を指さす。
「そんな道があるんですか」
十希也は怒った顔で振り向いた。
「いいから早く乗れ! もしいまこの崖が崩れて、デュオが生き埋めになったらどうすんだ!」
「にゃお……」
十希也のリュックの中から、デュオが心配そうに顔を出す。
「す、すみません……」
梨花はおそるおそる十希也の背中に近づいた。そして肩にそっと手をかけると、その背中に体を寄せる。十希也は梨花を背負って立ち上がり、ゆっくりだけど力強く、ぬかるんだ道を歩きはじめた。
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