冬空の木漏れ日

わしお

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翌日。早速マネージャーの仕事をするかと思いきや、Chronicle Growthの活動が休みだったので、住所変更の手続きをしに行った。
前に住んでいたところと違う区なので、前の区に転出届を出して、また戻ってきて転入届を出すというのは、意外と重労働だった。

なんとか手続きを終えた頃には、もう昼過ぎになっていた。事務所に本人確認書類のコピーを出さなければいけないので、急いで電車に乗り事務所に向かう。

電車の中で、昨日の出来事を思い出す。

翔は本当にいい意味のつもりで、Kyoyaさんの歌が印象に残っていると言った。
心にすっと馴染んできて、元気をもらったと、そう伝えたかった。

しかし本当に率直に思ったことを言ったら、「泣いているみたい」と口から出てきてしまったのだ。
そんな言い方をされたら、誰だっていい気はしないだろう。おそらく、そんなつもりで歌ってはいないだろうし。

嫌われてしまっただろう、と思う。あの笑顔は絶対に好意的なものではない。

無意識にため息が漏れる。せっかくいい人達のところで働けそうだと思ったのに。せっかく、ここがいいと思ったグループのマネージャーになれたのに。
自分のコミュニケーション能力のなさがつくづく嫌になる。

そんなことを考えているうちに、事務所の最寄り駅にたどり着く。
ICカードで通ろうとしたら残高が足りず、チャージ機に向かう。

お札が五千円札しかなかったので、崩したくないと思い小銭で投入した。
財布を鞄に放り込み、改札をくぐる。

泣いていても仕方がない。これから好感度を上げていくしかないのだ。
気合いを入れ直し、意識して前を向いて、事務所に向かって歩き出した。





「おはようございます!」

事務所に入れば、デスクの三人と社長、そしてChronicle Growthのリーダー、Kyoyaさんがいた。

Kyoyaさんが視界に入った瞬間、翔は無意識に立ち止まっていた。

何故ここに。いや、所属事務所なのだからいてもおかしくないのだが。
昨日の今日で、とても顔を合わせづらい。緊張して、もはや条件反射で固まってしまう。

Kyoyaさんは翔の方を見ると、貼り付けたような笑顔を向けられた。

「おはようございます、高木さん」

あまりに他人行儀な、完璧な営業スマイル。そのキラキラとした微笑みにビビりながらも、翔は何とか「お、おはようございます……」と返した。

「おはよ~翔くん。今日はお休みじゃなかった?」

事務の松木さんが、ふわふわとした笑顔で話しかけてくれる。
救われたような気持ちになりながら、翔は鞄から財布を取りだそうとする。

「住所変更したので、本人確認書類を持ってきたんで……」

です、と言おうとしたとき、財布から突然バラバラと小銭が落ちてきた。
おそらく駅でチャージをした時に閉め忘れたのだろうが、まさかそんなことになるとは思わず、翔はこの上なく慌てた。

「すみません!すぐに拾いますので……」

拾わなければと思い床に屈むが、傾いたことで、財布に残っていた小銭まで床に転がり始める。

「あああああああ!!!!!!」

頭上から、社長、松木さん、畑中さんの笑い声が聞こえる。
しかしパニックになっている翔には笑う余裕などなく、とにかく拾わなければと必死に小銭を集める。

ふと、目の前に誰かが屈んだ気配を感じ、翔は頭を上げた。
目の前には、小銭を手のひらに乗せているKyoyaさんがいた。

「きっ……!」

驚いて後ろに転がりそうになった翔の腕を、Kyoyaさんが咄嗟に掴んで引き戻す。
Kyoyaさんは呆れたような顔をしながら、翔に小銭を差し出した。

「また落としても知りませんよ。粗方拾いましたけど、全部あります?」

全部あるかどうかは、そもそも最初にいくらあったか覚えていないので確認のしようがないが、拾った分を全て財布に仕舞い、ほっと息をつく。

「あ、ありがとうございます……」

そう言って顔を上げれば、Kyoyaさんの綺麗な顔が目の前にあり、翔の鼓動が跳ねあがる。

つり気味の鋭い瞳に、長い睫毛、長く通った鼻筋、形のいい唇に、シュッとした輪郭。
全てが完成されていて、まるでこの世のものではないかのようだった。地上に舞い降りた天使だと言われても信じてしまいそうな気がする。

こんな感想を、最近別のものに抱いた気がする。何だっただろうか。

思わず魅入ってしまいそうだったが、そんな場合ではないと思い出し、財布に視線を戻してしっかりとチャックを閉めた。

翔がきちんと小銭をしまったのを見届けると、Kyoyaさんは立ち上がり、応接用であろうテーブルとソファがある方へ向かった。
そこにはたくさんの荷物が置いてあり、包装からプレゼントであることがわかる。

そういえば、昨日はKyoyaさんの誕生日だと言っていた。おそらくファンからのプレゼントだろう。

翔は本人確認書類を松木さんに渡す。これで今日の用事は完了した。

Kyoyaさんの方を見れば、社長と一緒にプレゼントを運び出そうとしているところだった。
その数はとても多く、彼がどれほど人気があるのかを物語っている。とても二人では持ちきれない。

「あの、オレも手伝います!」

何とか汚名返上したくて翔がそう言えば、社長はにこりと微笑んだが、Kyoyaさんは凍ったような目で翔を見る。

「そうかい!それは助かるよ!」
「…構いませんが、落とさないでくださいね」

Kyoyaさんは速足に事務所を出る。そんな冷たい言い方をしなくてもと思いつつ、先ほど小銭をばらまいた身としては何も言い返せない。

無理をしない程度の量を手に持ち、事務所を出てエレベーターに乗る。
Kyoyaさんと社長は翔の倍近くの量を軽々と持っていて、体格が違うから仕方がないが、もう少し筋肉をつけようかと悩んだ。

エレベーターを降り、事務所の道路を挟んで向かいにある駐車場に向かう。
道路を横断すれば早いのに、社長もKyoyaさんも横断歩道までわざわざ回った。確かに、適当なところを横断して、万が一にでも事故に遭ったら大変だ。
そんなところまで気をつけているのだと感心しながら、翔もそれについて行く。

もう一往復して、プレゼントを全て車に乗せる。六人乗りの大きな車なので、乗せてみればそんなに大量には見えない。

「この車はKyoyaさんのですか?」

随分大きな車に乗るんだなと思いそう言うと、社長は「ううん」と否定した。

「これは事務所で持っているやつだよ。こういうたくさんの荷物を運搬したり、タレントや楽器を現場に送るのに使うんだ。Chronicle Growthの送り迎えには私の二台目を使ってもらおうと思ってるけどね」

わざわざ事務所用に車を買ったのかと驚くが、社長が「元は岳の親父さんからいただいたものだよ」と付け足した。経費で買ったわけではないらしい。

「じゃあ、荷物置いたらすぐ戻りますね」

と、Kyoyaさんが運転席に座ろうとする。
事務所のものだからわざわざ返しに来ないといけないんだと気づく。忙しいだろうに、それはなかなか面倒ではないだろうか。

「あの、オレ運転しましょうか?」

荷下ろしもあるし大変だろうと、軽い気持ちでそう提案する。

しかし、言ってからはっとする。それはもしや、Kyoyaさんと二人きりになるということではないか。

自分のことを良く思っていない人と二人きりなんて、気まずい空気になることは間違いない。
きっとKyoyaさんも嫌だろう。嫌いな人と、しかも車なんていう密室で一緒にいなければならないなんて。

翔の額に汗が浮かぶ。なんてことを口走ってしまったんだろうと後悔するが、もう遅い。
もしかしたらKyoyaさんが断ってくれるのでは……と思ったが、そんな期待は、社長の完全なる善意により打ち砕かれた。

「そうだね!どうせ今後Kyoyaくんの家まで迎えに行くことになるんだし、ちょっとした練習も兼ねて送ってあげるといいよ」

社長は満面の笑みでそう言った。
翔は絶望にも似た感情を抱き、激しく後悔する。

ちらりとKyoyaさんを見れば、非常に冷たい瞳で翔を見下ろしている。

「……じゃあ、よろしくお願いしますね、高木さん」

そう言って、Kyoyaさんは運転席の真後ろの席に座った。わざわざ、一番顔が見えないところに座る辺りに、彼の翔に対する感情が現れているような気がする。

翔は悲しくなりながらも、自分で言いだしたことを今更変えるわけにもいかず、大人しく運転席に乗り込んだ。
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