歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

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第3章

パーティ 2

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 レセプションは、本町にある有名なクラブハウスの建物、大正レトロ建築のホールを使って行われた。
 関西の財界人、関西出身の著名なタレント、落語家などに混じって、場慣れしていない綾之助は明らかに浮いていた。
 知八は綾之助から離れまいとはしていたのだが、先ほど社長に連れて行かれたまま帰ってこない。
 ぼうっと華やかな会場を一歩離れた目線で見渡してみる。なんだか、別世界のように現実感がない。自分がこのキラキラしい場所にいてもいいものなのだろうか。
 やることもないし、帰ってもええやろか。多分、バレないと思う、知八以外には。

「綾之助さん」
 そんな邪なことを考えていたら、声をかけられた。
「拓真さん」
 人好きのする笑顔を浮かべて近づいてきたのは拓真だ。
「お越しいただいて光栄です。今日は相模屋の皆様には華を添えていただいて、ありがとうございます」
 拓真は体のラインにぴったりあったスーツを身に付け、颯爽と歩いてきた。
「いえ、紋司郎が参れず、申し訳ありません。詫びを言うようにと言いつかりました」
「どうぞお気になさらず。どうですか、このブランデー」
 正直に言うと綾之助は普段ブランデーなど飲まないので、あまりよくわからなかった。
「あまりブランデーって飲まないんですけど、深みのある、いい味やと思います」
「そう言っていただけるとうれしいな」
 なんだか、きょうの拓真はいつもと印象が違う、と綾之助は思った。自信に満ちた喋り方、洗練された物腰。それに対して自分は多分、おどおどしていた。少し恥ずかしい。
「綾之助さん。ちょっとだけ、テラスに出てみませんか。御堂筋の明かりが綺麗ですよ」
 拓真に促されて、綾之助はテラスへ出た。

 寒い季節なので、テラスに出ている人はいなかった。
 喧騒から逃れて、綾之助はほっと息をつく。凛と澄んだ冬の空気が気持ちいい。綾之助が居づらそうなのを察して、気を利かせてくれたのだろうか。
「すみません。こういう場は慣れてなくて。少し人に酔ってしまったようです。でも、ここに来たらだいぶ良うなりました」
「それなら、よかった」
 そう言ってふわりと微笑む拓真が知らない人に見えて、綾之助はドキドキした。
「そうだ。あれからも、舞台見に来てくださっているそうですね。ありがとうございます」
 慌てて視線を反らせて綾之助がそう言うと、拓真はにっこりと笑った。
「ええ、とても面白いですから。最近、芝居にのめり込む祖父の気持ちがわかるような気がするんですよ。でもまあ、他にも勉強しなくてはいけないことがたくさんありますから。芝居はほどほどにしておきますよ」
 拓真は手元のグラスに目を落としながら言った。
「あなたにももう、ご迷惑をおかけしたくはないですから。こういう場以外ではお話しないようにします」
 綾之助が言ったことをちゃんと理解して、綾之助が嫌がることはしない。そんなところも好ましい人だなと思う。しかし、そう言った拓真はすこし寂しそうで、綾之助は罪悪感を感じた。

「ああ、こんなところにいた」
 扉が開いて、知八がバルコニーに出てきた。
「もう、探したんやで。帰ったかとおもた」
 知八はぷう、と頬をくらませて抗議した。
「すみません」
 拓真に声をかけられなければ帰る気だった綾之助は、内心知八のするどさに舌を巻いた。
「でもまあ、拓真さんにご挨拶も済んだんやったらもう帰ろか」
「そうですね」
 パーティーに辟易していた綾之助はいそいそと知八に近づく。
「今日はありがとうございました」
 深々とお辞儀して言うと、拓真は笑顔で答えた。
「いえ、こちらこそ、本当にありがとうございました。あなたに会えてよかった」
 綾之助はなんと答えていいのかよく分からず、あいまいな笑みを浮かべて誤魔化した。

「あいつホンマあかんわぁ」
 知八が淀屋橋まで歩くというので、綾之助も付き合うことにした。知八が文句を言っているのはさっきの別れ際の拓真の発言と行動である。綾之助からすると、それほど行き過ぎがあったようには思わないのだが、知八からすると不合格らしい。
「いや、でもちゃんとうちの立場も考えてくださっているようですよ」
「そうかなあ」
 知八は不服げだ。
「ええか。困ったことがあったらいつでも相談すんねやで。あいつのことに限らずな」
「まあ、ぼんはたのもしいですね」
 大きくなったなあと思いながらニコニコと笑っていたら、その思いが伝わったようで、知八は機嫌を損ねた。
「綾はいつまでも僕のこと子ども扱いして!」
「そんなこと……ないですけど」
「そんなことある!」
 たしかに、御曹司の知八に対して、近所のぼっちゃんに接するような気安さがあったことは否めない。知八が怒るのも当然だ。
 どうも最近、知八を怒らせてばかりだな。気をつけなあかん。知八も成人したのだがら、ぼんという呼び方はやめた方がいいのかもしれない。
「すみません、知八さん。これからは気をつけます」
「え?」
 知八はびっくりしたように綾之助の顔を見た。
「いや、さすがにいつまでもぼんって呼ぶのも失礼やな、と今更ながら思いまして」
「そ、そうか。びっくりするやん」
「すみません」
「い、いや、ええんやけどな。うん」
 その後、なぜか知八は言葉少なになり、駅に着くまですこし気まずかった。やっぱり、いままで通り「ぼん」と呼んだほうがいいのかもしれない。

 帰りの電車で携帯を見ると、杜若からメールが入っていた。
 竹田座の客入りがよいことを喜び、東京の公演も大入り続きであると報告していた。そして東京の今月の興行は大阪より一日短いので、大阪の楽日には綾之助の舞台を見に行くと杜若は書いていた。
 杜若に舞台を見てもらうのは緊張するが、いいお庄を演じているという自負がある綾之助は、やはりうれしかった。

 竹田座花形歌舞伎もついに千穐楽、綾之助は自分なりにこの月を良い形で締めくくることができた。杜若に見てもらうことを楽しみにしていたのだが、杜若はいつまでたっても劇場に現れず、連絡ひとつない。
 何かあったのかと心配に思いながらも、綾之助もバタバタして連絡できなかった。

 午後九時半、確実にすべての演目が終わったその時間を見計らうように、綾之助の携帯が音を立て、メールの着信を知らせた。
 それは杜若の妻からのメールで、朝、東京を立つ直前に杜若が倒れたことを知らせる文面だった。
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