ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁

文字の大きさ
13 / 41
三十路のお見合い

13

しおりを挟む
 真面目になったり、ふざけたり、どこまで本気なのか分からない。
 でも、そんなことはもう、どうでもいいことのような気がする。広々とした海を眺め、私の心は穏やかに凪いでいた。
「魅力的なんて……そんなこと言うの、嶺倉さんだけですよ」
「俺は分かってるからね」
 自信満々の発言だ。なぜそこまで言いきれるのか。明確な答えを持っているから?
「教えてください。私のどこが間違っているのか」
「自己評価のことか」
「はい」
 素直に返事をすると、嶺倉さんは満足げに笑った。
「よっしゃ、少しは前向きになったな」

 やはりこの人は大人だ。学生時代に付き合っていた彼氏とは違う。
 ふと、そんなことを思い、肩の力が抜けるのを感じた。なぜここへきて元カレと比べるのか、よく分からないけれど。
「じゃあ、教えてやる。自己評価の『ダメ出し』だけどさ、マイナス方向に考えることが間違ってるんだな。君があげつらった欠点は、裏を返せば全部美点になる」
「え……」
 私は目を瞬かせた。それは、あまりにも極端な話である。
「全部美点にって、どんな風にですか?」
「例えば、君は確かに地味だが、俺達のような外部の人間には真面目で堅実な印象を与える。これは会社にとってプラスになるぜ。それに、お洒落を手抜きするといっても、だらしないわけじゃないだろ?」
「え、ええ」

 そう言えないことも、ないけれど……

 よく分からない顔をする私に、嶺倉さんはさらに続けた。
「細かくて融通が利かないってのも、経理をあずかる人間なら当然のことだ。ましてや君は主任であり、後輩を指導する立場。ビシッと締めてくれなきゃ困るぜ」
「……」
 私がいい加減な処理をすれば、後輩もそれにならい、不要な出費も経費と認めてしまうだろう。絶対にあってはならないことだ。
「瑤子さんは仕事に責任を持ち、社会人として真面目に働いてる。これのどこが欠点なんだよ」
「はあ、でも……」
「まだ納得できない?」

 嶺倉さんは腰に手をあて、聞く体勢をとる。体格の良い男性がどっしり構える姿は、理屈抜きの頼もしさがあった。言いにくいことでも、今なら言えそうだ。
「私、会社の人……特に男性社員に、可愛げのない女だって噂されてるみたいで。女性社員にも陰口を言われてしまって」
「へえ、どうして」
 不思議そうに訊く。大体分かるだろうに、少し意地悪だと思った。
「ですから、地味な外見や融通が利かない性格が『欠点』だからでしょう……やっぱり」
「ふーむ」
 顎を撫で、彼は思案する。
 風が吹き、アロハシャツがさらにはだけて、逞しい胸や腹が丸見えになった。しかし彼は考えることに集中し、気に留める様子もない。 

「これは、例えばの話なんだけどさ。いつだったか、漁協のおばさんが子育てについて話してたんだ」
「子育て?」
 一体何のたとえ話だろう。私はとりあえず耳を傾ける。
「息子さんが中学生の頃、親の言うことを聞かなくて、かなり悩んだらしい。プリントを出さないとか、毎日遅刻だとか、がみがみ怒っても改善しない。そんなある日、おばさんは体調を崩し、一週間ほど寝込んでしまった。怒る元気がないから、必要最低限の指導をするのみ。ますますダメな子になると、おばさんは嘆いたわけだ。ところが、そんな状態にも関わらず、息子さんは言われなくてもプリントを出し、遅刻しないようになった。そこでおばさんは気付いたそうだ。がみがみ言うのは効果なしで、かえって正常なコミュニケーションを妨げていたと」

 私は話を聞きながら、そういえば中学生の頃、母親の小言がうるさくて反抗していたなと思い出す。母親をうっとうしく感じ、友達に愚痴っていた。
「その後、おばさんは接し方をあらため、息子さんも嘘みたいに素直になったそうだ。この関係、大人同士の付き合いにも当てはまるよな」
「あ……」
 私はようやく、たとえ話の意味を理解する。
 漁協のおばさんは私、息子さんは会社の人達だ。私は経理課主任として、相手にどんな事情があろうと、ダメなものはダメと突っぱねてきた。もちろん言いわけも聞かない。

 悪く言われる原因は、自分が思い込む『欠点』ではなく、一方的に断罪するような態度だ。職務上正しいことを言っても反感を買うだろう。私は、周囲とのコミュニケ―ションを自ら断っていたのだ。
「悪いスパイラルに入ってたのかも。どうせ嫌われ者だし、愛想よくしても仕方ない……みたいな」

 ――経理の北見さんって、取っ付きにくいよね
 ――無愛想なオバサンなんて需要ないって

 営業事務三人娘の噂話は的を射ていた。今さらながら胸に突き刺さる。
「相手に対して身構えず、穏やかな気持ちで接してみろ。あと、笑顔な。君は分かってないみたいだけど、君の笑顔は……」
 嶺倉さんはちょっと照れたように言った。
「めちゃくちゃ魅力的だ。嫌う奴なんかいねーよ」
 彼の頬が赤らむのを見て、私まで照れてしまう。スケベなことを平気で言うくせに、どうして笑顔を褒めて恥ずかしそうにするのか。

(嶺倉さんって、変な人……でも、いろんなことがクリアになった気分)

「ありがとうございます。勉強になりました」
「勉強って……ははは、瑤子さんらしいなあ。ところでさ」
 嶺倉さんは私の全身をしげしげと見回してきた。
「あの……何か?」
「いや、赤いドレスも似合うけど、水色のワンピースも良かったなあ。今日はちゃんと化粧して、お洒落して、俺に会いに来たんだろ? 全然手抜きじゃなかったぜ」
「そっ、それは……お見合いだから」
「つまり、俺のためにきれいにしたわけだ」
 俺のために――という部分を強調し、嶺倉さんはにんまりとする。

 実際そのとおりなので、否定もできず。私は何となくもじもじした。

「瑤子さんはきれいだ。これからも、今日みたいに着飾ればいい」
「え……」
 会社で、ということだろうか。
「まさか、今さらそんな。職場では地味なアラサーで通ってるし、急に洒落めかしたら何を言われるか」
「でも、君が楽しいだろ?」
「うっ」
 鋭い指摘に絶句する。この人は、どうしてこうも解ってしまうのか。
「口紅の色を変えるとか、シャツの色を明るくするとか、ちょっとしたことで気分が上がるんじゃないの?」
「そうかも……しれません」

 私は今朝、久しぶりに化粧して、新しいワンピースを着て、女を取り戻した感覚になった。お見合いのためだけど、着飾るのは楽しかった。
(職場でお洒落……これまで、考えたこともない)
 でも、本当はどうだった? 私は自分に問いかける。仕事に必要ないし、自分のイメージに合わないと、無理に思い込んでいたのでは……
「分かりました。少し、考えてみます」
「うん、素直でよろしい。ただし!」
「えっ?」
 嶺倉さんは急に厳しい調子になり、迫って来た。距離、というか顔が近い!

「なっ、何ですか?」
「あまりきれいにすると、男が放っておかなくなる。ほどほどにしておけよ」
「はあ?」
「瑤子さんは、俺のものだからな」
「……」
 勝手な言い分に呆れた。でも、大真面目な顔が可笑しくて、つい笑ってしまう。
「おい、何が可笑しい」
「だって、嶺倉さんは私を高評価しすぎです」
「いやだから、瑤子さんは魅力的だと何べんも言ってるだろ。ていうか、別に俺としては、地味なままでも構わないんだけど?」
「いいえ、あなたのおかげでやる気になりました。めいっぱいお洒落して、自分を再評価してみます」
 嶺倉さんは口を尖らせるが、すぐに微笑んだ。

「ったく、心配だなあ。でもま、前向きになったんならそれでいいや。前向きな気持ちは、仕事の面でもプラスに働くだろ」
「はい」
 頷き合った時、部屋のチャイムが鳴った。澤田さんがティーセットを運んで来たようだ。
「いいタイミングだぜ。瑤子さんと二人きりだから、緊張して喉が渇いちゃったよ」
「もう、よく言いますね」
 部屋に入った時、私のほうが緊張していた。
 でも、今はすっかりリラックスモード。嶺倉さんが腰に手を回しても抵抗せず、逃げることなくリードに従った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

俺様御曹司に飼われました

馬村 はくあ
恋愛
新入社員の心海が、与えられた社宅に行くと先住民が!? 「俺に飼われてみる?」 自分の家だと言い張る先住民に出された条件は、カノジョになること。 しぶしぶ受け入れてみるけど、俺様だけど優しいそんな彼にいつしか惹かれていって……

悪夢から逃れたら前世の夫がおかしい

はなまる
恋愛
ミモザは結婚している。だが夫のライオスには愛人がいてミモザは見向きもされない。それなのに義理母は跡取りを待ち望んでいる。だが息子のライオスはミモザと初夜の一度っきり相手をして後は一切接触して来ない。  義理母はどうにかして跡取りをと考えとんでもないことを思いつく。  それは自分の夫クリスト。ミモザに取ったら義理父を受け入れさせることだった。  こんなの悪夢としか思えない。そんな状況で階段から落ちそうになって前世を思い出す。その時助けてくれた男が前世の夫セルカークだったなんて…  セルカークもとんでもない夫だった。ミモザはとうとうこんな悪夢に立ち向かうことにする。  短編スタートでしたが、思ったより文字数が増えそうです。もうしばらくお付き合い痛手蹴るとすごくうれしいです。最後目でよろしくお願いします。

もう捕まらないから

どくりんご
恋愛
 お願い、許して  もう捕まらないから

愚かな恋

はるきりょう
恋愛
そして、呪文のように繰り返すのだ。「里美。好きなんだ」と。 私の顔を見て、私のではない名前を呼ぶ。

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

私の何がいけないんですか?

鈴宮(すずみや)
恋愛
 王太子ヨナスの幼馴染兼女官であるエラは、結婚を焦り、夜会通いに明け暮れる十八歳。けれど、社交界デビューをして二年、ヨナス以外の誰も、エラをダンスへと誘ってくれない。 「私の何がいけないの?」  嘆く彼女に、ヨナスが「好きだ」と想いを告白。密かに彼を想っていたエラは舞い上がり、将来への期待に胸を膨らませる。  けれどその翌日、無情にもヨナスと公爵令嬢クラウディアの婚約が発表されてしまう。  傷心のエラ。そんな時、彼女は美しき青年ハンネスと出会う。ハンネスはエラをダンスへと誘い、優しく励ましてくれる。 (一体彼は何者なんだろう?)  素性も分からない、一度踊っただけの彼を想うエラ。そんなエラに、ヨナスが迫り――――? ※短期集中連載。10話程度、2~3万字で完結予定です。

処理中です...