七日目のはるか

藤谷 郁

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11.志村梨乃の告白

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 二人はその後、手を繋いだ件にはひと言も触れず、館内を周った。
 春花は内心気まずかったが、志村はどうってこともない様子。イルカショーに歓声を上げ、タッチプールではヒトデを手のひらにのせてキャアキャアはしゃいでいる。
 深海の世界で起きたことなど、もう忘れてしまったのだ。

 女って強かだな――

 普通にデートを楽しむ志村を見て、春花は苦々しい気持ちになる。
 彼女にとって男と手を繋ぐくらい日常茶飯事なのだ。だから、手を振り払うこともせず、大人しくしていたのだろう。
 春花はあの時、志村が困っているものと思い込み、意地悪したのを悔いて手を離した。本当の男になったみたいで妙な気分だったし、気まずかった。
 それなのに彼女は、平気な顔。結局振り回される自分が馬鹿みたいだ。志村という女に、ますます腹が立ってくる。


 出口手前のショップでお土産を買ったあと、志村は春花をティールームに誘った。
 春花は早く帰りたかったが、一日歩き回って疲れちゃったと彼女が言うので、仕方なく付き合うことにする。
 わがままな志村にも、なぜか断りきれない自分にもイライラが募った。

 青いインテリアで統一されたティールームは、家族連れよりカップルの姿が多い。全体的に値段が高く、子ども受けするメニューも少なかった。
「このお店、情報誌に載ってたの。それでね、窓から見える夕陽がすごくきれいなんだって」
「へえ」
 なるほど、ガラス張りの窓には港湾が広がっている。
 夕陽などさして興味がない春花はすぐに前を向き、注文を取りに来た店員にコーヒーを頼んだ。志村は紅茶である。

 店員が去ると春花はテーブルに頬杖をつき、正面に座る志村梨乃を何となく見つめた。
 男好きのする可愛い顔立ち。コケティッシュな雰囲気。こんな女性に言い寄られたら、たいていの男はあっけなく陥落するだろう。
 春花はイライラが高まってきて、彼女を半ば睨んでいた。志村がそれを熱い視線として受け止めるとは思いもよらず。

「春彦君」
 志村はまぶしそうにこちらを見返し、頬をぽっと染める。
「何だかあなたって、わからないわ。どうしてあんなことをしたの」
「えっ?」
 一瞬ぽかんとするが、すぐに理解した。
 あんなことというのはおそらく、深海の世界で手を繋いだことだ。どうして今頃、そんなことを持ち出すのだろう。
 思わぬ時に思わぬ質問をされて、春花は動揺する。

「そっ、それは……」
「ねえ春彦クン。どうして?」
 志村の目は熱っぽく揺れている。小首を傾げてしなを作り、猫のように甘えた声で男を誘っていた。
 最後の仕上げにかかっているのだと春花は直感した。女としての魅力に絶対の自信を持ち、狙った獲物を捕えようとしている。
 春花は残酷な気持ちになった。欲情に満ちた彼女の目を見つめるうちに、日頃から抱く嫌悪感が思い出されてきた。

「君だから手を繋いだわけじゃないよ」
「えっ」
 志村の顔から朱が引き、少し白っぽくなる。
「それって、どういう意味?」
「あのさ……」
 やたらと攻撃的な衝動に駆られるのは、男性化したのが原因か。とにかく、相手をやっつけてやりたい。どちらが上なのか思い知らせてやりたい。
 ほとんどそれは、本能だった。

 春花は胸を反らし、テーブル越しに彼女を見下ろす。
「水槽の中で、カニが交尾してたよ」
「は……あ?」
 あの時、深海の世界に展示されていた何とかいうカ二が一対、長い足を絡ませ、体を重ねていた。
 春花がそれを目撃したのは本当だ。でも、ここからはこじつけである。
「それを見て欲情したんだ。誰でもいいから手を握りたくなった。それだけの話さ」

 志村は絶句し、震える手でカップを置く。カチャカチャという陶器の音が、彼女の心情を如実に表していた。
「……ひどいわ」
 語尾を震わせ、信じられないという表情を浮かべる。さっきまで濡れていた瞳には、怒りの色がさしていた。
 志村の被害者ぶった反応に、春花はますます嫌悪感を抱く。思いどおりの答えをもらえないから怒っているのだ、この女は。
 これまで軽んじてきた多くの男達と同じ立場になり、屈辱を覚えたのだろう。

「こうなったらハッキリ言うよ。俺は、君や君の仲間みたいな女達が大嫌いなんだ」
「私のこと何も知らないくせに、どうしてそんなふうに言えるの」
「知ってるんだよ」
「何ですって?」
 春花はハッとして口を押さえる。あとさき考えず、反射的に答えていた。
「私や友達のこと、初めから知ってたって言うの?」
「そうじゃなくて、その……見てりゃ大体わかるってことさ」

 慌てて言い直すが、我ながら適当すぎるセリフだと思った。どぎまぎして、冷や汗が出てくる。
「じゃあ訊くけど、私ってどういう女だと思うの? 私みたいな女って?」
 志村は興奮しているのか、春花のいいかげんな返事をまともに受け取り、ムキになって追及してきた。
 それならと、春花も思いきり本音をぶつける。
「発情してる女だよ」
「……」

 志村は愕然とした。予想以上にストレートで、衝撃的な答えだったのだろう。
 しばらく黙りこくった後、震える唇から涙声を漏らした。
「あなたって、外見だけじゃなく言うことまで神田さんにそっくりなのね」
 突然自分の苗字が出てきて、春花はぎょっとする。
 そして、志村の目からぽろぽろとしずくが落ちるのを見て、息が止まりそうになった。
「志村さん……」

 周囲の客がチラチラとこちらを窺い、眉をひそめるのがわかった。先ほどの、志村とのやり取りを聞かれたのだ。
 女の子に「発情してる」などと言い放つ男がいたら、春花だって最低だと思う。自分が男の外見であることが、居心地の悪さを倍加させていた。
 だけど、志村の嗚咽がおさまるまでその状況に耐えるほかない。彼女は春花が想像するよりずっと、傷付いてしまったようだ。

 大学のキャンパスで志村を突き放した時と同じ後悔が、胸にしみてくる。
 でも、どこか微妙に違っていた。今回は目の前の志村が、ずいぶんとか弱くもろい存在に思えるのだ。
 力が強く、主導権を取りたがる男に対し、せいいっぱいつっぱってみせる無手の存在。女という名の性。
 春花は不思議な気持ちだった。自分が男性体であるからなのか、それともシチュエ―ションのせいなのか判然としない。判然としないけれど、志村梨乃という一人の女性を、なぜだか愛しいと思える。
「志村さん、出ようか」
 春花が促すと、志村は素直に頷いて席を立った。



 外に出ると、夕陽が沈もうとしていた。
 遠くの水平線をオレンジに染め、長かった一日に幕を引く太陽のラストショー。
 恋人達が寄り添い合い、その哀愁と熱情の色を見つめている。
 春花と志村は港公園の端にぽつんとあるベンチに座った。互いに少し距離を置き、押し黙っている。
 端っこでも、視界が開けた場所なので海をよく見渡せた。

「あの……」
 沈黙を破ったのは志村だった。
「うん、何?」
 春花は慌てて彼女に見向く。どうしてか緊張している。
「私ね、同じ大学に気になる人がいるの」
「気になる人?」
「さっきも言ったでしょ、神田春花っていう子なんだけど」
「……」
 春花は志村に疑問の目を向けた。気になるというのは、どういう意味なのか。

「真面目で単純でお堅くて……ホント、私とは真逆な女の子なの」
「ふ、ふうん」
 まったくそのとおりなので、春花は返事のしようがない。風に乱れた前髪を、何となくかき上げた。
「でも私、彼女が男だったら、きっと本気で好きになってると思う。そんなタイプの女の子なの。最近、つきまといすぎて、徹底的に嫌われちゃったけど」
 志村の予期せぬ告白に、春花は頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。
 まさかと思った。

「だから、あなたを合コンで見つけた時、嬉しかった。神田さんを男にしたような、理想の男の子なんだもの。もう舞い上がっちゃって、すぐにアプローチしたの」
「……」
 学歴や身長など関係なくアプローチした理由は、それだったのだ。春花は合点がいくが、極めて複雑な心境になる。
 こんなことがあるのだろうか。
「春彦君。私と、付き合ってくれませんか」
 志村はあらためて春花に懇願した。こちらを見ることもできず、自信なさげに俯き声を震わせる。初めて目にする、志村の真剣な姿だった。
 春花は胸を突かれた。自分が知っている彼女ばかりが、彼女ではなかったのだ。

「ごめん」
 そう答えるのがやっとだった。
 志村は陽が沈んだ海をついと見上げ、独り言のようにつぶやく。
「バチが当たったのかな」
 春花は志村と同じ方向を見やった。遠くに貨物船の灯りが見える。今にも水平線から消えようとしている、小さな灯り。
「志村さんはいい子だよ」
「え……」
 肩先がぴくっと動くのが、視界のすみに映った。

「その……春花って人にも、俺に対するように素直になればいい。絶対に友達になれる」
 志村は横顔のまま、哀しそうに笑う。
「そうかな」
「ああ。君は今日から、素敵な女性になる」
 春花は志村に目を戻し、心をこめて伝えた。彼女もこちらを向いて目を合わせ、今度は嬉しそうに笑った。 
 とても可愛い顔だと、春花は感じている。

 志村とデートして良かった――

 女に戻ったら、こちらから話しかけて友達になろう。そんなふうに思える自分が不思議で、何だかとても幸せな気分だった。
(ありがとう、先生)
 心の中に浮かぶのは、にこにこと笑う真崎の顔。今すぐ彼のもとに戻り、今日のことを報告したくてたまらなかった。



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