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三十路のお見合い
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真面目になったり、ふざけたり、どこまで本気なのか分からない。
でも、そんなことはもう、どうでもいいことのような気がする。広々とした海を眺め、私の心は穏やかに凪いでいた。
「魅力的なんて……そんなこと言うの、嶺倉さんだけですよ」
「俺は分かってるからね」
自信満々の発言だ。なぜそこまで言いきれるのか。明確な答えを持っているから?
「教えてください。私のどこが間違っているのか」
「自己評価のことか」
「はい」
素直に返事をすると、嶺倉さんは満足げに笑った。
「よっしゃ、少しは前向きになったな」
やはりこの人は大人だ。学生時代に付き合っていた彼氏とは違う。
ふと、そんなことを思い、肩の力が抜けるのを感じた。なぜここへきて元カレと比べるのか、よく分からないけれど。
「じゃあ、教えてやる。自己評価の『ダメ出し』だけどさ、マイナス方向に考えることが間違ってるんだな。君があげつらった欠点は、裏を返せば全部美点になる」
「え……」
私は目を瞬かせた。それは、あまりにも極端な話である。
「全部美点にって、どんな風にですか?」
「例えば、君は確かに地味だが、俺達のような外部の人間には真面目で堅実な印象を与える。これは会社にとってプラスになるぜ。それに、お洒落を手抜きするといっても、だらしないわけじゃないだろ?」
「え、ええ」
そう言えないことも、ないけれど……
よく分からない顔をする私に、嶺倉さんはさらに続けた。
「細かくて融通が利かないってのも、経理をあずかる人間なら当然のことだ。ましてや君は主任であり、後輩を指導する立場。ビシッと締めてくれなきゃ困るぜ」
「……」
私がいい加減な処理をすれば、後輩もそれにならい、不要な出費も経費と認めてしまうだろう。絶対にあってはならないことだ。
「瑤子さんは仕事に責任を持ち、社会人として真面目に働いてる。これのどこが欠点なんだよ」
「はあ、でも……」
「まだ納得できない?」
嶺倉さんは腰に手をあて、聞く体勢をとる。体格の良い男性がどっしり構える姿は、理屈抜きの頼もしさがあった。言いにくいことでも、今なら言えそうだ。
「私、会社の人……特に男性社員に、可愛げのない女だって噂されてるみたいで。女性社員にも陰口を言われてしまって」
「へえ、どうして」
不思議そうに訊く。大体分かるだろうに、少し意地悪だと思った。
「ですから、地味な外見や融通が利かない性格が『欠点』だからでしょう……やっぱり」
「ふーむ」
顎を撫で、彼は思案する。
風が吹き、アロハシャツがさらにはだけて、逞しい胸や腹が丸見えになった。しかし彼は考えることに集中し、気に留める様子もない。
「これは、例えばの話なんだけどさ。いつだったか、漁協のおばさんが子育てについて話してたんだ」
「子育て?」
一体何のたとえ話だろう。私はとりあえず耳を傾ける。
「息子さんが中学生の頃、親の言うことを聞かなくて、かなり悩んだらしい。プリントを出さないとか、毎日遅刻だとか、がみがみ怒っても改善しない。そんなある日、おばさんは体調を崩し、一週間ほど寝込んでしまった。怒る元気がないから、必要最低限の指導をするのみ。ますますダメな子になると、おばさんは嘆いたわけだ。ところが、そんな状態にも関わらず、息子さんは言われなくてもプリントを出し、遅刻しないようになった。そこでおばさんは気付いたそうだ。がみがみ言うのは効果なしで、かえって正常なコミュニケーションを妨げていたと」
私は話を聞きながら、そういえば中学生の頃、母親の小言がうるさくて反抗していたなと思い出す。母親をうっとうしく感じ、友達に愚痴っていた。
「その後、おばさんは接し方をあらため、息子さんも嘘みたいに素直になったそうだ。この関係、大人同士の付き合いにも当てはまるよな」
「あ……」
私はようやく、たとえ話の意味を理解する。
漁協のおばさんは私、息子さんは会社の人達だ。私は経理課主任として、相手にどんな事情があろうと、ダメなものはダメと突っぱねてきた。もちろん言いわけも聞かない。
悪く言われる原因は、自分が思い込む『欠点』ではなく、一方的に断罪するような態度だ。職務上正しいことを言っても反感を買うだろう。私は、周囲とのコミュニケ―ションを自ら断っていたのだ。
「悪いスパイラルに入ってたのかも。どうせ嫌われ者だし、愛想よくしても仕方ない……みたいな」
――経理の北見さんって、取っ付きにくいよね
――無愛想なオバサンなんて需要ないって
営業事務三人娘の噂話は的を射ていた。今さらながら胸に突き刺さる。
「相手に対して身構えず、穏やかな気持ちで接してみろ。あと、笑顔な。君は分かってないみたいだけど、君の笑顔は……」
嶺倉さんはちょっと照れたように言った。
「めちゃくちゃ魅力的だ。嫌う奴なんかいねーよ」
彼の頬が赤らむのを見て、私まで照れてしまう。スケベなことを平気で言うくせに、どうして笑顔を褒めて恥ずかしそうにするのか。
(嶺倉さんって、変な人……でも、いろんなことがクリアになった気分)
「ありがとうございます。勉強になりました」
「勉強って……ははは、瑤子さんらしいなあ。ところでさ」
嶺倉さんは私の全身をしげしげと見回してきた。
「あの……何か?」
「いや、赤いドレスも似合うけど、水色のワンピースも良かったなあ。今日はちゃんと化粧して、お洒落して、俺に会いに来たんだろ? 全然手抜きじゃなかったぜ」
「そっ、それは……お見合いだから」
「つまり、俺のためにきれいにしたわけだ」
俺のために――という部分を強調し、嶺倉さんはにんまりとする。
実際そのとおりなので、否定もできず。私は何となくもじもじした。
「瑤子さんはきれいだ。これからも、今日みたいに着飾ればいい」
「え……」
会社で、ということだろうか。
「まさか、今さらそんな。職場では地味なアラサーで通ってるし、急に洒落めかしたら何を言われるか」
「でも、君が楽しいだろ?」
「うっ」
鋭い指摘に絶句する。この人は、どうしてこうも解ってしまうのか。
「口紅の色を変えるとか、シャツの色を明るくするとか、ちょっとしたことで気分が上がるんじゃないの?」
「そうかも……しれません」
私は今朝、久しぶりに化粧して、新しいワンピースを着て、女を取り戻した感覚になった。お見合いのためだけど、着飾るのは楽しかった。
(職場でお洒落……これまで、考えたこともない)
でも、本当はどうだった? 私は自分に問いかける。仕事に必要ないし、自分のイメージに合わないと、無理に思い込んでいたのでは……
「分かりました。少し、考えてみます」
「うん、素直でよろしい。ただし!」
「えっ?」
嶺倉さんは急に厳しい調子になり、迫って来た。距離、というか顔が近い!
「なっ、何ですか?」
「あまりきれいにすると、男が放っておかなくなる。ほどほどにしておけよ」
「はあ?」
「瑤子さんは、俺のものだからな」
「……」
勝手な言い分に呆れた。でも、大真面目な顔が可笑しくて、つい笑ってしまう。
「おい、何が可笑しい」
「だって、嶺倉さんは私を高評価しすぎです」
「いやだから、瑤子さんは魅力的だと何べんも言ってるだろ。ていうか、別に俺としては、地味なままでも構わないんだけど?」
「いいえ、あなたのおかげでやる気になりました。めいっぱいお洒落して、自分を再評価してみます」
嶺倉さんは口を尖らせるが、すぐに微笑んだ。
「ったく、心配だなあ。でもま、前向きになったんならそれでいいや。前向きな気持ちは、仕事の面でもプラスに働くだろ」
「はい」
頷き合った時、部屋のチャイムが鳴った。澤田さんがティーセットを運んで来たようだ。
「いいタイミングだぜ。瑤子さんと二人きりだから、緊張して喉が渇いちゃったよ」
「もう、よく言いますね」
部屋に入った時、私のほうが緊張していた。
でも、今はすっかりリラックスモード。嶺倉さんが腰に手を回しても抵抗せず、逃げることなくリードに従った。
でも、そんなことはもう、どうでもいいことのような気がする。広々とした海を眺め、私の心は穏やかに凪いでいた。
「魅力的なんて……そんなこと言うの、嶺倉さんだけですよ」
「俺は分かってるからね」
自信満々の発言だ。なぜそこまで言いきれるのか。明確な答えを持っているから?
「教えてください。私のどこが間違っているのか」
「自己評価のことか」
「はい」
素直に返事をすると、嶺倉さんは満足げに笑った。
「よっしゃ、少しは前向きになったな」
やはりこの人は大人だ。学生時代に付き合っていた彼氏とは違う。
ふと、そんなことを思い、肩の力が抜けるのを感じた。なぜここへきて元カレと比べるのか、よく分からないけれど。
「じゃあ、教えてやる。自己評価の『ダメ出し』だけどさ、マイナス方向に考えることが間違ってるんだな。君があげつらった欠点は、裏を返せば全部美点になる」
「え……」
私は目を瞬かせた。それは、あまりにも極端な話である。
「全部美点にって、どんな風にですか?」
「例えば、君は確かに地味だが、俺達のような外部の人間には真面目で堅実な印象を与える。これは会社にとってプラスになるぜ。それに、お洒落を手抜きするといっても、だらしないわけじゃないだろ?」
「え、ええ」
そう言えないことも、ないけれど……
よく分からない顔をする私に、嶺倉さんはさらに続けた。
「細かくて融通が利かないってのも、経理をあずかる人間なら当然のことだ。ましてや君は主任であり、後輩を指導する立場。ビシッと締めてくれなきゃ困るぜ」
「……」
私がいい加減な処理をすれば、後輩もそれにならい、不要な出費も経費と認めてしまうだろう。絶対にあってはならないことだ。
「瑤子さんは仕事に責任を持ち、社会人として真面目に働いてる。これのどこが欠点なんだよ」
「はあ、でも……」
「まだ納得できない?」
嶺倉さんは腰に手をあて、聞く体勢をとる。体格の良い男性がどっしり構える姿は、理屈抜きの頼もしさがあった。言いにくいことでも、今なら言えそうだ。
「私、会社の人……特に男性社員に、可愛げのない女だって噂されてるみたいで。女性社員にも陰口を言われてしまって」
「へえ、どうして」
不思議そうに訊く。大体分かるだろうに、少し意地悪だと思った。
「ですから、地味な外見や融通が利かない性格が『欠点』だからでしょう……やっぱり」
「ふーむ」
顎を撫で、彼は思案する。
風が吹き、アロハシャツがさらにはだけて、逞しい胸や腹が丸見えになった。しかし彼は考えることに集中し、気に留める様子もない。
「これは、例えばの話なんだけどさ。いつだったか、漁協のおばさんが子育てについて話してたんだ」
「子育て?」
一体何のたとえ話だろう。私はとりあえず耳を傾ける。
「息子さんが中学生の頃、親の言うことを聞かなくて、かなり悩んだらしい。プリントを出さないとか、毎日遅刻だとか、がみがみ怒っても改善しない。そんなある日、おばさんは体調を崩し、一週間ほど寝込んでしまった。怒る元気がないから、必要最低限の指導をするのみ。ますますダメな子になると、おばさんは嘆いたわけだ。ところが、そんな状態にも関わらず、息子さんは言われなくてもプリントを出し、遅刻しないようになった。そこでおばさんは気付いたそうだ。がみがみ言うのは効果なしで、かえって正常なコミュニケーションを妨げていたと」
私は話を聞きながら、そういえば中学生の頃、母親の小言がうるさくて反抗していたなと思い出す。母親をうっとうしく感じ、友達に愚痴っていた。
「その後、おばさんは接し方をあらため、息子さんも嘘みたいに素直になったそうだ。この関係、大人同士の付き合いにも当てはまるよな」
「あ……」
私はようやく、たとえ話の意味を理解する。
漁協のおばさんは私、息子さんは会社の人達だ。私は経理課主任として、相手にどんな事情があろうと、ダメなものはダメと突っぱねてきた。もちろん言いわけも聞かない。
悪く言われる原因は、自分が思い込む『欠点』ではなく、一方的に断罪するような態度だ。職務上正しいことを言っても反感を買うだろう。私は、周囲とのコミュニケ―ションを自ら断っていたのだ。
「悪いスパイラルに入ってたのかも。どうせ嫌われ者だし、愛想よくしても仕方ない……みたいな」
――経理の北見さんって、取っ付きにくいよね
――無愛想なオバサンなんて需要ないって
営業事務三人娘の噂話は的を射ていた。今さらながら胸に突き刺さる。
「相手に対して身構えず、穏やかな気持ちで接してみろ。あと、笑顔な。君は分かってないみたいだけど、君の笑顔は……」
嶺倉さんはちょっと照れたように言った。
「めちゃくちゃ魅力的だ。嫌う奴なんかいねーよ」
彼の頬が赤らむのを見て、私まで照れてしまう。スケベなことを平気で言うくせに、どうして笑顔を褒めて恥ずかしそうにするのか。
(嶺倉さんって、変な人……でも、いろんなことがクリアになった気分)
「ありがとうございます。勉強になりました」
「勉強って……ははは、瑤子さんらしいなあ。ところでさ」
嶺倉さんは私の全身をしげしげと見回してきた。
「あの……何か?」
「いや、赤いドレスも似合うけど、水色のワンピースも良かったなあ。今日はちゃんと化粧して、お洒落して、俺に会いに来たんだろ? 全然手抜きじゃなかったぜ」
「そっ、それは……お見合いだから」
「つまり、俺のためにきれいにしたわけだ」
俺のために――という部分を強調し、嶺倉さんはにんまりとする。
実際そのとおりなので、否定もできず。私は何となくもじもじした。
「瑤子さんはきれいだ。これからも、今日みたいに着飾ればいい」
「え……」
会社で、ということだろうか。
「まさか、今さらそんな。職場では地味なアラサーで通ってるし、急に洒落めかしたら何を言われるか」
「でも、君が楽しいだろ?」
「うっ」
鋭い指摘に絶句する。この人は、どうしてこうも解ってしまうのか。
「口紅の色を変えるとか、シャツの色を明るくするとか、ちょっとしたことで気分が上がるんじゃないの?」
「そうかも……しれません」
私は今朝、久しぶりに化粧して、新しいワンピースを着て、女を取り戻した感覚になった。お見合いのためだけど、着飾るのは楽しかった。
(職場でお洒落……これまで、考えたこともない)
でも、本当はどうだった? 私は自分に問いかける。仕事に必要ないし、自分のイメージに合わないと、無理に思い込んでいたのでは……
「分かりました。少し、考えてみます」
「うん、素直でよろしい。ただし!」
「えっ?」
嶺倉さんは急に厳しい調子になり、迫って来た。距離、というか顔が近い!
「なっ、何ですか?」
「あまりきれいにすると、男が放っておかなくなる。ほどほどにしておけよ」
「はあ?」
「瑤子さんは、俺のものだからな」
「……」
勝手な言い分に呆れた。でも、大真面目な顔が可笑しくて、つい笑ってしまう。
「おい、何が可笑しい」
「だって、嶺倉さんは私を高評価しすぎです」
「いやだから、瑤子さんは魅力的だと何べんも言ってるだろ。ていうか、別に俺としては、地味なままでも構わないんだけど?」
「いいえ、あなたのおかげでやる気になりました。めいっぱいお洒落して、自分を再評価してみます」
嶺倉さんは口を尖らせるが、すぐに微笑んだ。
「ったく、心配だなあ。でもま、前向きになったんならそれでいいや。前向きな気持ちは、仕事の面でもプラスに働くだろ」
「はい」
頷き合った時、部屋のチャイムが鳴った。澤田さんがティーセットを運んで来たようだ。
「いいタイミングだぜ。瑤子さんと二人きりだから、緊張して喉が渇いちゃったよ」
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