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揺れる心
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『もしもし、北見さん?』
「あ、ごめんなさい」
番号をメモして、受話器を置いた。
(どうして海藤さんが私に……? わざわざ会社に電話してくるなんて)
折り返すかどうか迷い、結局手帳を閉じる。
これから嶺倉さんとデートなのだ。何の用事か知らないが、大切な時間を他の男性に煩わされたくない。
「もう行かなきゃ」
更衣室を出て、ロータリーへと急いだ。
正面玄関の真ん前にタクシーがとまっていた。
嶺倉さんは既に乗り込んでいるのか、姿が見えない。
(どうしよう。やっぱりすごく目立つ)
ここまで来たものの、いざとなるとためらってしまう。
とまっているのはタクシー一台で、他に車も人影もない。だが、ビルの玄関はガラス張りなので、受付やロビーからはロータリーが丸見えである。
(ええい、さっと乗ってしまおう)
他の社員にばれないよう、嶺倉さんも配慮してくれるはず。何か考えがあるのだ。
彼を信じて足を進めた――
「えっ?」
反射的に身体が強張る。
何と、タクシーの後部席のドアが開き、嶺倉さんが出てきた。
「瑤子さん!」
私の名前を呼んだ。ただでさえ通る彼の声が、ドーム状のひさしに大きく反響する。
「ちょ……、嶺倉さん?」
辺りに人影がないとはいえ、私は焦りまくった。
冷や汗を飛ばしつつ、慌てて彼のもとへダッシュする。
「やあ、瑤子さん。会議が早く終わって良かったよ。君も仕事は……」
「早く乗ってください!」
涼しい顔の嶺倉さんを座席に押し込み、自分も続いた。運転手さんにすぐにドアを閉めてもらい、外から見えないよう頭を低くする。
「そんなに慌てなくても。腹が減ってるのか?」
「あのねえ……」
とぼけたことを言う彼を、キッと睨み付けた。
車が動き出し、本社ビルからじゅうぶん離れてからシートに座り直す。
「一体、何を考えてるんです。私達の関係は、他の社員に内緒なんですよ?」
「ああ、それな」
なぜか余裕の態度。私は逆に興奮してきた。
「嶺倉さんっ」
「あー、ストップストップ。俺だって分かってるよ。だが、状況が変わっちまったんだ」
「はい?」
私の勢いに、さすがの彼も押され気味だ。ネクタイを緩めてから、言葉を継ぐ。
「瑤子さんとの約束を、俺は守ったよ。だから、今日顔を合わせても、初対面の振りをしただろ?」
「え、ええ」
確かにそのとおり。受付に迎えに行った時、嶺倉さんは私の演技に合わせてくれた。
「でも、あの人が喋っちゃったんだよ」
「あの人?」
ぱっと頭に浮かんだのは、ただ一人。私と嶺倉さんの関係を知っているのは……
「まさか、金田専務?」
「うん。秘密にしてもいずればれるから、最初から風通しを良くしましょうって。だから、今後は隠してもしょうがないってわけ」
「えええっ?」
専務が喋った? 私と嶺倉さんが、結婚を前提に付き合っていることを?
「誰に、喋ったんです……?」
恐る恐る尋ねる私に、彼はさらりと答えた。
「名前は知らないけど、お茶を運んで来た事務員さん。確か、営業部の人だったな。専務がその人の前でお喋りしたんだ。『北見君との婚約はいつ頃ですか』とか、『北見君はあなたにべた惚れですよ』とか、わざとらしく大きな声でね。俺もとっさのことで、ごまかしきれなくてさ。彼女、かなり驚いた様子だったよ」
営業部の事務員というと、おそらく河内さんだ。彼女は専務に、会議室の準備を頼まれていた。
「ほ、他には?」
「今のところ、彼女だけ。俺の知る限りはね」
「そうですか……」
ぐったりとシートにもたれた。
河内さんは女性社員の中でも、特に噂好きな人だ。彼女に知られたとなると、もう隠し立てはできない。
(ん? でも、おかしいわね)
いつもの彼女なら、とうに噂を広げている。でも、社内にそんな気配はなく、帰り際まで誰にも何も言われず、普段と変わらぬ空気だった。
どういうことだろう。普段どおりすぎて、かえって不気味である。
「でもさ、瑤子さん。俺も専務に賛成だな」
「え?」
見ると、嶺倉さんは私にぐっと近づいていた。
「な、ちょっと……」
「だって、そうだろ。専務の言うとおり、君は俺にベタ惚れみたいだし? 両思いなんだから、明日にでも籍を入れたって構わない関係だ」
両思いという言葉に、心が激しくときめく。
「う……でも」
「隠すことに何の意味がある?」
正面から問いかけられ、返事に詰まる。この複雑な気持ちは、うまく説明できそうにないし、彼には理解不能だろう。
困りきった私は、迫りくる瞳から視線を逸らした。
「瑤子さん」
「み、嶺倉さんには、分かりません。私はあなたのように、器用じゃないんです」
「……」
少しムッとしたのが、息遣いに表れていた。
「あ、ごめんなさい」
番号をメモして、受話器を置いた。
(どうして海藤さんが私に……? わざわざ会社に電話してくるなんて)
折り返すかどうか迷い、結局手帳を閉じる。
これから嶺倉さんとデートなのだ。何の用事か知らないが、大切な時間を他の男性に煩わされたくない。
「もう行かなきゃ」
更衣室を出て、ロータリーへと急いだ。
正面玄関の真ん前にタクシーがとまっていた。
嶺倉さんは既に乗り込んでいるのか、姿が見えない。
(どうしよう。やっぱりすごく目立つ)
ここまで来たものの、いざとなるとためらってしまう。
とまっているのはタクシー一台で、他に車も人影もない。だが、ビルの玄関はガラス張りなので、受付やロビーからはロータリーが丸見えである。
(ええい、さっと乗ってしまおう)
他の社員にばれないよう、嶺倉さんも配慮してくれるはず。何か考えがあるのだ。
彼を信じて足を進めた――
「えっ?」
反射的に身体が強張る。
何と、タクシーの後部席のドアが開き、嶺倉さんが出てきた。
「瑤子さん!」
私の名前を呼んだ。ただでさえ通る彼の声が、ドーム状のひさしに大きく反響する。
「ちょ……、嶺倉さん?」
辺りに人影がないとはいえ、私は焦りまくった。
冷や汗を飛ばしつつ、慌てて彼のもとへダッシュする。
「やあ、瑤子さん。会議が早く終わって良かったよ。君も仕事は……」
「早く乗ってください!」
涼しい顔の嶺倉さんを座席に押し込み、自分も続いた。運転手さんにすぐにドアを閉めてもらい、外から見えないよう頭を低くする。
「そんなに慌てなくても。腹が減ってるのか?」
「あのねえ……」
とぼけたことを言う彼を、キッと睨み付けた。
車が動き出し、本社ビルからじゅうぶん離れてからシートに座り直す。
「一体、何を考えてるんです。私達の関係は、他の社員に内緒なんですよ?」
「ああ、それな」
なぜか余裕の態度。私は逆に興奮してきた。
「嶺倉さんっ」
「あー、ストップストップ。俺だって分かってるよ。だが、状況が変わっちまったんだ」
「はい?」
私の勢いに、さすがの彼も押され気味だ。ネクタイを緩めてから、言葉を継ぐ。
「瑤子さんとの約束を、俺は守ったよ。だから、今日顔を合わせても、初対面の振りをしただろ?」
「え、ええ」
確かにそのとおり。受付に迎えに行った時、嶺倉さんは私の演技に合わせてくれた。
「でも、あの人が喋っちゃったんだよ」
「あの人?」
ぱっと頭に浮かんだのは、ただ一人。私と嶺倉さんの関係を知っているのは……
「まさか、金田専務?」
「うん。秘密にしてもいずればれるから、最初から風通しを良くしましょうって。だから、今後は隠してもしょうがないってわけ」
「えええっ?」
専務が喋った? 私と嶺倉さんが、結婚を前提に付き合っていることを?
「誰に、喋ったんです……?」
恐る恐る尋ねる私に、彼はさらりと答えた。
「名前は知らないけど、お茶を運んで来た事務員さん。確か、営業部の人だったな。専務がその人の前でお喋りしたんだ。『北見君との婚約はいつ頃ですか』とか、『北見君はあなたにべた惚れですよ』とか、わざとらしく大きな声でね。俺もとっさのことで、ごまかしきれなくてさ。彼女、かなり驚いた様子だったよ」
営業部の事務員というと、おそらく河内さんだ。彼女は専務に、会議室の準備を頼まれていた。
「ほ、他には?」
「今のところ、彼女だけ。俺の知る限りはね」
「そうですか……」
ぐったりとシートにもたれた。
河内さんは女性社員の中でも、特に噂好きな人だ。彼女に知られたとなると、もう隠し立てはできない。
(ん? でも、おかしいわね)
いつもの彼女なら、とうに噂を広げている。でも、社内にそんな気配はなく、帰り際まで誰にも何も言われず、普段と変わらぬ空気だった。
どういうことだろう。普段どおりすぎて、かえって不気味である。
「でもさ、瑤子さん。俺も専務に賛成だな」
「え?」
見ると、嶺倉さんは私にぐっと近づいていた。
「な、ちょっと……」
「だって、そうだろ。専務の言うとおり、君は俺にベタ惚れみたいだし? 両思いなんだから、明日にでも籍を入れたって構わない関係だ」
両思いという言葉に、心が激しくときめく。
「う……でも」
「隠すことに何の意味がある?」
正面から問いかけられ、返事に詰まる。この複雑な気持ちは、うまく説明できそうにないし、彼には理解不能だろう。
困りきった私は、迫りくる瞳から視線を逸らした。
「瑤子さん」
「み、嶺倉さんには、分かりません。私はあなたのように、器用じゃないんです」
「……」
少しムッとしたのが、息遣いに表れていた。
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