歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

文字の大きさ
27 / 30
第6章

優しい男

しおりを挟む
 目を開けると、至近距離に知八の顔があってびっくりした。
「綾! 大丈夫か?」
 血相を変えて大声で叫ばれたが、綾之助は状況が全く飲み込めず、なんとも返事ができなかった。
「えっと」
「お前、舞台終わった瞬間倒れたんや」
「す、すみません」
「謝らんでええねん。大丈夫か?」
「はい。今何時ですか?」
 昼の部が跳ねたら、一時間後には夜の部が始まる。
「まだ大丈夫や。紋乃、お医者さん呼んできて」
 綾之助は自分の楽屋に寝かされていた。
「スポーツドリンク買うてきた。飲めるか?」
「はい。すみません」
 飲み物を口にしたら、大分気分はすっきりした。
「浴衣どこに置いてるか分からへんかったからちょっと荷物の中いじってしもてん。ごめんな」
「ご迷惑をかけて、すみません」
 御曹司の手を色々煩わせたらしいことに気づいて、綾之助は恐縮した。
「お前、また痩せたんちゃうか。ちゃんと食べてるん」
「あまり食欲がなくて。ほんまにすみません。自己管理もちゃんとやれんで、恥ずかしいです」
 しかも新作の舞台で体調を崩すなんていうのは、最悪のことだった。他にセリフの入っている役者などまずいないのだ。代役を立てるのも難しい。
 知八はしばらくなにも言わなかった。
「午後の部出れるんか」
「はい、出ます」
「ほんだら、それまでにちゃんと食べて、ちょっとでも休んどきや」
 そう言った知八の声はすごく優しくて、この人はもう、うちのこと許してくれてるんやないか、と勘違いしそうになった。
「もし食欲なかったら」
 知八はそう言ったあと、少しためらっていたようだが、綾之助の右手に小さな箱を握らせた。
「これやったら食べられるんちゃう」
「五色豆……」
 京都でしか売っていないはずの十六五の五色豆だった。豆が嫌いな知八がなぜこんなものを持っているのだろう。京都から持ってきたのだろうか?
「綾、それ好きやろ」
「はい」
「それ上げるから、とりあえず今日あと一回、頑張ろな」
 そう言って知八は、手を握ってくれた。

 医者の見立ては過労に寝不足だった。完全に自己管理ができていなかった結果で、恥ずかしい限りだ。無理やりおにぎりを一つ食べた。二つ目を食べようと思ったけれどうまく喉を通らなくてやめた。かわりに知八のくれた五色豆を口に含む。ほろほろと糖衣が溶けて、甘味が口の中に広がる。優しい味だった。
 皆に心配されながら上がった夜の部。やはり板についている間はなんともなかったが、幕が引かれた途端また意識を持っていかれそうになって、ぐっと踏んばって耐えた。
 すぐに知八が寄ってきて、綾之助の腰に手を回し支えてくれる。
「大丈夫か」
「はい……」
 とはいえ、視界がところどころ侵食されている。
「ちょっと、座りたいです」
「分かった。袖まで行こう」
 知八が綾之助を支えたままゆっくり歩いてくれた。椅子に座ったところで、紋乃が水を持ってきた。
「綾ちゃん、大丈夫か?」
 蓮十郎が寄ってきて言ったので、立ち上がって挨拶しようとして、知八に押し止められた。
「ええから座っとき」
「すみません。大丈夫です、ご迷惑をおかけして」
「僕はなんも迷惑こうむってへんで。しかしあれやな。綾ちゃん忙しかったし、色々心労もあるみたいやし大変やわなあ」 
 と言ってちらっと知八を見る蓮十郎。
「綾ちゃん。今日僕、仕出し取ってんけど、一緒に食べるか」
 蓮十郎に言われて、綾之助は困った。本当は早く一人になって休みたい。
「兄さん。今日はやめてやってください」
 知八が少し憮然として言う。今このメンバー内で蓮十郎に意見できるのは彼だけだ。
「せやけど、綾ちゃんは一人やったら多分また食べへんと思うよ」
 確かに、あまり食べる気がしない。
「ご飯食べたらすぐ自分の部屋帰るから。二十分! 二十分だけ! 知八さんにも来てもらいますから」
 そう言って拝む蓮十郎に、結局知八は折れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

欠けるほど、光る

七賀ごふん
BL
【俺が知らない四年間は、どれほど長かったんだろう。】 一途な年下×雨が怖い青年

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

処理中です...