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第6章
優しい男
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目を開けると、至近距離に知八の顔があってびっくりした。
「綾! 大丈夫か?」
血相を変えて大声で叫ばれたが、綾之助は状況が全く飲み込めず、なんとも返事ができなかった。
「えっと」
「お前、舞台終わった瞬間倒れたんや」
「す、すみません」
「謝らんでええねん。大丈夫か?」
「はい。今何時ですか?」
昼の部が跳ねたら、一時間後には夜の部が始まる。
「まだ大丈夫や。紋乃、お医者さん呼んできて」
綾之助は自分の楽屋に寝かされていた。
「スポーツドリンク買うてきた。飲めるか?」
「はい。すみません」
飲み物を口にしたら、大分気分はすっきりした。
「浴衣どこに置いてるか分からへんかったからちょっと荷物の中いじってしもてん。ごめんな」
「ご迷惑をかけて、すみません」
御曹司の手を色々煩わせたらしいことに気づいて、綾之助は恐縮した。
「お前、また痩せたんちゃうか。ちゃんと食べてるん」
「あまり食欲がなくて。ほんまにすみません。自己管理もちゃんとやれんで、恥ずかしいです」
しかも新作の舞台で体調を崩すなんていうのは、最悪のことだった。他にセリフの入っている役者などまずいないのだ。代役を立てるのも難しい。
知八はしばらくなにも言わなかった。
「午後の部出れるんか」
「はい、出ます」
「ほんだら、それまでにちゃんと食べて、ちょっとでも休んどきや」
そう言った知八の声はすごく優しくて、この人はもう、うちのこと許してくれてるんやないか、と勘違いしそうになった。
「もし食欲なかったら」
知八はそう言ったあと、少しためらっていたようだが、綾之助の右手に小さな箱を握らせた。
「これやったら食べられるんちゃう」
「五色豆……」
京都でしか売っていないはずの十六五の五色豆だった。豆が嫌いな知八がなぜこんなものを持っているのだろう。京都から持ってきたのだろうか?
「綾、それ好きやろ」
「はい」
「それ上げるから、とりあえず今日あと一回、頑張ろな」
そう言って知八は、手を握ってくれた。
医者の見立ては過労に寝不足だった。完全に自己管理ができていなかった結果で、恥ずかしい限りだ。無理やりおにぎりを一つ食べた。二つ目を食べようと思ったけれどうまく喉を通らなくてやめた。かわりに知八のくれた五色豆を口に含む。ほろほろと糖衣が溶けて、甘味が口の中に広がる。優しい味だった。
皆に心配されながら上がった夜の部。やはり板についている間はなんともなかったが、幕が引かれた途端また意識を持っていかれそうになって、ぐっと踏んばって耐えた。
すぐに知八が寄ってきて、綾之助の腰に手を回し支えてくれる。
「大丈夫か」
「はい……」
とはいえ、視界がところどころ侵食されている。
「ちょっと、座りたいです」
「分かった。袖まで行こう」
知八が綾之助を支えたままゆっくり歩いてくれた。椅子に座ったところで、紋乃が水を持ってきた。
「綾ちゃん、大丈夫か?」
蓮十郎が寄ってきて言ったので、立ち上がって挨拶しようとして、知八に押し止められた。
「ええから座っとき」
「すみません。大丈夫です、ご迷惑をおかけして」
「僕はなんも迷惑こうむってへんで。しかしあれやな。綾ちゃん忙しかったし、色々心労もあるみたいやし大変やわなあ」
と言ってちらっと知八を見る蓮十郎。
「綾ちゃん。今日僕、仕出し取ってんけど、一緒に食べるか」
蓮十郎に言われて、綾之助は困った。本当は早く一人になって休みたい。
「兄さん。今日はやめてやってください」
知八が少し憮然として言う。今このメンバー内で蓮十郎に意見できるのは彼だけだ。
「せやけど、綾ちゃんは一人やったら多分また食べへんと思うよ」
確かに、あまり食べる気がしない。
「ご飯食べたらすぐ自分の部屋帰るから。二十分! 二十分だけ! 知八さんにも来てもらいますから」
そう言って拝む蓮十郎に、結局知八は折れた。
「綾! 大丈夫か?」
血相を変えて大声で叫ばれたが、綾之助は状況が全く飲み込めず、なんとも返事ができなかった。
「えっと」
「お前、舞台終わった瞬間倒れたんや」
「す、すみません」
「謝らんでええねん。大丈夫か?」
「はい。今何時ですか?」
昼の部が跳ねたら、一時間後には夜の部が始まる。
「まだ大丈夫や。紋乃、お医者さん呼んできて」
綾之助は自分の楽屋に寝かされていた。
「スポーツドリンク買うてきた。飲めるか?」
「はい。すみません」
飲み物を口にしたら、大分気分はすっきりした。
「浴衣どこに置いてるか分からへんかったからちょっと荷物の中いじってしもてん。ごめんな」
「ご迷惑をかけて、すみません」
御曹司の手を色々煩わせたらしいことに気づいて、綾之助は恐縮した。
「お前、また痩せたんちゃうか。ちゃんと食べてるん」
「あまり食欲がなくて。ほんまにすみません。自己管理もちゃんとやれんで、恥ずかしいです」
しかも新作の舞台で体調を崩すなんていうのは、最悪のことだった。他にセリフの入っている役者などまずいないのだ。代役を立てるのも難しい。
知八はしばらくなにも言わなかった。
「午後の部出れるんか」
「はい、出ます」
「ほんだら、それまでにちゃんと食べて、ちょっとでも休んどきや」
そう言った知八の声はすごく優しくて、この人はもう、うちのこと許してくれてるんやないか、と勘違いしそうになった。
「もし食欲なかったら」
知八はそう言ったあと、少しためらっていたようだが、綾之助の右手に小さな箱を握らせた。
「これやったら食べられるんちゃう」
「五色豆……」
京都でしか売っていないはずの十六五の五色豆だった。豆が嫌いな知八がなぜこんなものを持っているのだろう。京都から持ってきたのだろうか?
「綾、それ好きやろ」
「はい」
「それ上げるから、とりあえず今日あと一回、頑張ろな」
そう言って知八は、手を握ってくれた。
医者の見立ては過労に寝不足だった。完全に自己管理ができていなかった結果で、恥ずかしい限りだ。無理やりおにぎりを一つ食べた。二つ目を食べようと思ったけれどうまく喉を通らなくてやめた。かわりに知八のくれた五色豆を口に含む。ほろほろと糖衣が溶けて、甘味が口の中に広がる。優しい味だった。
皆に心配されながら上がった夜の部。やはり板についている間はなんともなかったが、幕が引かれた途端また意識を持っていかれそうになって、ぐっと踏んばって耐えた。
すぐに知八が寄ってきて、綾之助の腰に手を回し支えてくれる。
「大丈夫か」
「はい……」
とはいえ、視界がところどころ侵食されている。
「ちょっと、座りたいです」
「分かった。袖まで行こう」
知八が綾之助を支えたままゆっくり歩いてくれた。椅子に座ったところで、紋乃が水を持ってきた。
「綾ちゃん、大丈夫か?」
蓮十郎が寄ってきて言ったので、立ち上がって挨拶しようとして、知八に押し止められた。
「ええから座っとき」
「すみません。大丈夫です、ご迷惑をおかけして」
「僕はなんも迷惑こうむってへんで。しかしあれやな。綾ちゃん忙しかったし、色々心労もあるみたいやし大変やわなあ」
と言ってちらっと知八を見る蓮十郎。
「綾ちゃん。今日僕、仕出し取ってんけど、一緒に食べるか」
蓮十郎に言われて、綾之助は困った。本当は早く一人になって休みたい。
「兄さん。今日はやめてやってください」
知八が少し憮然として言う。今このメンバー内で蓮十郎に意見できるのは彼だけだ。
「せやけど、綾ちゃんは一人やったら多分また食べへんと思うよ」
確かに、あまり食べる気がしない。
「ご飯食べたらすぐ自分の部屋帰るから。二十分! 二十分だけ! 知八さんにも来てもらいますから」
そう言って拝む蓮十郎に、結局知八は折れた。
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